ある男子高校生の健全な悩み



「……あ、」

ん、やめろ、そんなとこ、汚い、あっ、舐め、やだ、あおや、んんっ、は、だめ、もう、むり、あっ、あっ、

「でちゃう」

毎朝、おれは憂鬱に押し潰されながら目を覚ます。カーテンの隙間から朝日が輝く。一日がはじまる。下肢が冷たい。

夢精をしたのだ。

健全な男であれば、ましてや、それが性欲溢れる男子高校生であれば、夢精なんてただの生理現象、排泄と同じだ。
そう…、ただの生理現象…。しかし、問題は脳裏にちらつく身体だ。豊満な乳房でも柔らかい太ももでもない。頬を蒸気させ、声を漏らすのは、おれと同じ、男なのだから…。

「気もちいいよ、青八木…」

手嶋純太とおれはチームだ。相棒というか…、親友?よくわからない。でも、おれにとって手嶋はなくてはならないし、手嶋にとってもおれはなくてはならない存在だ、と思っている。同じ部活で、チーム。友人よりもっと深くてとくべつな関係。
の、男が毎夜おれの夢に現れて裸になって嬌声を響かせる。艶かしく腰を動かす。いいよ、青八木、もっと奥まで…。なんて、掠れた声で囁く。かと思えば、生娘のように、いやだいやだ、と喚いたりもする。おれはそれらのどんな手嶋にも興奮して、毎夜毎夜、唇に噛みつくのだ。手嶋、手嶋、とうわ言を呟きながら。

「青八木、おはよう」

朝、おれはいつも少しだけ早く学校に来てローラー台に居座りつづける。無心にペダルを回して、手嶋の肌色を瞼の裏から追いやらなくてはならない。無心に、景色なんてなくていい、孤独でいい、孤独がいい。それにはローラー台がぴったりだった。一心不乱にトレーニング、しているように見えて話しかけづらいだろう?
だから、毎朝、手嶋はおれに一言しか言わない。青八木、おはよう。一言だけなら今までは、追いやれたのに、今までは。
だめだ。一言だけでもリフレインして、乱れるおまえがリフレインして、止まらない。恥ずかしくってもう、

(顔も見れない)

おれは同性愛者なのかもしれない。と悩むのはごくあたりまえのことだろう。毎晩、男の裸で夢精をするならなおさらだ。
同性愛者…、とひとりごちる。もしおれがほんとうに同性愛者なら、きっとこの眼鏡の男にも欲情するのだろう、

「なに?睨むなよ、うっとおしい」

か?…いや、ないな。とすぐに仮定を捨てた。眉を顰めて、まるで異人でも見るような、こんな失礼な男、頼まれたってごめんだ。

「……睨んでなんかいない」
「そう見えるんだよ。おまえは目つきが悪いから」

そう言いきる眼鏡の男は古賀という。まじめそうな、どこにでもいそうな風貌をしているけれど、おれは知っている。こいつは天性の女ったらしなのだ。
腫れた頬をおさえて登校してきたかと思えば女のヒモに殴られたと言い(どんな女なんだと訊けば風俗嬢だと答えた)、頻繁にメールをしているかと思えば人妻と次に会う約束をとりつけているのだと言う(ハンカチを拾ってお茶してホテルに行ったんだとなれそめを話された)。
天性の女ったらし。経験値はきっとこの学校のだれよりも高い。だから、訊きたい。なぁ、おれ、男がすきなのかな、手嶋で夢精するんだけど…。

(訊けるわけがない)

はあ、と机に突っ伏す。なんで手嶋が夢に出てくるんだ、しかも、裸で、毎晩、恥ずかしくて顔、見れない、はぁ、おれは同性愛者なのかな…。

「で、おまえはなにに悩んでるの」

いきなり古賀が核心をついたものだから、おれはごまかすこともできずに勢いよく顔をあげてしまった。はい、そうです、先生!なんて、元気のよい小学生のような純真さで。

「やっぱりそうなんだ」
「な、なんで」
「おまえは顔に出すぎ」

なんでも。そう言って口角をあげる古賀が憎たらしい。ちくしょう、経験値の差が今すぐ埋まればいいのに。

「部活?恋愛?それとも、性の悩み?」

性!ぶわあああ、と一気に頬が赤く染まる。性、そのなんて直接的な響き!

「うっわ、なにその反応、初心だなぁ」

その言葉にむっとした。でも、事実だ。
おれは性的なものに対する免疫がない。
子どもをつくるための行為、のきちんとした概要を知ったのは中学三年生のときだし、精通は中学二年生のときだけど、なにかの病気だと思っていたし、女の人の裸だとかなんだとかは恥ずかしくて目を逸らしてしまうし、自慰だってしたことがないのだ。
おいおい、嘘だろう?性欲溢れる男子高校生が自慰をしたことがないだって?と目の前の男に呆れられるような話だけど、事実だ。やり方がわからないというわけではない。する必要がないのだ。手を這わせる必要がないのだ。そもそも性欲が薄いし、なりより、毎朝、夢精をするから。

(……ああ、夢精!)

なんで、どうして、自主的に射精をする必要がないくらい性欲が薄いおれが毎朝毎朝毎朝、夢精をするんだ、おかしいだろう!

しかも、男で、しかも、手嶋で!

もう、訊いてしまいたい。訊いてしまおうか。この経験値の高い眼鏡の男に訊いてしまおうか?
男で、手嶋で、それを隠せば訊いてもきっと、男子高校生の健全な悩みの一つだ、たぶん。

「…あのさ、」
「なに?」

いけ、訊いてしまえ、たやすく答えが手に入るなら、恥なんていくらでもかけばいい!

「ある、特定の、人で、あの、毎日、その、む、夢精する、ん、だけど…、」

しどろもどろ、とはまさにこのこと。

古賀は、はぁ、と呆れたような声を鼻から出して、

「そりゃあ、夢にみるくらいだから、したいんでしょう」

なんでそんなかんたんなこともわからないの?
そうまなざしで言われた。ばっかじゃないの。くだらないったらないね。

おまえは、そいつと、したいんだよ。

一言、一言を、明確に区切りながら古賀は言った。眼鏡の奥を三日月のように歪ませて、一言、一言を。

「し、た、い、ん、だ、よ」

古賀の言葉に脳が爆発した。そうか、そうかそうかそうか、ああ、なるほど、そうだったのか!

(したいんだ!おれは手嶋としたいんだ!)

ばかだ。そうに決まってる。毎晩、夢にみるくらい、おれは手嶋としたいんだ。
いやらしいこと、悪いこと、汚いことをたくさんしたい。手嶋としたい。手嶋がいい。なぜ?よくわからない。でも、わかったんだ。おれは手嶋としたいんだよ。

「青八木、おはよう」

その一言に昨日まで罪を感じていた。鼻をくすぐるシャンプーの匂い。朝の掠れた声。そのすべてに罪を感じていた。
今となっては、その罪の甘いこと!おれを惑わす果実。しなやかな身体…、汗に濡れて首に纏う黒髪、おれの名を紡ぐ唇。

きちんと脳裏に焼きつけて、今夜、はじめて指を這わせてみよう。

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