妖-アヤカシ-3
2015/10/18

ほろ酔い気分で玲瓏たる月を眺めていた時だった。
ふわりふわりと視界に映り込んだ一匹の蝶々。月夜に舞う姿のなんと美しいことか――なんて、感嘆したのも束の間。
真夜中に蝶。それも黒色。まっすぐ自分に向かって来ていることに気付き神無は頭痛を覚え、額に手を当てた。それから深々と溜息を吐けば、ゆらりと人差し指を伸ばした腕を前方に持ち上げ、厄介な来客を迎え入れるのだった。


「――…して、仏の使いともいわれる黒蝶殿が、一介の妖に何の用だい?」


伸ばした指先に優雅に舞い降りた黒い蝶。神無が口にしたように、夜の黒蝶は仏の使いである。
仏の使いが妖に用事があるとなれば、これは嫌な予感しかしない。
実に不本意であるが、悪い予感ほどよく当たるものだ。この状況下ならばそれは予想だけでは終わらず、より面倒なことになるに違いない。良くも悪くも聡い神無は渋面で黒蝶を見据え、やや投げやりになりつつも先の言葉を待った。


「我が主より、汝(うぬ)への頼みごとを預かってまいった」

「………あのジジィ…仮にも仏が妖を頼るなど如何なものかと、あれほど…っ」

「口を慎まれよ妖」

「使い走りの羽虫風情が、アタシに意見するんじゃないよ」


仏からの頼みごとと聞いて神無の機嫌は急降下。
いつもの皮肉めいたものではなく、あからさまに刺々しい物言いは神無にしては非常に珍しいことだ。彼女のこんな一面は、恋人である千歳も知らないのではないだろうか。
そんな神無をよそに、黒蝶は預かってきたという用事を淡々と話始めた。


「この地より東北にある山を住みかにした妖が暴れている。かなり凶暴な妖らしく、近隣の村や町でも多大な被害が出ているのだそうじゃ」

「…そんな悪目立ちしているなら直に陰陽師や祓い屋やらが対処するだろう」

「そやつらとて、所詮は非力な人間ぞ」

「……要は、人間では太刀打ちできぬほど厄介な妖だとでも?」


淡々とした口調の中に、一瞬だけ言葉に抑揚があったのを神無は聞き逃さなかった。その意味に感付いた神無が率直に問い掛ければ、黒蝶は肯定を示した。
目には目を、歯には歯を――妖には妖を、ということらしい。


「…………ジジィに伝えておけ。対価は高くつくから覚悟しておけとな」


翌の黄昏時。
仏の頼みごとに不本意ながらも応と答えた神無は寺の桜木と、件の山の桜木を力で繋ぐことで道を作り、かの場所へと渡った。
数多の地の桜を眷属にもつ千年桜は桜同士を繋げることにより、あらゆる場所へ移動することができるのだ。


「――…これは酷い…」


凶暴な妖が住むという山に降り立った直後、重く淀んだ空気を感じ取った神無は顔を顰めた。そこには尋常ではない邪気が蔓延していたのだ。
何かが腐ったような、何かが焼けたような悪臭が鼻につき袖で鼻や口元を覆う。辺りを少し散策してみて臭いの元はすぐにわかった。
折れた矢や刀、鎧の残骸、火薬に血の匂い。焼け、腐り果てた末に残った無数の人骨。そこには戦の残痕があったのだ。


「供養も、埋葬もされなかったから……だけにしては邪気が濃すぎるな」


人間の骸は邪気の元となり、その悪い気はやがて妖怪を生む。この辺りで暴れているという妖はこの邪気から生まれた存在なのかもしれない。
しかし、ここら一帯に漂う邪気の濃度は戦と人の亡骸が原因にしては高すぎる。妖を理由に含めればまだ納得できるが、そんな凶暴かつ凶悪な妖だったらもっと早い段階で対処されていてもいいはずだ。人間側にだって妖に対抗できる専門家はいるし、神や仏でも何らかの対応はできる。
この山と神無が居ついている寺はそれほど距離は遠くないのだから、ここまで酷くなる前に彼女の耳に入っていてもおかしくないはずなのに。噂すら聞かなかったというのも不自然すぎる。


「……考えるよりも会ったほうが早いかねぇ」


あと半刻もすれば日は沈みきるだろう。それからは闇の化生である妖怪の時間。ここらに住み着いた妖と対面するのも時間の問題というわけだ。
山頂を見据えた神無の表情に不敵な笑みが浮かぶ。闇が深まりつつある山道を行きながら、この先に待ち受けるモノに思いを馳せるのだった。

鬱蒼と生い茂る木々が風に揺らされ不気味にざわめく。山頂に近づくにつれて濃くなっていく邪気に混じり妖気も感じられるようになってきた頃、おぞましい狂気を孕んだ絶叫が山一帯に響いた。
神無は地を蹴って飛び上がると木の枝をつたって声がした方角へと向かう。すると、この先に川があるのか徐々に水の流れる音が聞こえてくる。その音が近づくにつれて深く重くなっていく邪気。毒気のあるそれの影響なのか、神無の内にも黒くもやもやしたものが渦巻いていく。


「―――…なるほど。これは厄介だねぇ」


増幅する不快感。
体の内側を侵食せんとする邪気は大妖怪ですら狂気に落とす猛毒になる。


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