水族館に行きましょう



青白い波にたゆたう海月が、おれにまばたきをする。

「夜の水族館?」

行く?冷やかしで。
街で配っていたのだろう黒と青の紙をひらひらさせながら公貴は笑った。もうすぐ春が吹く2月の冷たい夜だった。

「みごとに…、」
「カップルばっかりだねぇ」
「バレンタインだもんなぁ」
「…そうだね、」

歯切れの悪い公貴の言葉が入り口ゲートに溶けて消えた。中は呆れるほど男と女のつがいばかりで、鞄の中のチョコレートが震える。こんなもの、男が男にやってもなぁ。

「…おれたち、浮いてるよな?」
「いいよ、男同士だろうが恋人は恋人だ」

困る。こんなことをサラリと言われて、どんな顔をしたらいいのかわからない。もう二人でいて、何年経った思ってるんだ。
春、おれたちは大学を卒業して、社会に出る。

「どれから見る?」
「静かなところがいい」
「じゃあ、ここかな」

ね、と公貴が微笑みながら指したのは、静かな海だった。まるで世界に二人きりだと錯覚しそうになるくらい静かな、海月の海だった。

「綺麗…、」
「だれもいないね」
「なんでだろう、こんなに綺麗なのに」
「外れにあるからかな。でも、ほんとうに綺麗なものは見えないところにあるのかもしれないね」

そうかもしれないね。ほんとうに綺麗なものは小さな小さな水槽の中で細く細く呼吸をしながら、生きているのかもしれないね。
この海月たちみたいに、おれたちみたいに。

(おれたちの関係は綺麗だと呼べるだろうか?でも、綺麗だ、きっと、きっと綺麗だ、だって、こんなに胸が苦しい)

喧騒から切りとられた空間、青白い水槽と、波に揺れる海月、海月、それを壁にもたれて眺めているおれたち、冷えた酸素がキンと響く。
このまま時が止まればいいのに。二人きりでこのままずっと、生きていければいいのにね。春が凍って消えればいいのに。現実なんて見たくない。社会に出たら、男同士で水族館に行けなくなっちゃう。

最後のバレンタインデーだと思ってる。最後のデートだと思ってる。最後のキスだと思ってる。冬になってからずっと、いずれ訪れる別れのことばかり、春のことばかり、考えています。考えて、考えているんです。

「あのさ、純太」
「なぁに、公貴」
「親におまえとつきあってることを言ったんだけど、」
「…は?」

なんで?わざわざ、そんなこと?
素っ頓狂な声が出てしまった。しかたがないと思う。もうすぐ春だ。離れ離れになる。春は別れの季節だと、おまえだって知ってるはずだろ?

「そんなこと、ね。まぁ、おれの自己満足だから、……先月、叔父の葬式があったんだ、」

訝しげなおれの目に、少しだけ聞いて?と囁いて、公貴は話しはじめた。

葬式って、宗教や地域によってちがいはあるけど、だいたいは火葬で、骨上げをするだろ、遺族が集まって箸で摘まんで。それで、叔父の骨を見た瞬間、思ったんだ、おれも死んだらこうやって骨を拾われるんだなぁ、って。そのとき、おまえはおれの骨を拾えないんだなぁ、って。だって、そうだろ?血の繋がった親族や、故人のとくべつじゃなきゃ、世間に骨なんて拾わせてもらえない。おまえはおれのとくべつだけど、親にとってはただの息子の友人で、骨なんて拾わせてもらえない。おれは、それが、いやだなぁ、って思ったんだよ。おまえがおれが死んだあとに、おれのせいで居心地が悪くなるなんて、ごめんだって。おまえがおれの葬式で、堂々と泣けるように、骨が拾えるように、一人ぼっちでつらい想いをしなくてすむように、してやりたい。死んだあとにまで、悲しませたくない、って、さ。だから、親におまえとのこと、話して、父さんに二、三発殴られて、母さんに泣かれたけど、骨、拾っていいって、許可、もらってきた、けど、自己満足だから、忘れていいよ、……それだけ。

まくしたてるように、そして、最後に一滴、ポツリと。公貴、たぶん、照れて耳が赤いと、思うん、だけど、涙の膜でわかんないや。

「忘れないよ、忘れられないよ」
「忘れてよ、恥ずかしくて死にそうだ」
「死んでいいよ、おまえの骨、一つ残らず拾ってやるから。……嘘、」

抱きついて、死なないで。まだ隣にいたいから。おじいちゃんになるまで隣にいたいから。

公貴、おまえの広い肩がすきだよ。泣いて縋りついても支えてくれる、おまえがすきだよ。おまえのこと、爪の先まで愛してる。すき、骨になっても、春になっても、ずっとずっとずっと、ずっとだ。

春は別れの季節だなんて、真実のように世間のだれかは言うけれど、おれたちにはあてはまりません。あてはまりません。あてはまってなんてやりません。

「どうしたの、家じゃないんだから」
「だれもいない」
「海月が見てる」
「見せつけてやろうよ、おれはおまえの葬式で、喉仏を拾えるんだ」

そうだろ?もう人目を気にしなくたっていい。おまえにバレンタインチョコレートだってわたせるよ。男同士だろうが恋人は恋人なんだろ?

「ふふ、ふ、ああ…、幸せだ…」

夢みたいに幸せだ、夢じゃない、夢じゃないのが、幸せだ。なぁ、公貴、おれもおまえにおれの骨を拾ってほしい、から、明日、親に殴られてくるよ。

ふ、と水槽に目をやると、海月がおれにまばたきをする。青白い波にたゆたう海月が、おれにまばたきをする。

「綺麗よ」

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