「おまえ、綺麗な顔してんなぁ、」

初夏の蒸されたロッカーの前で、あるいは、真冬の冷えたベッドの上で。おれの目を、目の裏を覗きこみながらあなたは言う。

「王子さまみたいだ」

陳腐だ。ばかな女どもがおれに言う、かっこいい、王子さまみたい、と同じくらい陳腐で、安い。
でも、この人の言葉はどうしてだ、揺さぶられる。まるでおれがほんとうに王子さまみたいに。

おれはじぶんの容姿について考えたことなんてなかった。周りがきゃーきゃー騒ぐから、たぶん周りよりは良いんだろう、くらいで、鏡で顔をじっと見つめるのなんて、十七歳の初夏がはじめてだった。

「綺麗ですかね」
「ん?綺麗だよ。わかんないかなぁ、でも、そんなものなんだろうね」

おれにはわからなかった。いくら顔を見つめても、おれはおれでしかなかった。美醜、その感覚をおれは今でも知らないままだ。

「おれ、わからないんで、かっこいいとか、かわいいとか…、」
「顔の?」
「顔の」
「宝石を綺麗だなぁ、って思うのと同じだよ。おまえの顔は、」

目の保養。そう言った、十七歳のあなたの言葉が本音なんじゃないですか。目の保養が身体の保養になっただけで。あんたはおれのことなんて精巧な人形くらいにしか考えてないんだ。
そんなこともわからなかった。宝石に例えられたことが、十七歳のおれはただただ誇らしかった。
ばかだった。おれはほんとうにばかだった。あんまりにもばかだったから、あんたみたいなひどい奴をすきになっちまったんだ。

「手嶋さん、」

身体の保養はやめよう。おれはもう、あんたの言葉に騙される人形じゃないんだ。

「ああ、綺麗だ、綺麗だ、おまえは綺麗だなぁ、」

おれでも、うっとり、おれの頬を撫でながら、うわ言のように呟きながら、あんたがおれを誉めるから、いつもおれはそれが底なし沼だと知っているのに、足を踏み入れるんだ。




−−−−−−−−−−−




「なぁ、すきって言って。でも、おれを抱きしめないで、頬を叩いて」

矛盾した感情を他人に押しつけることを恋と呼ぶのなら、今、おれはもっとも恋らしい恋をしていると思う。

ある夜、年上の恋人はおれに快楽を教えた。16歳の男子高校生がそれに溺れるのは必然で、ねぇ、手嶋さん、あんた、それをわかって身体を武器にしたでしょう。

(ひどい人だ…)

年上の恋人は、手嶋さんは、おれを溺れさせたあと、対価に愛と侮蔑を要求した。おれの身体が欲しいなら、おれに愛を囁いて、でも、愛さないで、蔑んで。
それを聞いた瞬間、道をまちがえたと思った。それでも…、あんたの湿った穴が手に入るならなんだってしてやるとも思ったよ。

「穴があればいいのか、ふふ、最低…」

ふしぎなことに、なんども愛してると囁いていたら、いつのまにかほんとうに手嶋さんのことがすきになってしまった。
ので、おれは焦った。だって、こんな関係よくないだろ。

でも、きちんとつきあいましょうよ、おれたち。なんて口に出そうものなら、手嶋さんはおれの手から去っていく確信があった。それだけは避けたかった。
慈しむように抱きたい、見下してなんかいない、行為後に罵られるのはいやだ。
けど…、おれには現状を変えるすべはない。支配者は手嶋さんで、欲に目が眩んだおれは奴隷だ。手嶋さんの心を痛めつける道具だ。

「これは恋だ。もっとも恋らしい恋だ」

そう念じていないとやってられない。こんなに矛盾した感情の渦に居つづけることなんてできない。こんな関係はよくない。わかってる。
それでも、おれは、あんたがすきだし、救いたいとも思っているんだ。

