だいすきなあなた、魔法をかけさせてください。
だいすきなあなた、呪文を唱えさせてください。
だいすきなあなた、シンデレラにさせてください。

「純ちゃんって、すごい!」

おれはきみの魔法つかいになりたかった。きみがいつもおれに魔法をかけてくれるように、すてきな呪文を唱えてくれるように、頭に積もった灰を払い落としてくれるように、おれもきみの魔法つかいになりたかった。
きみはおれの魔法つかいで、おれもきみの魔法つかいになりたかった。

「純ちゃんって、すごい!」

でもね、きみはおれが呪文を唱えるといつもいつも、胸に棘が刺さった顔をする。痛いよ、そう目尻の皺で呟く。
まただ、また失敗した。おれはきみの魔法つかいになれない。

「幸せにしたいの。幸せにしてくれたから」

どうしてだろう?おれはきみの「すごい!」に助けられてきて、救われてきて、見つけられて、抱きしめられて、幸せで、だから、きみにもおれと同じ気もちになってほしくて、どうしてだろう?同じ呪文のはずなのに、どうしてきみには刃になるの?

「おれはすごくないよ、おれなんか、おれはすごくない」

すごくなんてないんだ、ときみが絞り出すように発した言葉が離れない。棘が心臓を貫通しちゃった、みたいだ、どうしよう、きみと同じ呪文だよ、きみがおれを幸せにした呪文だよ、なのに、どうしてきみには刃になるの!

「わかんないよ。だって、だってだってだって、純ちゃん、きみはすごいんだ」

きみはおれの魔法つかいで、その呪文で、おれを一人から二人にしてくれた。いつだって、手を引いてくれた。自転車と走る楽しみと夢を教えてくれた。背が高いおれをピアノを弾くおれを、かっこいいって誉めてくれた。

それってすごいことなんだよ。
だれにでもできることじゃないんだよ。
きみだからできたことなんだよ。
きみの魔法が、おれをシンデレラに変身させてくれたんだよ。

だからね、こんどはおれがきみの魔法つかいになりたいの。こんどはおれがきみをシンデレラに変身させてあげたいの。
でもね、おれにはきみがくれた呪文しかなくて、それがきみにかからないなら、もうどうしようもできなくて、

「だけどね、」

おれはやっぱりこの呪文をきみに唱えつづけたい、唱えさせて。
だって、ほんとうにすごい魔法なんだ、ほんとうにすごい呪文なんだ。おれはそれを信じてる。
そして、きみのことも信じてるから。心の底から信じてるから。

「純ちゃんって、すごい!すごいよ!」

この呪文が刃になって、きみの心臓を引き裂いても、きみは大丈夫だって、頭の灰を払い落とせるって、信じてるから。

だいすきなあなた、魔法をかけさせてください。
だいすきなあなた、呪文を唱えさせてください。
だいすきなあなた、シンデレラにさせてください。




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ありがとねありがとねありがとね、ありがとね、ありがとね、ありがとね、ね。

夢の狭間にさようなら。今日のあなたもすてきでした。きっと明日も明後日も、その次だってすてきでしょう。神経質な長い指、薄い筆圧、よれた教科書。ぜんぶがぼくの宝もので、きみの存在は永遠になる。
選んでくれてありがとう。きみの隣にいる権利、選んでくれてありがとう。うれしい。とっても。天使のラッパが響きます。ファンファーレの雨の中、ぼくらは二人、手を振ろう。

幸せです幸せです幸せです、幸せです、幸せです、幸せですよ、ね。

小学生のおれ、小学生のあなた、泣いてばかりいたおれ、慰めてくれたあなた、綺麗な楽器を教えてくれたあなた、夢を教えてくれたあなた、照れくさそうにはにかんで、おれはあなたに恋したんです。
中学生のおれ、中学生のあなた、高校生のおれ、高校生のあなた、大学生の社会人の産まれて生きて死ぬまでずっと、選んでくれてありがとう、人生彩る相棒に選んでくれてありがとう。
選んでくれて、ありがとう。ありがとう。きみは選んでくれるでしょ?信用してるよ。とてもとても。

