拝啓、わたしのよすが



「もしも、わたしが女で、妻という正当な立場であったなら、肉が削がれてゆくこともなく。

(……わたしは男です)

すきな男がいます。二十二年間忘れられなかったぐらいにはいい男です。わたしの人生を軽やかに奪った、いい男。
そして、男には妻がいました。美しい女でした。顔や身体だけではありません。心も美しい、父と母に愛されて愛されて、愛という綿に包まれて、桐の箱に入れられて育った、女でした。
わたしは男がすきでした。ですから、わかってしまったんです。一目見た瞬間から。ああ、男はこの女の綿になりたいんだと。桐の箱をやりたいんだと。そうです。一目で、見抜いてしまった。

皮肉ね、愛すればこそ。

すばらしい結婚式でした。女は女の両親だけでなく、義両親にも愛されていました。男の家の系譜にきちんと組みこまれていました。脈々とつづいていく、家、家という概念、血筋、血、繋がり、糸、系譜にきちんと組みこまれて、織られて…。
わたしは笑って拍手をしながら、腑が煮えたぎるほど羨ましかった。男の人生を間近で見つめる権利が、男に人生を間近で見つめられる権利が、男の子どもを産める権利、男に身体を暴かれる権利、妻という正当な立場だからこそ得られるすべてすべてが、羨ましくてならなかった。
あんまりにもたくさんのことが羨ましかったから、きっと一番羨ましかったことが、二十二年も見えなかったんだわ。

きちんと結婚した夫婦はきちんとした期間できちんとした子どもを産み、きちんとした不慮の事故できちんと即死いたしました。
二歳になった息子を男の親に預けてドライブ、薬で狂ったロッカーに横から激突、からの、玉突き、で、即死、です。
阿鼻叫喚の地獄絵図とはまさに、あの夜のことを言うんだろうなぁ。知らせを受けて病院に行って肉片を見て、すぐにあいつだってわかった。じぶんの愛の重さに、ちょっと引いたね。
でも、誇らしかった。おれのこの愛ならきっと、きっと綿になれるよ。

わたしは男の子どもを引きとりました。女によく似た子どもでした。ですが、ところどころに男の破片が見つけられて、わたしにはそれこそが重要でした。というよりも、それだけしか重要ではありませんでした。今、この世界で一番、この生きものが男に近い。ならば、ならば、と。
恋のよすがに育てます。恋のよすがにできるなら、金などいくらつぎこんでも、安い。そう、断言できました。

ああ!しかし、子どもが幼いとき!わたしはなんど殺してやりたい殺してやると殺意が脳を駆け巡ったかわかりません。子どもには男の破片が散りばめられていました。が、それをかき消すほど女の性質が輝いていました。
わたしは女が腑が煮えたぎるほど羨ましかったのです。腑が煮えたぎるほど憎かったのです。生きたまま奴を引き裂いて、豚に食わせたこと数回、数十数百数千、ああ、憎い。その女の遺伝子が指で潰せるほどの弱さで隣で寝ている。
どうしてもがまんがならなくなって、濡れたガーゼを顔に被せたことがあります。子どもが苦しそうに呻くまでの数秒が永遠にも思えた。うう、うう、という呻き声が男の低い声に似てさえいなければ、子どもはきっとそのときに死んでいたでしょうね。

いつもそうでした。女への憎しみに腑を焦がすたびに男の破片が顔を出す。
なぁ、おまえは死んだあともその女を守りたいの。そんなにその女を愛しているの?

さて、よすがに育てた息子が言います。おれ、最近、父さんに似てきた、って言われるんだ。わたしは返します。そうか。

そうか。ふざけないでくれ。やめてくれ。おれになんかに似ないでくれ。似なくていい。他人でいい。家族なんて糞食らえだ。
男のよすがに育てているのに。そのためだけに育てているのに。女の性質はあいかわらず燦々と輝いているのに。おれに似てきた?やめろやめろやめてくれ。男の破片が消えてしまう。男が世界から消えてしまう。やめて、いなくならないで。

息子(便宜上そう呼ぶ)の小学校四年生の運動会でのことです。リレーで一位をとった息子はわたしに向かって大きく大きく手を振りました。男ならば、わたしを見つけて、すました顔で微笑むでしょう。男ならばぜったいに、大きく手を振るなんてことはしない。
よすがに育てているのにな。よすがに育てているのになぁ。