「救う?なにそれ…、神さま気どり?」

手嶋さん、あんたはきっとばかじゃないのと嗤うだろうけど。




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「ほくろ、」

性器に唾液を絡ませていたあなたが急に、急に、そう、まるでシャボンを割るように空気を割いたから、おれは眉間に皺をよせました。今のこの、性交渉につづく道から逸れてまで、言わねばならない言葉なのかと。
ほくろ、ですか?と眉間に皺をよせたまま、彼のうなじに垂れる髪を掴みました。いいから、早く舐めてくださいよ。指に力を込め、訴えてはみたものの、彼の興味はすでに小さな染みに移ってしまったようでした。
その証拠に彼はわたしの陰毛を一つ、ぷちりと抜きました。黙れとでも言うように、華麗にぷちりと抜きました。
なので、わたしは黙るしかない。主導権は彼の手にある。

「ほら、ここ。脚の付け根に」
「影になってわかりませんね」
「ここだよ」

そう言って彼はわたしの右脚の付け根に口づけました。やさしく、そして、吸いつくように、最後に薄い舌でべろんとひと舐めして、上目でわたしを見つめます。わかった?

はい…、とてもよく、とてもよくわかりました。

このように、わたしは彼に流されていく。今や性器に刺激はいらず、脚の付け根に痕を残してほしいと思う。

「……星って、一番はじめに見つけた人の名まえをとるだろ?」

星だっけ、花?まあ、なんでもいいや…、だからさ、このほくろの名まえは純太、おまえのほくろの名まえは純太。

脚の付け根に濡れた唇を這わせながら彼はそう言いきりました。おまえのほくろの名まえは純太。
わたしの背筋はぶるぶる震えました。彼の官能に浸る瞳にでしょうか、彼のぬるい唇にでしょうか、彼の汗が滴る首にでしょうか、いいえ。いいえ。彼の呪いの言葉にです。

身体に名を刻まれたらもう最期だ、日常までも縛られて、あなたのことが忘れられない!

右脚の付け根の星を目に入れるたびにあなたのことを思い出してわたしはわたしは…、どうなってしまうんだろう…。おそろしい、けれど、支配されることが喜びにもなる、ああ、わたしはいったいどうなって…、ぶるぶる。
おお、こわい!こわい!なんて、楽しい遊びに引きずりこむんでしょうね、あなたは、あなたという人は!

「手嶋さん、あの、おれ…、」

もう辛抱たまりません。彼の頬を両手で包むと、彼は鼻をくふんと鳴らしてくれました。まるで機嫌のいい猫のようなふるまいでした。
そうです。彼は、猫のように気まぐれな人でした。ですから、わたしに名を刻んで、満たされてしまったのでしょう。それから、一切、わたしに肌をゆるしてくれなくなりました。

右脚の付け根の純太は今も鈍く輝いています。




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すきだと言われて、一拍空いておれもですと答えて、そのあと、流れるように唇を合わせてから一週間。
おれは今、追いつめられている。

「信用してるんだ、おまえのこと、だれよりも知ってるから」

あの人は、もうやめようか、と呟いた。蝶のように身体を壁にとめられながら、もうやめようか、と。微笑んで、恋人ごっこはもうおしまい。
なんでですか、とおれは声を荒げた。まだこれからでしょう、それにごっこってなんですか、おれに失礼なんじゃないですか?

「失礼?失礼なのはおまえだろう。おれのこと、すきでもなんでもないくせに」

あの人は笑っていた。責めるような声音でもなかった。ただ、淡々と事実を報告する機械のように冷めていた。そうだろ?と上目遣いをして、おれの頬を撫でる。綺麗な肌。呟いた言葉は甘かった。

「そんなことないです」
「いいよ、隠さなくて」
「嘘じゃないです、隠してなんか、」
「いいんだ、知ってるから」
「手嶋さん!」
「今泉、」

信用してるんだ、おまえのこと、だれよりも知ってるから。

おまえの走りも速さも勝負強さも、頭が悪いところ短気なところ人と関係をもつのが苦手なところ、ぜんぶ、信用してるんだ、だから、おまえがおれをすきじゃないことも、信用してる。ずっとおまえを見てきたおれの経験を、信用してる。だからさ、

「もうやめようか」

たった一週間でもうれしかったよ。おまえが好奇心と少しの性欲でおれに興味をもってくれて、おれなんかに、うれしかったよ。うれしかった…、でも、これ以上はつらいから、だから、恋人ごっこはもうおしまい。