ね、純ちゃん、幸せです、人生彩る相棒に、選んでくれてありがとね。




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男の子だから泣いたらだめよ。男の子だから、男の子だから泣いたらだめ、男の子だから、わかるわよね、男の子だから泣いたらだめよ。

「はい、お母さま」

拓斗、ピアノはすき?そう。それなら、もっと上手になれるようにたくさんレッスンを入れましょうね。お母さまは拓斗のピアノがすきよ。もっともっと上手になって、お母さまを喜ばせて。

「はい、お母さま」

拓斗、自転車に乗りたいの。いいわよ。お母さま、うれしい。あなたがスポーツがしたいだなんて。あなたは昔から身体ばかり大きくて、家に籠ってピアノばかり弾いて、お母さま、とても心配していたのよ。

「はい、お母さま」

拓斗、おれだなんて野蛮だわ。すてきな男の子はね、じぶんのことをぼくって呼ぶのよ。

「はい、お母さま」

いやだ、あなた、まだぼくだなんて言ってるの。赤ちゃんみたいよ。おれって呼んだら?

「はい、お母さま」

おれの家は裕福で、ピアノもロードもおもちゃもなんでも欲しいと言えば与えてくれた。服はきちんと皺が伸ばされ、靴にはくもり一つなく、食事はいつも舌に蕩ける。
けれど、お母さまは授業参観に来てはくれなかった。母のいない教室で、母に宛てた作文を朗読した虚しさを、おれは一生忘れない。

母は子どもという生きものがすきではなかったのだと思う。育児は他人に背負わせて、ときどきスパイスをふりかけるだけ。
そのたったひと匙を味わうために生きていたのだ、幼いおれは。

母に愛されずに育ったおれは他人とうまく関われなかった。背ばかりが大きくて、なにかあるとすぐに泣いて、きっと扱いづらい子どもだっただろう。小学生の男の子の手にあまるような。
そんなおれを拾って、笑いかけて、ピアノがすきだと言って、美しい楽器を与えたきみに、母性を求めてしまうのはしかたなかったと今でも思う。

母のスパイスの味は毎回ちがった。その理由を知ったのは二十歳のとき。父からだった。
母は不倫をしていたそうだ。それも何人とも。父はその事実から目を背け、仕事にのめりこんでいった。母は外の男を見ていて、父も外の仕事を見ていた。
どうりで。と思った。どうりで母はおれといる時間を削ろうとしたわけだ。どうりで言うことがころころ変わるわけだ。
幼い頃、喉を掻き毟るほど欲していたスパイスは、そのとき母が恋をしていた男のかけらだったのだ。

それまでは、母親が二人いると思っていた。これからは、一人だけだと思った。
おれに母性を与えてくれた、一人きりの男の子。きみの腕の中だけが、おれの「子どもの宮殿」なんだ。

恋人は母親じゃないのよと、そう数々の電波は訴えるけど、おれにはその判決は効きません。効きません。効きません。
だって、しかたなかったと今でも思う。しかたなかったと、今でも思うのだ。

「早いな、もう帰ってきたのか。久しぶりの実家はどうだった?」
「お母さまなんてだいきらい」

ぼくがすきなのは純ちゃんだけ。純ちゃん、純ちゃん、ずっとぼくを離さないで。純ちゃん、ずっとそばにいてね、ずっとだよ。ずっとだよ。

泣きじゃくる、おれの顔を胸に埋めてあやすように背中を撫でる、きみだけが、たった一人のおれの母親。たった一人のぼくのお母さま。





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「きみが幸せならよかった。でも、そんなことないんだよね…」

純ちゃんが首を吊ったのは三日前、激しい雨の降った夜だった。ごうごうと鳴る空に不安になったことを憶えている。

純ちゃんは高校を卒業したあと、消息を絶った。だれとも連絡先を交換せずに、実家にも帰らずに、行方を晦ましてしまった。
なぜ彼がそうしたのかはわからない。けれど、必然だと思った。彼の周りには昔から迷子の風船のような危うさが漂っていたから。
いつかはこうなるのではと感じていた。いつか彼は死体になると。割れてしまうと、そう感じていた。
それで、よかった。そのとき、割れた彼を拾うのがおれであればいい。それだけでいい。それだけでよかったのに。

