きっと一生忘れられないクリスマスイブ



「じゃあな」

言葉らしい言葉も交わさず、言いたいことも言えず、いつものように、また明日、そんな風情であいつは死んだ。

OB会、初秋の帰り道、おれたちは大学生になっていて、別大学別学部別学科、もうなんの疑いもなく、また明日、で会える高校生じゃない。そんなこと、手嶋もわかっていたんだろう。わかっていても、頑なに、また明日、の風情を崩そうとはしなかったけど。

そんなことを思い出す。火葬場の煙も出ない煙突を見上げながら。

「あいつって、自殺かな」
「純太はそんなことする奴じゃない」

少し眠れなくて、睡眠薬を大量に飲んだ、それだけだ。
固い声で言い切る元部活仲間に、どうして同じ人間と接していたのにここまで認識に差が出るのだろう、と純粋に疑問に思う。おれの中では、あいつは自殺。きちんと意思をもって、睡眠薬を大量に飲んだよ。

(……会いたいなぁ)

言いたいことも言えていないし。とつづけて、ふと、言いたいことってなんなんだろう?

「わたしは大丈夫だから」

あいつが死んでからおれは、なぜだか眠れなくなった。横になっても、目を瞑っても、身体をどれだけ疲れさせても、眠ること、眠りつづけることが難しい。まずいなぁ、とは思ったけれど、睡眠薬を飲む気にはどうしてもなれなかった。そりゃあね。

「大丈夫だからね」

なので、茫漠な夜の暇潰しに街で見かけたてきとうな女とつきあうことにした。
けれど、これがまちがいだった。

「授かり婚でもわたしは気にしないから」

大学三年生、二十一歳の男をに言う台詞かなぁ、それは。と思う。おれはまだ社会を知らない蛙だし、きみを養う甲斐性もない。将来性は我ながらあるとは思うけど、そんなもの砂でできた城のように儚いよ。
そんなこと、少し考えなくてもわかること。なのに、一つの目的のためになりふりかまわない女にはわからないのか。

「……結婚ねぇ、」

一見、ふつうの女だったから、ふつうの二十六歳のOLだったから、安心して、いや、油断だ、油断、したんだろうな。まさか、声をかけて行為をして別れて翌日の昼、で、いつ結婚する?なんて、電話がくるとは思わなかったよ。
はっきり言うけど、一夜限りの情交のつもりだったんだ、おれは。だから、名のらなかったし、年齢住所趣味に職業、連絡先も知らせなかった。そして、女のほうもそれらを明かさなかったから、合意のうえだと思ってたんだけどね。
まさかシャワーを浴びてる間にまさか、鞄の中をまさぐられて、携帯を見られて、免許証を盗られてたなんて、そんな、予想もしてなかったよ。

「結婚よ、結婚、結婚して、結婚してくれるでしょう?」
「おれはまだ働いてもいないのに?」
「だから?」
「きみの人生を背負えるかわからないってことだよ」
「だから?」
「だから…、」

もしもし、古賀公貴さん?わたし、昨晩、あなたが抱いた女です。免許証を預かってます。で、いつ結婚する?
こんな女、どう考えても地雷だ、だけど、いかんせん、眠れないと夜が暇でね。

「セックスしたくせに、わたしとセックスしたくせに、無責任よ、そんなの」

だから、まぁ、けっきょくずるずる三ヶ月。三ヶ月間ずぅっと、結婚結婚結婚結婚結婚結婚、あのさぁ、たしかに夜は暇だけど、朝と昼は暇じゃないんで。

「別れよう」

カフェです。オープンテラス。打算的に生活圏外の。

「なんで?」

スムーズにいかないことは覚悟していたけれどね、まさか、第一声から五時間経っても、コーヒー代すら払えないとは!
まさか、まさかだ、きみといるとおれはいつも、予想外のことばかりおこる。だから、きみは、暇潰しにはもってこいの女の子だったね。

(そうだ、あくまできみは暇潰し、生活に侵食していいなんて、許可を出した憶えはないよ)

「結婚してよ。じゃなきゃ、死ぬから」
「どうしようね、おれはきみと縁を切りたい」
「だったら、言えば?『おれは男がすきなんです』」

涙で化粧が崩れてみすぼらしい女の狂言と、おれの呆れたため息、そこに、颯爽と現れた第三者の声。
ハッとする。その声があまりに耳に慣れていて、あまりに現実から離れていたから。だって、おまえ、だって、おまえは、

