おれはおまえのとくべつになりたい。今もこれからもきっとずっとおれはおまえの「かたわれ」だけど、それよりもっと深い仲になりたい。たとえば、粘膜を交じらわせるような。

「二人で勝とう」

首すじを滴り落ちる甘い汗、吸いよせられて目が離せない。

(ああ…、純太、おれは汚い奴だよ)

夢だけを見据えて勝利を誓うおまえの横顔を見つめながら、おれはおまえの汗の味を想像している。
ごめんな、純太。おれは卑しい。おれは、おまえの汗の味を知りたいんだ。おまえの粘膜の抵抗を知りたいんだ。おまえは勝利の輝きを知りたい。おれはおまえを犯してやりたい。

(……汚い!)

ああ、純太、おれはひどい奴だよ。おれだってもちろん勝ちたい。渇望している、二人で、勝ちたい。
でも、おれにとってはその勝利も通過点なのかもしれない。おまえの心に住みつくための、通過点なのかもしれない。

純太、おまえはきっと微笑むだろう。あの15センチの表彰台の上で、両手を大きく掲げながら、隣のおれに微笑むだろう。最上の瞬間だ。これより気分がいいことなんて、ない。
それからの人生で、おまえはその瞬間をなんどもなんども思い出すにちがいない。
身体を締めつける疲労感、駆け抜ける風の匂い、汗の貼りつく太腿、そして、隣のおれの笑顔を。

おまえはおれの笑顔を忘れない。たった15センチ、それさえあれば、おまえはおれを忘れない。
そのための、勝利だ。おれたちが「二人」でいるための、勝利だ。

(……そうだ、純太、おれはおまえの心に住みつく染みになりたい。生涯、忘れることのない、一点の染みに)

だから、純太、おれは汚い奴なんだよ。卑しい奴なんだよ。
おまえが純粋に勝利の輝きを願っている今、おれは隣でおまえの身体を犯している。そのうえ、心までも支配しようとしている!

「二人で勝とう」

おれはおまえの言葉に頷く資格なんて、ないんだ。




−−−−−−−−−−−




おれは変態なのかなぁ、と思うときがある。わりと。頻繁に。
なぜなら、おれは恋人の匂いがすきだ。とくに精液の。

(いい匂いだ…)

事後、ベッドの中で微睡むことは、幸福の象徴だと思う。母親の胎内にいるような、おまえの管の中にいるような、安心する匂いに包まれて、ああ、幸せだ、と思う。
すぅと空気を吸って、口の中で味わう。純太の味がする。純太の匂いがする。残滴の香り漂うこの時間がおれはとてもすきだった。

(おまえの匂いなら、なんだってすきだ。汗の溜まった首すじも日の光が染みた髪も臍の垢の匂いだって、なんでも)

その中でことさら精液の匂いが、おれの鼻腔をくすぐるだけだよ。
だから、そんなに恥ずかしがらないで。

「あのさぁ、匂い嗅ぐの、やめてほしいんだけど…」

そんなおれは純太の残滓を嗅ぐのが癖だった。おれはいい匂いだから、とつい。と言いわけしたけれど、純太はもうとにかく恥ずかしくってたまらないみたいだった。
あと一回でも嗅いだら別れてやる、なんて睨まれて脅されたら、おれはその言葉に従うしかない。空気を吸うことしかできない。

「…花の匂いがするのに」
「誉めてるのか、貶してるのかわかんねぇよ」

がまんの限界だと訴えても、純太はだめったらだめと笑うだけ。おれは誉めているのに。貶してなんかいない。

「花の匂いって栗の花?」
「栗に花が咲くのか」
「知らねぇの?栗の花の匂い」

白い花が房みたいに咲いてさ…、その花の匂いがすっげぇ臭いの。ばあちゃん家に栗の木があって、だいきらいだった。精液の匂いを嗅ぐたびにその匂いを思い出すよ。そっくり。

純太は、噛みしめるようにそう言った。だいきらいな匂いが己から香るのががまんならない、という顔をして。

「…この匂いがいやか」
「いやだよ。くせぇもん」
「純太がきらいなもの、ぜんぶおれがすきになるよ」

それでもいやか。とそう訊けば、純太は目をぱちくりさせながら、恥ずかしい奴。と真っ赤になって呟いた。
ぜんぶが綺麗じゃなくてもいいよ。でも、それでも、綺麗でいたいなら、おれが代わりに愛してやる。

「あ、でも、嗅ぐのをゆるしたわけじゃないから」

な?と不敵に笑う純太は、笑う純太の、性格の悪い空気の匂いすらすきだから、おれはきっと変態なのだ。




−−−−−−−−−−−




「髪だけは染めないで」

泣きそうな瞳でおまえがそう言ったから、おれは黙って頷いた。

晴れた日の卒業式、まだ肌寒い空、桜の木の下。

青八木、おまえがおれのことすきだって、おれは気づいてたよ。おまえは嘘がへただから。
おまえも知ってた?おれがおまえがすきだってこと。おれは嘘つきだから、おまえは気づいていなかったかな…。

