次の駅で降りましょう
毎日毎日夜中まで働いて泥になってなってなって、そういえば、何年恋をしていないんだろう。
と、考える、電車の揺れに身を任せながら、アイアム疲れたOL、もうすぐ三十路です。
(世の中、クソ、ばっ、かり)
スマホで新婚の女友だちの愚痴(と見せかけたのろけ)に呪怨をこめて返事を打っている今、右隣の中年サラリーマンの口臭で鼻がもげそう、左隣のかわいい女子大生が肩にもたれてきて重い、正面の20代と思しきカップルの乳くりあいが不愉快、ああ、なにもかも!全員殺してやりたい!
「あっ、は、まにあった、」
「走らなくても、よかっただろ、う、気もち悪い…」
飛びこみ乗車してきたのはわたしより少し若いサラリーマンの二人組、カップルが奥に詰めて、二人はわたしの前に立つ。一人は眼鏡をかけた背の高い、もう一人はパーマのかかった髪の童顔の男だ。ああ、酒臭い、そうか、今は四月、新人歓迎会帰りか…。
「あ〜、飲んだ〜」
「飲まされたのまちがいじゃない?」
「それはおまえだろ?ザルなんて、おもしろがられて一気させられたりとか?」
「あたり。おまえは?」
「同期がされてたよ。べろんべろんになってた」
「ふふ、帰ったらセックスしようよ」
眼鏡の男の言葉に、ん?と思ったのはわたしだけではないようで、パーマの男も、ん?という顔をしていた。さらに言えば、左隣の女子大生もピクリと動いて頭を正位置に戻し…、二人の周りはほぼ全員、ん?という顔をしていた。
それはそうだろう。目の前の二人組はどう見ても男である。ああ、ゲイなのね、そうは見えないけど、と素直に思えるほどわたしは慣れていなかったので。
「なっ、に言って、おまえ、酔いすぎ」
「そのままだけど、だめ?」
「ばか、電車で言うなって」
「じゃあ、電車じゃなきゃいいってこと?」
「だから…、」
はっきり言います。興味津々で二人の会話を盗み聞きしています。だって、こんな堂々と、なかなかあることじゃないじゃない?女友だちののろけを既読無視して、集中する。この二人はどんな関係なんだろう?ずいぶん親しいようだけど、いっしょに暮らしているんだろうか?
「次の駅で降りてさ、タクシーで帰ろう」
「まてまて、ここからタクシーでなんて、五千円ぐらいかかるぞ。もったいないだろ?」
「ばかだなぁ、」
すきな男とすきなときにセックスすらできないで、なにが社会人だよ。なんのために働いてるって、こういうとき思うがままに行動するためなんじゃないの?
ヒュウ、と口笛が鳴った。二人の隣にいる例のカップルから。
わかる。わたしも口笛を吹きたい気分にさせられたから。カップルとハイタッチしたいくらい、高揚。かっこいいね、眼鏡のお兄さん!羨ましいよ、パーマのお兄さん!
「…ッ、知らない!」
おい、パーマ!そこは流されるところでだろう!左隣から、わかってないなぁという空気が漂う。わたしもそう思う、と漂わし返す。ですよね。ね。わたしだったらすぐ降りちゃう。わたしもわたしも。どうなるんだろうね?ね?
「…お、」
「えっ、」
まさかね、キスとするとは思わないじゃない?
眼鏡の男がパーマの男の顎を右手人さし指でクッ、と上げて、ディープキス、あら、もう、まさかまさかね!あんまりにもびっくりしたから、女子大生と顔を見合わせちゃった。あーららら、パーマの男、目がとろんとろんになってきちゃって!
そして、シュルルン、と扉が開いて、降りるなら今!というタイミングで眼鏡の男は訊きました。
「どうする?」
パーマの男は口もとを緩ませながら答えます。
「降ります…」
答えを聞くやいなや、颯爽と改札へ向かう二人組、しばし間、のち、車内は騒然。
わたしは、改札を見つめながら誓いました。たぶん、わたしと同じような、淋しい女は全員、こう思った。
(恋がしたい!)
既読無視した女友だちののろけに返す。わたし、エステに通おうと思う。綺麗になって自信がもてたら、すてきな恋ができる気がする。