ラ・フィオーレ・プリマヴェーラ



最近、手嶋さんの目線が気になる。
と言っても、それは直接的なものではなくて、たとえば、体育のグラウンド、日射しに目を細めるように、三年生の教室の窓の隅からの視線に目を細める、ような、遠い、けれど、たしかに感じる、視線を、いつも。
降り注ぐ視線、爪、耳、背筋、おれ、そのもの。視線は次々に移ろい、夜空を回る星のように、流れ、移ろい、最後におれそのものを捉えた。
不躾に、じろじろ見ないでくださいよ、とは思わなかった。手嶋さんの視線には賞賛がこもっていたから。どんな種類の賞賛かはわからない。けれど、誉められて、悪い気はしなかった。

「おれって性格悪いんですかね」
「なんだよ、いきなり」

手嶋さんのクラスへノートを受けとりに行ったときのこと。いつもの手嶋さんの視線に気づいて、いい気に思って、自己嫌悪、そして、そのまま口から出ていた。

「いえ、どうなんだろう、って」
「どうもこうも、そうだな、少なくてもおれよりはいいよ」

この人の自嘲癖は変わらない。おれはこの人のこの癖が、はじめてこの人を認識したときから苦手だった。どう返したらいいのかわからない。わかりにくい感情表現をする人だな、おれはあんたみたいに器用じゃないんだ、絡まったコミュニケーションなんて解けないんだよ。
そう唾を吐きたくなった。なっていた。けれど、今、はじめて唾は、口から飛び出ることはない。

「ノート」
「うん?」
「図が汚いですね」

手嶋さんのノート、他校の分析をまとめたもの、ないよりあったほうがいいだろとのこと、をぱらぱら捲って気づく。トラックを表した図の、汚さ、雑さ、定規で組み立てられた表の汚さ、雑さ。もしかして、

「手嶋さんって不器用なんですか?」

うっ、と言葉に詰まった手嶋さんは、拗ねた口調で、そうだよ、と。

あっ、かわいい。そう思った。年上の男の人を評するのに、ふさわしくない、でも、かわいい。そうとしか、表現できない。かわいいな。愛しいな、すきだな。

それから、おれも手嶋さんに視線を送るようになった。ペンを回す幼い癖、ストローを咥えて遊ぶ行儀の悪さ、ぐちゃぐちゃの鞄の中身。よくよく見れば、手嶋さんは思っていたより、だらしがなくて、きっと、不器用で雑で子どもっぽい、それが、この人の本質なんだろうな、と思った。
そして、それが、かわいいな。愛しいな、すきだな。なんて。

「今夜、いっしょに帰りませんか」

雪が舞うある夜、おれは手嶋さんに声をかけた。昇降口でまっていたおれを見た手嶋さんは、呆れたように笑って、いいよ、と言った。
まだなにか用か?と手嶋さんが言い、おれはそれに、いいえ、と返す。手嶋さんは、そうか、と言って、黙った。
きっと、手嶋さんも気づいているのだと思う。おれの視線を。そして、それに含まれるようになったなにかを。おれが手嶋さんの視線に、じょじょに混じるようになった、なにか、に気がついたように。
雪に足音が吸いこまれて、この世に二人きりなような気がした。
けれど、沈黙の世界は終わりを告げる。煌々と輝く街灯の下を通りすぎ、ずに手嶋さんの足が止まった。おれも足を止める。雪の舞台のライトの中、俯いた手嶋さんが、おれに、なにか話せよ、と言う。

「なにか、ですか」
「ああ、なにか」
「えっと、卒業ですね」
「そうだな、春が来れば、」

一瞬、間が空いて、手嶋さんが、ふふふ、と笑った。

「おまえ、とびっきりのいい男なのに、気の利いた台詞は言えないんだな」

そう言って、手嶋さんは顔を上げて、おれの顔を見た。泣きそうな、目と目が合って、はじまる、と思う。
思わず、じりじりと近づいて、手嶋さんの正面に立つ。上から見た、手嶋さんの睫毛には雪が積もっていて、この雪が溶けたら、溶けたら。

「……痛いよ」

手嶋さんの右手を、ぎゅう、と握った。この人のきちんと肉刺が潰れて硬くなっている、手を握らずにはいられなかった。どうしても。

それが、冬の話。

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