ねぇ、青八木、おまえは片想いなら隠していようって思った?おれは両想いでも隠しておこうって思ったよ。
なんでだと思う?きっとおまえはわからないだろうね。でも、一生、わからないままでいい。

「わかった。染めねぇよ」

わかったよ。おまえがおれに会うたびに、初恋の苦味が蘇るようにずっとこのまま生き抜いてやる。

おまえはおれを縛りたくなかった。おれもおまえを縛りたくなかった。だから、想いを告げずに卒業する。
でも、おまえは今、無自覚におれを呪った。髪だけは染めないで。おれの青春のまま、いつまでもそこにいて。

わかったよ、青八木。わかった。いいよ。おまえの望みどおり、硝子のケースの中で微笑む、人形みたいに、髪だけは黒のまま、ずっとずっとずっとこのまま。
おまえが大学生になっても二十歳になっても社会人になっても夫になっても父親になってもよぼよぼのじいさんになっても、縛られつづけてやるよ。呪われつづけてやるよ。

(おれは……、)

おまえに縛られたいんだ、青八木。

おれのほうがおまえより、やらしくて汚い気もちを抱いてるんだよ。

「ほんとうか」
「約束する。髪だけは染めない」
「そうか…」

安心した?でもね、青八木、おれは汚いから、おまえはその髪をいくらでも染めていいんだ。
なぁ、おれは縛られたいよ。おまえを縛りたくないけれど。

おまえは髪を染めていい。変わっていい。おれはおまえに硝子のケースを被せないよ。
めまぐるしく変化して、おれを絶望させたって、いいんだ。

空高く、桜の蕾、呪いの言葉。




−−−−−−−−−−−




もう足を踏み入れることはないと、踏み入れてたまるかと、思っていた、誓っていた。が、父親という生きもの、娘がちょっと拗ねてみせれば、信念はがらがらがらがらがらがらん。
ここは千葉県、夢の国、四歳になる娘の頭の上ではプリンセスのティアラがきらきら光る。

(……八年ぶり、変わらないな、)

昔、八年前、大学生、恋人と訪れた春のまま、国は存在していた。天を刺す白い城も、おどける着ぐるみも、笑いあう恋人たちも。
変わったのは、そうだな、左隣でスキップをしているのが、恋人の男から娘になったくらいか。

「呆れた…」

飽和していたのだ。男との関係が。もう砂糖が水に溶けなくなってしまった。それは、結婚、妊娠などという関係が変化する行事が男と男の間にはないからだと思う。飽和して飽和して、底に溜まった砂糖の粒が砂漠になって数年、経って、だから。
と言っても、ゆきずりの女を抱いて子どもを作った言いわけにはならないけれど。

「子ども…?そんなこと、ええ?」
「……悪かった」
「いいよ、いい。…それで、どうするつもりだよ?」
「堕ろさせる」
「……彼女はうんと言ったのか?」
「彼女だなんて…、いやだと言っても堕ろしてもらわないと、」
「呆れた…」

女が孕んだときに男ができることは二つしかないよ、女の腹を殴るか、女の人生を背負うか。

「なぁ、一、おれが恋したおまえはきちんと男の責任をとれる男だよな?」

泣いてわめいて責めてくれたほうが何倍もよかった。殴って引っ掻いて髪を千切って、女を抱いたなんて、子どもまで作ったなんて、ひどいひどいひどいひどい、でも、愛してる。
男はおれの期待を裏切って、責めてもくれなかった、泣いてもくれなかった。責任をとりなさい。そうやさしく道を示した。

そうだ、男は道を示して…、おれの結婚式で友人代表の挨拶をすませた帰り道、通り魔に肺を刺されて死にました。

「そんな恋人と夢の国の幽霊の館で再会するなんてだれが予想しえただろう」

あってる?心の中が読めるなんて、幽霊ってべんり。
ふふ、と笑った男はあの日のまま、若く澄んでいた。

「あってる、けど、なんで…」

娘に手を引かれて訪れた幽霊の館でふいに肩を叩かれた。ので、右ななめ後ろをふり返ると、大学生の男が、純太がいた。

「ああ、声に出さなくていいよ。思うだけで伝わるから。なんで?わかんない。楽しかったからかなぁ。おまえと二人でいたときの、一番楽しい思い出だから?」

子ども、かわいいな。
娘の前にしゃがんで頬を両手で包む、純太の瞳は慈愛に満ちていた。なぜ、と思う。憎くはないのか、おれがおまえを裏切って作った子どもだぞ、おれたちの関係を壊した象徴だぞ、と。