「ばいばい」

あの人の、肩をきちんと縫いとめられていたと思っていた。おれの力であの人を捩じ伏せられると思っていた。
けれど、あの人は、咄嗟に空いた一拍で、すべてを察してしまったのだ。




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「はははおどろいたおどろいたおどろいたおどろいちゃったよ今泉、おまえおれの内側に住めると本気で思ってんの?」

手嶋さんには壁がある。透明で少し赤くて無機質な、硝子のような壁が。脆そうで、割れそうで、割ったら死んでしまいそうで、踏みこみたいけど踏みこめなかった。だから、壁に触ることもせずに、近くに立って眺めていた。それでいいと思っていた。それしかできないと思っていた。

「触ってみる…?」

のに、あんたが気まぐれに落とした手を掴んでしまった。引かれてしまった。壁にあたった、柔らかかった。硝子?いいや、ぬるくて甘い、ただのゼリーだ。

(甘い…、柔らかい…、ぬるくて…、まるで口内だ…)

ゆるいですね、もう少し抵抗してくれないと困ります。抵抗?なにに?素顔をおれに見せることに?疲れた顔を晒すことに?なにに、なににだ…?

「疲れた喉渇いた歩きたくない、ジュース奢って、ねぇ、」

硝子であってほしかった。脆くておそろしい硝子であれば、こんな、深入りすることも、ゼリーでぬるくて柔らかかったから、こんな、ずぶずぶずぶずぶ、

(キ、ス、してぇ、なー、ちく、)

しょう。8cm下のつむじを盗み見る。歩くたびに上下して、今夜は機嫌がいいなと思う。昨夜は一言も喋らなかった。一昨夜は背中を三回触ってきて、その前は…。
ああ、なぜだか、毎夜毎夜、おれと手嶋さんは帰路を共にしている。なぜだか、そんなことになっている。なぜだか。
そして、このままどんどん、

ずぶずぶずぶずぶ、深入りしていく。ずぶずぶずぶずぶ、引きこまれていく。ずぶずぶずぶずぶ、踏みこんできてもいいよと、それはオーケーサインと見做しちゃってもいいですよね?

「キスしてもいいですか」

おれを引きずりこんだのはあんただろう。だから、おれは悪くないんだ、と。そうじぶんに言い聞かせて、震える声で尊大に、言ってみたら、はははおどろいたおどろいたおどろいたおどろいちゃったよ今泉、おまえおれの内側に住めると本気で思ってんの?

「…は、」
「気まぐれに甘えてみたら…、おまえってほんとうにばかだな、かんちがいしちゃった?」

まさか、ぬるいゼリーが肺を刺す、硝子に変化するなんて、だれが想像できただろうか?

「おれに、心を…、ゆるしてくれたのかと…、」
「はっ、まさか」

手嶋さんは鼻で嗤って、おれがおまえに?と言った。そんなことあるわけないだろ、と聖母の瞳でおれを見ていた。そんなことあるわけ…、

「年下の、頭の悪い男の子をからかって、生殺しにして遊んだだけだよ」

おもしろかったよ、おまえがおれにおれなんかに、ずぶずぶずぶずぶ、嵌っていくのを見るのはね。
ウインクしながら軽快に言われてしまって、絶望。

(でも、ああ、そうか…、)

この人はこういう人だった、この人はこういう人だった。なにをかんちがいしていたんだろう。
この人のまわりにある壁は、この人を刺す硝子じゃない。はじめから、おれの肺を刺す硝子だったじゃないか。




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あいつには才能があるおれにはないどうしておれはあいつがいいの

さようならもう会いませんそうだねと言ったら泣くの?慰めないよ

知られたくなかったぜったいおまえだけおまえだけには知らないふりして

なにもかも忘れて今はおれだけを感じて見つめて泣いてください

耳たぶに知らない穴が空いているだれが空けたのおれが空けたの?

空けられた穴は今でもじくじくと膿みつづけてる産みつづけてる

必要とされたいだけだ必要とされて隣を走りたいだけ

隔たりが憎いと思う隔たりを抱きしめたいと思ったりもする

四年間見つめつづけて五年間そして六七八九十と

たとえばの話はぜったいしてくれないたとえばベッドで食べる桃など

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