現実、第一発見者はアパートの管理人で、死体を拾ったのは警察だった。
だから、おれは純ちゃんの死臭すら消えてしまった部屋にいて、梁にぶら下がった純ちゃんを見ている。

目線が同じで、うれしく思う。きみと目線が同じになったのはたった一回だけ。階段に上ったきみとキスをした、あのときだけだ。
きみの唇は男らしくきちんと固くて、ミントの味がした。冬の空気で荒れていたから、リップクリームを塗っていたんだろう。白衣の天使が微笑むリップクリームを…。

「純ちゃん」

それだけでよかったなんて嘘だ。きみが死んだら、唇に、リップクリームを塗りたかった。リップクリームを塗りたかった。けれど、きみの顔は腐ってしまって、棺の蓋は開けられなかった。
それだけよかったなんて嘘だ。きみが幸せであればと願った。幸せにするのがおれであればと祈った。冬の夜におつかいでリップクリームを頼まれるような、幸せにきみがいてくれたらと。
それだけでよかったなんて嘘だ。嘘だ。嘘だ。

純ちゃん、きみのミントの唇をなんどもなんども味わいたかった。

梁から下がる彼にキスをした。きっと世界一悲しいキスだ。
そのとき、ミントの味がした。そのとき、ミントの味がした。たしかにミントの味がしたんだ。




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真っ暗な空間。そこにおれはいた。けれど、ふしぎとこわくはなかった。いつもは暗闇が恐ろしくて、豆電球をつけていないと眠ることができないのに、まるでここにいるじぶんはじぶんじゃないみたいだ。

「大丈夫だって。おれが守ってやるから」

それはきっと、きみがいてくれるからだね。

「純ちゃん」

ほら、おれがいるからこわくないだろ?
そう笑って手を握るあなた。いつのまにか、男の人の手になってしまったね。

「純ちゃん、なんでこんなところにいるの?」
「なんでって、おまえが呼んだんだろ?」
「純ちゃんはおれが呼べば来てくれるの?」
「ああ、地球の裏側からでも飛んでいって、おまえを泣かせた奴をぶん殴ってやる」

おれはおまえのヒーローだからな。

ニッと口角を上げるあなた、小学生のときと同じ顔、わかってるよ、高校生のきみはそんな顔で笑わないってわかってる。おれだって、そんなにばかじゃないよ。
でもね、記憶の中のきみのその不敵な笑みに、もう一回だけ会いたいの。

(だいすき、愛してる、おれのヒーロー…、)

純ちゃん、あなたは変わってしまいました。輝く笑顔はくもってくすんで、ねぇ、どうしてそんなに暗い目をしてるの。ねぇ、どうしてロードを辞めるなんて言ったの。ねぇ、どうしておれになにも言ってくれなかったの?

おれはきみのものだよ、そして、きみはおれのものだ。

そう思ってた。だけどね、きみがそんなことないよって。くすんだ瞳の奥で言うから。だから、だから、だから、

握り潰してでも、って。

「純ちゃん、」

おれは大きな身体がある、登りも平坦も速い、そうだ、純ちゃんを捻じ伏せる圧倒的な力がある。純ちゃんをぜんぶ、腕の中で握り潰せるよ。おれは純ちゃんをじぶんのものにできる力があるんだ。
でも…、純ちゃん、それじゃあ、

「それじゃあ、だめなんだね」

他人をじぶんのものにできる力があっても、だめなんだね、それじゃあ、純ちゃんはおれと同じにならない。

「だめなんだ、うん…、」

純ちゃんは、真剣な表情をしていた。おれに腰を抱かれながら、こんな、おれにしかわからないことを呟かれて、それでも、純ちゃんは、真剣な表情をしていた。

ああ、やっぱりすきだなぁ。おれをわかろうとしてくれる、その真摯さが、そのやさしさが、すきだなぁ。

「だめでも…、いっしょにいたいよ…」

捩じ伏せて、握り潰して、それがなんだ。なんだっていうんだ。そんな支配、そんな支配じゃ、きみはおれの隣で笑ってくれない。

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