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ねぇ、俺が欲しくありませんか?









***




──ドォンッ!!


 設定されたラインを大きく逸れて、勢いのついたままコートを飛び抜けた打球。

 『皇帝』と称される真田弦一郎でも、時には大暴投をするものか。そう思われたそれは、だいぶ離れた場所で玉拾いもせず立ち話をしていた部員二人の、足元ちょうどど真ん中へ突き刺さっていた。


「す、すいません!」
「……ふん、」


 ひっと小さな声を上げたのはボールが飛んできたことより何より、視線を向けた先にあった修羅のような顔つきのせいかもしれない。あわてふためき、両手で何もない空を掴み始めた者らに一瞥だけはしておいて、真田は捨てるように息を吐いた。




「……なーにイライラしてんスかね」


 様子を見ていた者は他にも居たが、口を開いたのは一人だけだった。その取って付けたような丁寧語の語尾は、二年生エースのすぐ後ろに立っていた、決勝でダブルスを組む予定のパートナーへ向けられていた。

 柳はそれに『答えを欲しての一言でない確率が90%を超える。要は私語だな』とは思ったものの、少考ののちに返事をしてやることにしたのだった。


「虫の居所が悪い時もある」

「けどそんなのっていつものこ」
「ほら、こっちにも飛んでくるぞ」
「げっ!」


 聞くやいなやすぐに目付きを変える後輩に、自分の目論みがうまくいったと確信した後で。名参謀はようやく同胞の腹にいるはずの“虫”の居所を探した。傍からではどこを見ているかほとんど察しえない伏し目が、武器の一つだった。

 誰かに当たり散らさない辺りが恐らくは本人自身に関わること、虫歯やら長期にわたる体調の異変でなければ特に問題なかろう──、と締めくくる。この時点で、それは彼にとって確かめる必要性のない虫のアジトと判断され捨て置かれてしまったが、そこで肝心の概要をおおむね外していないところ、参謀の『達人』たる所以だったろう。




―(クソ、考えるな……)


 ただし、皇帝ご乱心の理由が夢見のせいであることまで察することは流石にできていなかった。たった今、舌打ちを辛うじて堪えている真田の方としても、たとえ名データマンにだろうが何がなんでもバレたくはない。

 大事な決勝の前に、一度だって会話したことのない相手に恋してしまっているかもしれないことなど、絶対だ。


「ぬあぁあぁぁぁ!!」


 唯一の救いは、早起きの習慣があるおかげで寝癖のような取り乱した形跡がないことと、朝から新しい下着に履き替える必要もあり、些かすっきりした気分で登校できたこと、だろうか。元来テニスにしか興味がない少年にとって、このアクシデントはかえって体調が良くなる生理現象ではあったが、当人に制御など出来なかった。

 更に勢いを増した打球は二度と逸れることなく再び、彼用のメニューで決められている小さなポイントにズドンと落ち始めた。









『止めなさいよ、甲斐クン』


 彼のことは、知っていた。といっても、予選でなら雑誌の隅へ名前が載るくらいは実力のある選手、という程度だ。地方なこともあり、彼の姿を間近で見たのは今回の抽選会が初めてだった。

 それが一度。


『殺し屋?!』
『本当そいつテニスプレーヤーか?』

『へー……大変だねぇ、青学は』


 次は一昨日のこと、真田はチームメイトと共にライバル手塚国光の試合を見に行った。対戦校の沖縄比嘉中は青春学園に対しすでに4敗を喫していて、そこの負け大将である彼はそれに相応しい、否、むしろそれ以下のお粗末な試合展開だったと真田には思えた。

 えらく大層な異名なんぞ持っておきながら、その実卑怯なプレーで自身を貶めるとはな。全く以て見苦しい──、感情を台詞にしたならこんな風だったろう。『皇帝』と呼ばれる男は、そんなチンケな『殺し屋』などに興味は湧かなかった。




──いいえ、嘘ですね。




 そのはずなのに、本日この心の占め具合はどういうことかと自問自答しても答えは一つに違いない。勝手に一言浮かぶほど、真田は鮮明で濃厚な夢を見てしまったのだ。

 出てきたのは、間違いなく彼だ。




 

1 /2 夢に果てる


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