おまえだけはおれのスター



「最低のインターハイだったよ、おれはあんな舞台で走りたくなんてなかった」

夢だったんだけどなぁ、…おまえには悪いけど。と手嶋は小さく座りこみながら、息苦しそうに笑った。屋上、手嶋の後ろには絵の具をぶちまけたような青空が広がっていて、おれは、こういう笑いを自嘲と呼ぶのだろうな、とぼんやり思った。

「秋晴れだ」

手嶋はあの三日間、最初から最後まで息苦しそうだった。そして、現在、今でも手嶋は、海の底で息ができない。
責任を感じすぎだ。とおれは言う。おまえのせいじゃない、と。それでも、と手嶋は言う。世間は、おれのせいだって思ってる。

(ばかばかしい)

仁王立ちで舌うちをする。チームで走っていたのなら、チームで勝っていたのなら、負けだってチームの責任だ、おれたち全員の責任だ。そうだろう。勝利はみんなのもので、敗北は部長のせいだなんて、そんなばかな話があるもんか。

「おれがおまえたちを支えきれなかったせいだ」
「そんなことない。古賀は最後まで信じてくれたよ」
「でも、負けた」
「そうだな。おれのせいだ」
「おまえだけのせいなんかじゃない」

…公貴、おまえって、見かけによらず短気だよなぁ、なんて、微笑んだりなんかしないでほしい。おまえが声を荒げるとこ、おれ、けっこう見てきたけど、やっぱりまだ慣れない、なんて。

どうして。と思う。どうしてこいつが、こいつだけがこんなにも、傷つかなければならないんだ。

おれも考えがたりなかった。手嶋も考えがたりなかった。でも、それを責めることができるだろうか。まさか、意識があんなにも、個々でばらばらだったなんて、そんな、考えがたりない以前の問題だろう。前提からちがう方向を向いていた。けれど、その前提は、強固なものだと思っていた、みな一斉に同じ方向を向いているのだ、ととうぜんのように信じていたくらいには。
まさかだ、と思う。まさか本番、インターハイで、全員がはじめの一歩をちがう方向に踏み出したなんて、なぁ。

だれにそれを責めることができるだろう。しかし、世間は矢面を責める、無責任に罵倒する。おまえのせいだ、おまえのせいだ、と。
それに心を病む気もちもわからないでもない、が、ばかばかしい、ばかばかしいさ、そうだろう?おまえのせいなんかじゃない。そう、他でもない、古賀公貴が声高に主張しているというのに、だ。

「……手嶋、おまえ、志望校はどこだ」

急な話題変換に手嶋は鼻白んだ顔をした。なんだよ、急に。そして、しどろもどろに話し出す。
どこ、って…、まぁ、てきとうにレベルに合ったとこに…。

「推薦?」
「できれば」
「おれは○大だ、一般入試で」
「ああ…、おまえ、おれより頭いいもんな」
「おまえも行くんだよ」
「は?」

手嶋から目を逸らさずに言い切る。○大の自転車競技部のことはおまえも知っているだろう。おれはそこでエースになる。生半可なことじゃないってわかってる。それでも、高校時代に実現できなかった夢を叶えるんだ。おまえもそこで、おれと走れ。

「死にもの狂いで勉強しろ、おれを追いかけてこい」

この男をロードから降りさせてたまるか、と思った。息ができないまま、ロードから降りさせてたまるか、と。
偽善か、と問われれば、そうだ、と答えるだろう。エゴか、と問われれば、そうだ、と答えるだろう。そして、だから、なんだ、とおれは叫ぶだろう。
偽善だ、エゴだ。だから、なんだ。だから、なんだ。おれはこいつがロードから降りたら困るんだ、だから、止める。止めてやる。

おれを負かして、おれに勝って、星になっていつまでも、目の端にチラチラ輝いておいて、逃げるなんてそんなこと、ぜったいにゆるさない。

「お、れは、もう、ロードを…、」
「やめるのか。逃げるのか」
「逃げるだなんてそんな、でも、勝てないのに、負けつづけて罵られて、そんなことに、なんのいみがあるんだよ?」

いみか。とおれは言う。いみだ。と手嶋が言う。いみがないと走れないのか。とおれは言う。走れないよ、もう疲れたんだ。と手嶋が言う。

(ばかばかしい)

走りたいから。楽しいから。いみなんて、それだけでじゅうぶんだ。いみなんて、子どものときにはじめてロードを知った、あの瞬間から変わらない。そうだろう?
勝利の付随しない走りに価値などない。それはだれの思考だ?おまえの思考か?それは嘘だ。世間に流れる黒い川に飲みこまれているだけだ。昔のおれと同じように。黒い、粘ついた、泥の川にいるから、おまえは、そんな、ことを言う!

おれをその川から星になって掬いあげたおまえが!

「……いみなんて、おれが作ってやる。おれがおまえと走りたいから。それじゃあ、だめか」
「だめだ。おれは勝てない。インターハイでも、今までも、…おれは一回も勝てたことがない」
「おまえは勝つよ。おれは知ってる」

手嶋は、ハッ、と嘲笑して、おれを鈍く睨んだ。どうして、おまえがそう言い切れるんだ。
おれは、ハァ、とため息をついて、手嶋の前に目を合わせながらしゃがみこむ。

「おまえが世間から腐った卵を投げつけられても、おれだけは知ってる。おまえは星だ」

純太、おまえは勝つよ。おまえに負けて、おまえが憎たらしいほど光って見える、そんな、唯一の男に言われても、おまえは信じられないのか。

手をとって、一言、一言、言い聞かせるように。
手嶋はじょじょに目を見開いて、まるではじめて知ったかのように、おれの手を握り返した。

「そうか、おれはおまえに勝った…」
「忘れていたのか。ひどい奴だな」
「忘れてた、そうだな、どうして忘れてたんだろう。おれは、古賀公貴に勝ったんだ」

そうだ。おれに勝ったおまえが、無価値だなんてあるもんか。だれになんて言われても、胸をはって笑っていろ。ロードから降りなくてもいい。おまえはおれに勝った男だ。

「おまえだけはおれの星だ」



「唐突に、思い出したことがあるんだけど」

と手嶋が言った。それは今、言わなくてはいけないことなのか、と思いつつも、あんまりにも手嶋がにこにこ笑っているので、おれは、なんだ、と返した。

「おれがさ、おまえみたいなエリートがきらいだった理由だよ」

レースに負けると、勝った奴がキラキラ輝いて星に見えた、負けたおれは石ころで、惨めで存在にいみがないと思った。きっと、それは勝負してる奴、全員そうなんだ。勝った奴は星で、負けた奴は石ころで。みんな星になりたいんだ。石ころはつらくて、いやだから。だから、がむしゃらにがんばるんだ。それでも、ずっと石ころだった奴はつらくてつらくて、最後は、勝負そのものをやめるんだ。もう傷つかないように。

「おれは石ころだから、あのとき、おまえに星だって言われて、ほんとうにうれしかった」

唯一、白星をつけた相手だから、説得力もあったしな!
そう言って、ニッ、と手嶋は笑った。おれは、ハァ、とため息をつく。そういえば、二年前の今日も、同じようにため息をついた。

「こんなにたくさんの奴らの星になっておいて、なにを言っているんだか」

表彰台から望む空は秋晴れ。九月十一日。手嶋純太のキャノンデールは美しく、誇らしげに輝いている。

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