責任



「ごめん、なんて言ったらおまえを殺してやる」

インターハイ一日目、おれは山岳リザルトを獲ることができなかった。あと一歩、あとほんの少しで、あと一センチで、夢に届きそうだった、けれど、ロードレースは結果が全て。

おれは負けた。

それだけだ。

「……公貴、」
「純太か」

夜更けて。おれは古賀を探していた。どうしても、古賀に言わなきゃいけないことがあるから。

「旅館の玄関と、ロードのメンテ、珍しい光景だな」
「ちゃんと許可はとってある。そんなことより、早く寝ろ。明日も明後日もインターハイはつづくんだ」
「眠れないんだよ。ていうか、そのロード、おれのキャノデ?」
「そうだよ。一番ボロボロだったから、とくべつにメンテしなくちゃと思って」

古賀が、あたりまえのように明日と、明後日、と口にしたことがうれしくもあり、また、申しわけなくもある。つづくかな?おれは、つづけさせることができるかな?

(おれじゃなくて、おまえだったら、)

きっと、いいや、ぜったい。

「公貴、」
「純太、」

口を開く。それを制するように古賀がおれの名まえを呼ぶ。でも、おれは言わなくちゃ。だって、ぜんぶおれのわがままのせいなんだ。おれのせいなんだ。俺の責任なんだ、だからさ、公貴、ご、

「ごめん、なんて言ったらおまえを殺してやる」

スパナを固く握りしめながら、おれを見据えて、古賀はそう言い放った。地を這うよう蛇のような、低くおそろしい声で。怒ってる。それも、尋常じゃなく。
わかるよ。ぜんぶわかってる。おまえの気もちも、あのレースの価値も、ぜんぶわかって、そのうえで言いたい。ごめん、公貴、おれがわがままを言わずに、おまえに主将を譲っていれば。

「だって、みんな、そう思うよ。おまえだったらって」
「みんな?みんなってだれだ?」
「おれとおまえのあの、レースを知ってる奴、みんなだよ」

おれはおまえがこわかった。おまえが一周、トラックを回りさえすれば、おれが死にもの狂いで築きあげてきたもの、全てがもっていかれる。おまえにはその力があって、おれにはない。ロードレースは残酷だ。力が正義。速さが正義。結果が正義。勝利が正義だ。
だから、おれはおまえからチャンスを奪った。おれが縋れるものは前主将から選ばれた、たったそれだけだったから、じぶんに自信なんてなかったし、おまえとおれの力の差も、おまえの実力も、気もちも、おれはぜんぶわかっていたから。おまえはインターハイに出たい。おれもインターハイに出たい。空いている席は一つだけ。そして、おまえにはそれを奪う力がある。
だったら、死にもの狂いでそれを守るさ。どんなことをしてでも、汚くても誇れなくても、おれはインターハイに出たいんだ。おれも舞台に立ちたい、役者になりたい。それが、たとえ、汚くても誇れなくても。

でも、そんなんじゃだめだ、そんなんじゃだめだって、おれは教えられたんだよ。

そのための、あの、合宿での、レースだ。おれにもおまえにも利があった、おれは自信を、おまえはけじめを、ギブアンドテイク、だけど、地力の差でおれのほうが分が悪かったかな?
おれはおまえに憧れて、羨ましくてだいすきで、だからこそ、おまえがゆるせなかった。おれはおまえに憧れて、羨ましくてだいすきで、だからこそ、おまえに勝ってうれしかった。わたし、今、死んでもいいわ、と、脳裏を掠めたくらいには。

だから、おれはあのレースには価値があったと信じてる。でも、部員の心に消せない染みを残したのもたしかだ。
あのレースで、おれじゃなくて、古賀が勝っていたら、古賀が主将だったら、きっと、今日、おれたちはこんな気分で横になってはいないんだろうな、って。

「だから、ごめん?」
「そうだよ」
「……殺してやりたい、」

殺してくれよ、と思う。それでおまえの気が晴れるなら。なんでもしてくれ、と思った。おまえにはその権利がある。

「ばかだ、ばかだ、と思ってきたけど、ここまでばかだと思わなかった」

吐き捨てるように古賀が言った。地を這うよう蛇のような、低くおそろしい声で。怒ってる。それも、尋常じゃなく。
でも、声音に呆れが混じってる。おどけた風味が香ってる。どうして?疑問と、おれは今、まじめな話をしているんだ。少しムッとする。

「なんて顔してるんだ」
「だって、おまえが、」
「あいかわらず、じぶんかってな奴だなぁ」

おまえはそろそろ、じぶんの性格を自覚したほうがいいよ。
ハハ、とおかしそうに笑って、古賀は穏やかな、けれど、研ぎ澄ました刃のように鋭い声で言った。

「おれは後悔していない」

広島インターハイのことも、その後の一年間も、おまえとのレースも、もちろん、今も。一回だって、一回も、おれは後悔していない。おれはおれを信じてる。おれはおれの選択を信じてる。おれはおれの中にある指針を信じてる。おれはいつでも、そのとき、おれが最良だと思った選択をしてきた。おれの選択で、おれの人生だ。おれはそれに責任をもつ覚悟がある。だから、

「おれは後悔していない」

そんなおれに、責任をなすりつけて、かってに楽になろうなんて、おまえはほんとうにばかだ。
おれの人生で自慰をするんじゃない。

脳天に隕石が落ちた気がした。
そのとおりだと思った。おれは世間の評判や評価から逃げようとしていた。重荷を古賀にも背負わせようと、古賀に甘えようとしていたんだ。古賀なら、それを、ゆるしてくれると思っていた…。
顔が熱い。恥ずかしくって死にそうだ。なんて奴だ、おれは、無意識にこんなこと、なにが古賀の気もちがわかってる、だ、他人をぜんぶ理解なんてできるはずがないのに。

「おれって、こんなに、じぶんかってな奴だったっけ…?」
「知らなかったのか。合宿でおれにチャンスを与えたときも、小野田にクリートをわたしたときも、広島でおれをとめたときも、真波のメカトラをまったときも、おまえはいつだってじぶんかってだったよ」

沈黙が降る。古賀の瞳は真冬の湖面で、おれは素直に泣きそうになる。

「そうしたかったんだろ?」
「どうしようもなく、理性を振り切ってまで、」
「そうしたかったから、そうしたんだろ?」

おまえもおまえの中にある指針に従っただけだ。おれと同じだよ。無意識かそうじゃないかだけで。
それがおまえの変えることができない性格で、それがおまえの最良だろ?