「おれだっておまえを楽にしてやりたいよ。でもな、一、責められない。だって、命が産まれるのは尊いことなんだ」

丸い椅子に娘と二人で座る。その間に浮かんだ純太が、おれの耳もとで囁く。

「じぶんで責任をとるのが一番楽な方法だから、おれはおまえに結婚しろと言った。男と男とでは産まれない尊い命を守るために、おれはおまえに結婚しろと言った。それなのに、おまえはまだおれに責められたがってる。わかるよ、一番楽な方法はじぶんで責任をとることだと言ったけど、あれは嘘だ。ほんとうは責めて責めて責められて、つらくてつらくて他人に責任を転嫁して、つらいつらいといつまでも、後悔の沼に溺れることが一番楽で心地いい」

椅子は進んでいく。娘の高揚した声が響く。純太はおれに囁きつづける。

「でもな、一、それじゃあ進めない。おまえは生きてる。なら、進まなきゃ。だから、おれはおまえを責めないよ。それに、責められない。責めることなんてなにもない。おれはおまえに子どもができたと聞いたとき、心の底からうれしかったんだ。おまえの子どもを孕んでくれた女を恨めるだろうか、おまえの遺伝子を継いだ娘を憎めるだろうか。おれには恨めなかった、憎めなかった。だから、おれはおまえを責めないよ」

もうすぐ出口だ。娘が、お父さん、ここで写真を撮るんだよ!と叫ぶ。つづくように純太が言った。さようならだ、一。

「幸せになってくれ」
「残酷なことを言うんだな」
「ああ、おまえを愛しているからね」

一、一、愛しているよ。だから、どうか死ぬまでずっと、責められたくても責められなかった、どっちつかずの生き地獄を堪能してくれ。

「ほんとうに、残酷なことを言うんだな…」

そうだ、おれが恋した男はひどい、ひどい男だった。死んでも、心を安住させてくれやしない、やさしく縛りつづける、そういう性質の男でした。

「きゃー!幽霊がいるー!」
「どこ?」
「もう、お父さん!真ん中だよ!」
「ああ、ほんとうだ。幽霊がいる」

おれには見える。青年の幽霊が。波うつ黒髪をなびかせながら、彼は言うだろう。

「一、一、愛しているよ。一、一、おれはおまえを責めないよ。一、一、おれはおまえをゆるさないよ」




−−−−−−−−−−−




別れたいので別れるのである。それ以上もそれ以下もない。ただただ別れたい。

「いざ、さらば」

卒業式のように荘厳にはっきりくっきり明確に、さようなら、と、なぜ、

「いやだ、ぜったいに別れない」

ならないのはなぜ、なぜ。

「青八木、わかってくれ、頼むよ」
「わからない。わかりたくもない」
「いやになっちゃったんだ」
「おれはなっていない。だから、この話は終わりだ」

そう言い放ち、キッキンのテーブルからすっくと立ち上がった男の背筋は正しい。
正しい。正しすぎるくらいに。

正義とは暴力だ。

「…おれがおまえのどこをいやになったか訊かないんだな」
「どういう…?」
「歩みよる気がないんだってこと」

おれはおまえの言うことをぜんぶ鵜呑みにして、それでいいの、おれの考えはおまえにとってどうでもいいんだ?

「そうじゃない。わかるから、話さなくても」
「わかる?」
「ああ、純太もおれのことがわかるだろう?」
「読んでるだけだ。わかるわけない」

青八木、わかるってなんだろうな。お互いをすみのすみまで見透かすことなんてできるはずないのに。いつから驕っちゃったんだろう。理想の中に生きてるって信じこんで、いつから怠っちゃったんだろうな…。

「おまえは感じていないかもしれないけど、もう拗れて捻れて、千切れるギリギリのところまできてる。おまえが悪いわけじゃない。おれが悪いんだ。だからさ、」

別れてくれよ。そう力なく笑って懇願したけれど、これ以上、おまえがその話をつづけるつもりなら、おれは力づくでおまえを黙らせなくてはいけなくなるが、いいか。なんて、

「……わかったよ」

なんて、言われて、ああ!だめだね、もう、千切れて別れる他はない。




−−−−−−−−−−−




「青写真」あなたは言ったいつまでもおれの知らない言葉教えて

長くなるおまえの髪にほっとするうなじはおれのおれだけのもの

どこまでも二人で行ける信じてた今はただただそれが悲しい

いつまでも幸せのまま二人きり世界の果てまでそう信じてた

弦の声細い身体にうねる髪熱い吐息と深淵の瞳

信念が刺さる背骨と薄い膜影から聴こえる燃える魂

青色のシャープペンシル使ってるおれに恋した冬の空から?

かわいいねうなじを触るだけでほらまっ赤になって照れてるおまえ

気もちいい薄い唇とけてゆくはなしたくないはなれたくない

絡みつく髪に絞められ死にたいと殺されたいと青い黒髪

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