わたしは「甲斐がない」と思いました。女に似ていてわたしに似てきて男の破片は消えていく、よすがに育てている甲斐がない、と。

が、今さら捨てるわけにもいかず。男、女、そして、わたしの六人の両親たちは息子をたいそうかわいがって、わたしをたいそうありがたがってくれていますから。世間体というものがあります。甲斐はない。しかし、育てぬわけにもいかない。しかたがない。と頭を掻いて、あーあ、と欠伸をして、育てていくしかないのだ。
と思っていた、思いこんでいた。よすがに育てていたのだと。よすがに育てた甲斐がなかったが、ここまできたら捨てるわけにもいかないと。
ちがった。おれがほんとうにほんとうに、一番羨ましかったことは。

「おれ、早く結婚したいんだ。父さんに、おれだけじゃない、家族を増やしてやりたいんだよ」

大学を卒業し、就職し、家を出た息子が、こたつに潜ってお節のかずのこをつまみにちびちび日本酒を舐めていた息子が、そう言ったとき、わたしはわかったのです。わかってしまったのです。わたしが一番羨ましかったこと。わたしが息子を育てて、一番得たかったもの。

わたしは男の家の系譜に組みこまれたかったのです。

脈々とつづく、家、血筋、血、繋がり、糸、系譜、そういう大きな流れに、組みこまれて、織られて、一つのよくわからない生きものになりたかった。男の人生なんて生ぬるい。その背後にあるものになりかった。男の人生をいずれ飲みこむ大きな生きものになって、歴史になって、後世に継がれていきたかった。男とともに。男とともに。

それになれる女が羨ましかった。男の子どもを育てれば、それになれると思った。それになれると信じていた。
だけど、わたしは気づいてしまった。女に生まれて、男の子どもを産むことだけが、系譜に組みこまれる唯一の手段なのだと。結婚妊娠出産、それだけが、男とともに生きものになる、唯一の手段だった。

わたしがわたしとして産声をあげたその瞬間から、わたしの欲望は叶えられない運命だった。

運命は変えられません。ですから、さようなら。もう会うことはないでしょう。あなたとすごした二十年は、わたしにとって、むだな時間だったようです」

ザッと目を通して、苦笑する。こんなものこの世に存在しないほうがいい。軽快にコンロで燃やした。書くのは数日。燃えるのは数秒。読み返せるようになるまで数年。人の命も同じだ。

「古賀さーん、古賀公貴さーん」
「あっ、はぁい、今行きます」

去年の暮れに風邪をこじらせてから、肺がやられたらしく、こうやって定期的に受診をするようになった。どうやら医者に、放っておくとすぐ死ぬ、と判断される年齢になってしまったらしい。さらに、一人暮らしの身内なしときたものだ。ははっ。
名まえを変えて数十年経つが、未だに慣れない。

「あらら、古賀さん、髪の毛が」
「雨だと、湿気でこうなっちゃうんですよ」
「くるくるですねぇ。古賀さんは髪がたっぷり残っているから羨ましいなぁ」

額が後退しはじめた医者が言う。男が今も生きていたら、この医者のようになっていただろうか。わたしはどんな姿になっても男を愛せる。
と思うだろう。あの二十二年、この数十年、日常のどんな些細なものでも男に結びつけて考えずにはいられなかった。けれど、今朝、わたしは恋を燃やしたのだ。存在を消したのだ。だから、もう、結びつけて考えることはない。

「最近、妻と娘が、ぼくの頭を見て言うんですよ。お父さんかっこ悪い!って。それにぼくは、ぼくの祖父も父もこうだった。血筋なんだ、しかたがないだろう、って」

世界は系譜で溢れている。あの便宜上の息子と同い年の医者を、目を細めて見る。だれもがいずれ、大きな生きものの一部となるのだ。そして、愛する男と一部になれるのは、女だけなのだ。

それはどうしようもできないことで、そういうふうにできているのだ。

それに気づくのに二十二年もかかってしまった。そして、恋を燃やすのにさらに数十年かかってしまった。

(だから、もう、あとは死ぬだけなんですよ)

医者に問う。

「わたしはいつ死ねますか?」

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