「大切なのは、それに後悔しないことだよ」

責任っていうのは、主将だとか、部の威信を保つためだとか、そういうことじゃない。そんなことじゃない。
責任っていうのは、じぶんのことを受け入れて、認めて、じぶんの人生を背負う覚悟をすることだよ。

「おれはそう思って生きてる」

…ああ、公貴、やっぱりおまえはおれの永遠の憧れだ。人生に脊髄がある。
そして、公貴、やっぱりおまえはこわいくらいにやさしい奴だな。こんなおれのために肩を貸してくれるなんて、甘えさせてくれるなんて。

素直に泣きたく、なっちまうだろ。

「…………おれは後悔していない!」

叫んだ。心の底から、この言葉が言いたかった。
あれが最良だったと思ってる。ばかみたいだって思うけど、思われると思うけど、あれでよかったんだって、思ってる。おれはおれに嘘をつかなかった。おれはおれに正直に生きた。それは誇れることだ。胸を張っていい。

おれはおれの人生を貫いたんだ。

「全力でやったことに、後悔なんてあるもんか!おれは主将としてはまちがったことをしたかもしれない。だけど!おれは、手嶋純太として、正しいことをしたんだ!」

全身全霊をかけた。だからこそ、真波もそれに応えてくれた。あの真波山岳に対等に扱われた、なんて、前までのおれじゃ考えられなかったことだ。おれが努力して、おれを貫いたからだ。その結果だ。なんという誉れだろう。
うれしい。うれしい。うれしい。でも…、

「勝ちたかった………ッ!」

おれは証拠が欲しかった。ぜったい的な証拠が欲しかったんだ。それをよすがに自信をもってもいいような、それを掲げれば、チームを、従わせることができるような、それさえ手に入れれば、網膜に映る景色が、鼓膜を震わす音楽が、鼻腔をくすぐる香りが、おれを見る周りの目が、変わるような、勝利が。

そう思っていた。でも、全力で戦って、負けて、はじめてわかった。それだけじゃない。

(ただ、勝ちたい。純粋に、勝ちたい。この、隣を走る男より、一瞬でも早くゴールがしたい)

それだけだった。それだけを求めていた。あの瞬間は。それだけだった。
それだけなのに、なんて難しいんだろう。

「勝ちたかった、ほんとうに勝ちたかったんだ、悔しい、悔しい…ッ、」

獣のように慟哭できればよかった。でも、おれは泣き方さえもへたくそで、後から後から流れる涙を拭うこともせずに、小さな声で喘ぎながら、悔しい、悔しい、と零すことしかできやしない。

「どうしてだろ、今まで何回も何百回も負けて負けて負けてきたのに、それをぜんぶ合わせても、今が一番悔しい、悔しい、悔しい、勝ちたかった、内臓が焼けてぐらぐら煮えてるみたいに悔しいよ」

古賀の肩をめちゃくちゃに叩く。やつあたりだ、かっこ悪ぃ、でも、かまうもんか、決まってんだ、負けた男はかっこ悪、

「かっこよかったよ」

古賀がポツリと呟く。おまえはだれよりかっこよかったよ。
それにおれは、一拍空けて、うるせぇ、と返す。慰めなんていらねぇんだよ。

「おれもおまえに負けたとき、内臓が焼けて灰になるくらい悔しかったけど、おれはかっこ悪かったか?」

唇を噛む。ほんとうに、こいつはずるい。ずるい男だ。

「…かっこ悪ぃわけねぇだろ」
「同じだよ。おまえもかっこ悪くなんてない」

全力を出して、全てを賭けて、走った男がかっこ悪いわけがない。

涼しい顔でこんな台詞を吐けるおまえは、やっぱりおれの憧れで、憎たらしいくらいかっこいい、こわいくらいにやさしい奴だ。
おまえみたいになりたいよ。おまえのようにはなれないよ。おれはおれに、おまえはおまえに、しかなれない。だれだってそうだ。それなら、じぶんの人生に胸が張れる男でいたい。

「悔しいか?」
「…悔しいよ」
「勝ちたいか?」
「勝ちてぇよ!」

それなら、明日、明後日も、勝つしかないな。

笑いながら、古賀が言う。それだけの、なんと難しいことか。
でも、おれは知っている。それだけしかないんだってことに。

「おまえなら勝てるよ」

さいこうのメカニックがメンテした、さいこうの相棒だっているんだからな。

古賀の眼鏡のつると、キャノンデールのフレームがキラリと光る。
それに背中を押された気がして、昔から、背中を押されていたことに気づく。

ああ、おれは、期待されていたんだな。

じわりと胸が温かくなる。うれしい。ありがとう。…ありがとう。
だから、おれはニッと不敵に笑って、叫ぶ。たぶんこれが、一番、古賀が、おれに言ってほしかった言葉だ、きっと。

あたりまえだろ?

「任せとけ!」

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