(拓蘭) 隣からシャワーの水音とともに鼻歌が混じって聞こえてくる。一足先に汗を流し終えノズルを捻ってから神童はそれに気付いた。シャワーの音の方が大きくて何を歌っているのか明確にはわからない。が、聞き覚えのあるメロディーな気がした。喉元まで答えは来ているのにそれが思い出せず、嫌な気分のまま少し乱暴に濡れた髪の滴を拭き取る。狭いスペースの仕切りを押してブースを出るとシャワーが止んだ。鼻歌は依然続いている。 「霧野」 「……んー?」 「それ、なんの曲だ? 思い出せなくて…」 「今の?」驚いたような困ったような彼の顔が容易く想像できる声だ。「昨日お前が弾いてた曲だろ」 「ああ……」 ようやくがってんがいった神童はすらすらと堅苦しい原題を答えた。 「フレデリック=ショパンの練習曲、作品番号十第三番ホ長調。…ああ、スッキリした」 「ショ、パン? ならオレでも聞いたことあるよ」 同じように髪を拭きながら霧野がブースを出てきた。 「これ。また弾いてよ。好きなんだ」 首にタオルを引っ掻けて霧野は笑った。 「……あ、あ」 一瞬だけ、神童の表情が曇ったことに彼は気付かない。 告げられた幸福とかなしみの狭間で 120619 title::子宮 |