「手嶋…?」

死んで焼かれたはずだろう。

「久しぶり」

右手を小さく掲げて、言う。隣、座っていい?あんまりだらだら話してるから、見てらんなくて来ちゃったよ。
どこから?と思う、けど、そんなことどうだっていい。幽霊?と思う、けど、そんなことどうだっていい。
一つだけたしかなこと。この状況はまずい。

「公貴くん、だれ、これ…?」
「えっ、と、」
「はじめまして、あなたとお揃い、恋人です」

だれだって、声に詰まるさ。死んだ人間がいきなり現れて、じぶんの恋人を名のったら。
でも、きみにとってはそうじゃない。この髪のうねった男が死んだ人間なんて知らないきみには、そうじゃない。きみはそうは思わない。きみにとって、今の状況は…、

「端的に言いましょう。この男は、バイで、男と女と二股交際していて、さらに、本命は男、つまりは、おれで、浮気は女、つまり、あなたは遊ばれていて、男に負けたことになります」

結婚、なんて夢のまた夢、あなたの大事な大事な、限りある二十代を浪費させて誠に申しわけなく思っております。
うやうやしく腰を折り、手を胸に添えて、頭を下げて、芝居がかった仕草で手嶋が言う。慇懃無礼、という言葉がぴったりで、生前と変わりない、と現実逃避しはじめた頭で思うよ。
そういうこと!きみにとって、今の状況は手嶋純太の言うとおり。最低なクリスマスイブでごめんね。

「あ…っ、そう、なるほど、そういうわけね…、」

女は、スッと真顔に戻り、やけにはっきり呟くと、コーヒーカップを叩き割り、こんなにばかにされたのってはじめて、そう言って、

「死ね!」

一瞬で夜叉になって、左頬に渾身の平手打ち。そして、すっくと立ち上がり、脇目も振らずに走り去る。
皮肉だね、きみのこと、ちっともすきじゃなかったけど、一瞬見えた、おれを睨んで振りかぶる、きみの顔は、びっくりするほど綺麗だった。

「今が野球の試合で、あの子がバッターだったらさ、きっと満塁逆転ホームランだ」

あっはっはっは!と大声で笑いながら、手嶋が言う。たしかにあの子の勝ちだ、と返す。午後五時一分、ゼームセット。

「で、なんでおまえがいるんだよ」

三十分後、帰路の上で手嶋に問う。手嶋は消えずにおれの後ろをついて歩いてきた。夢かと思って、夢じゃないな、と思いなおす。こいつ、いる。存在してる。死んだけど。

「言いたいことがあってさぁ、」

振り返んなくていーよ。とおれの首を制して、手嶋は笑った。たいしたことじゃないから、と。
そうか、と返す。おれが前で、手嶋が後ろ。いつもどおりの帰り道だ。まるでおまえが死んだ前日の夜。

おれは手嶋の『言いたいこと』がなにか、わかっていた。そして、おれの『言いたいこと』がなにか、も。

「……おれ、」

マフラーに埋めていた口を出して、手嶋が白い息を吐く。

「おれ、古賀のこと、すき、かも」

振り返らずに、おう、と返す。
しばらくの沈黙の後、あのさぁ、

「今日のおまえのデート、わざと邪魔したっつったら、怒る?」

怒らない。だよなぁ。ただ。ただ?

「一生、ゆるさないからな」

振り返る。呆れた声音になっている。あたりまえだ、と思う。怒るわけないだろう。わかりきったことを訊くんじゃない。かも、ってなんだ。言い切れよ。これから、執行するっていうのに、決意が鈍りそうになるだろ。

「一生?」
「そうだ」
「やったね、化けて出てきた甲斐があった」

これから一生、こいつに呪われるのか、と思うけど、まぁ、いいか、と思うくらいには。

「成仏する?」
「せっかくだから、もうちょっと」
「いや、今、幕引きするべきだ」

クリスマスイブ、物語のエンドロールに今日よりふさわしい日はないよ。

「……そうだな、」

目を閉じて、背伸びをしながら手嶋が笑う。

「ラブストーリーみたいだ、ありがとう」

その言葉に苦笑しながら返す。

「はじめからラブストーリーだったろ」

コートのポケットに両手を入れたまま、キスをした。どうして?だって、惚れた男が消えてなくなる感触を、味わうなんて、かんべんしてくれ。

「…………今夜も眠れそうにないな、」

きっと不眠症は治ったけれど、けれど、今夜は眠れやしない。
真冬の帰り道、一人きりで帰路を急ぐ。鈍色の空からは雪が降りはじめていた。

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