果実



おれは他人にあまり興味がない。だれだれが仲がいいとか、だれだれがつきあってるとか喧嘩してるとか、ぜんぶどうでもいい。し、知ろうとも思わない。し、知りたくもない。
一人でいるのも苦じゃない。一人でも楽しい術をおれはちゃんと学んでいるから、友だちなんて一人、二人、それくらいでいい。(一人を好んでいるわけじゃないから、友だちはできる。おれなんかに声をかける、変な奴が一人、二人は)

おれにはロードと道と食べものと絵と、美しい景色、家族、ときどき話す友だち、それだけでいい。それだけでよかった。

のに、そんなおれが他人が気になって気になってしかたないなんて、そんな夢みたいなことってあるだろうか?

(……手嶋さん、)

手嶋さん、手嶋純子さんは、かわいい、とおれは思う。すらりと伸びる脚も少し角ばった肩もまるい腹もなだらかな胸もゆるくウェーブした髪も猫のような目もよくまわる口も、ぜんぶぜんぶ、かわいい、とおれは思う。思う。
ずぅっと見ていたい、眺めていたい、と思うくらいには、かわいい。かわいいよ。
手嶋さんが座った机に羨ましいと感じるぐらいには、手嶋さんを見つめるために少し背筋を伸ばすくらいには、手嶋さんの後ろの席の柳田が憎いくらいには、手嶋さんはかわいい。

(他人をすきになるってすごい。おれが、こんなおれが他人にときめいて、他人を憎いと思う、思ってしまう、力がある、恋というものには)

おれは手嶋さんがすきだ。

「おい、」

おれってば、手嶋さんがすきなのだ。
だから、手嶋さんの背中を堂々と見つめられる権利をもった、あの男が憎たらしい。あまつさえ、あの男は手嶋さんの背中をシャーペンで刺しさえもする!

「痛ッ!」

高い声。嬌声、のように聞こえる。そんな声を手嶋さんに出させる柳田が憎い。(でも、心の奥ではありがとう。きちんと脳にインプットして、深夜に使わせていただきます)

「なに?」
「ここわかんねぇんだけど」
「知らない!じぶんで考えれば?」
「考えてわかんなかったから訊いてんだろうが!」
「もー!椅子蹴らないでよ!」

短気!ばか!うるせぇさっさと教えろ。

いいなぁ、いいなぁ、柳田、いいなぁ。手嶋さんにキャンキャン吠えられて、でも、本気でいやがられていない、絶妙な関係で。はたから見たら、つきあってるみたい。彼氏彼女みたい。それもかなり仲のいい、彼氏彼女、みたい、だ。

(羨ましい!)

数学のノートがぐしゃりとよれた。おれだって、手嶋さんと彼氏彼女に見られたい。手嶋さんに「なんなの、青八木、こんな問題もわかんないの?」って、ちょっぴりばかにされてゾクゾクしたい。

「柳田、古賀に教えてもらったら?あたしよりずっと頭いいよ」
「やだよ!あいつ、こえーもん」
「こわくないよ。やさしいよ」

いい奴だよ。委員会でもいつでも。と手嶋さんが言って、おれは、そうは思わない。と心の中で返した。
古賀は同じ部活に所属している友だち(のようなそうでないような)だ。おれなんかに声をかけた変な奴。まぁ、同じ部活だし、声をかけざるをえなかったんだと思うけど…。部活が同じでなければ、三年間会話もしなかっただろう。古賀はおれとは格がちがう、というか、なんというか。でも、まあ、友だちだ。ただ性格がべらぼうに悪いだけで。

「青八木のすきな手嶋さんと同じ委員会になったよ」

と報告された四月下旬の水曜日、血の気がひいた。
なんで知ってるんだ。と言うと、おれが気づかないとでも思ってた?よかったね、二年でも同じクラスで。と返された。古賀は、これはあくまで推測だけどきっとたぶんぜったい、おれが手嶋さんがすきだって知って手嶋さんに近づいたんだ。
古賀はそういうことをする奴で、だけど、そういうことをする奴だってことを巧妙に隠蔽していて、顔がよくて頭もよくて背が高くて自転車競技部のホープで(ほとんどの人には、もちろん手嶋さんにも)やさしくて、だから、けっこうモテるのだった。

古賀はモテる。そして、柳田もモテる。そんな男二人を名字で呼び捨てにするほど仲がいい手嶋さんは、女の子たちからよく思われていない。(ことを古賀は知っててわざとやっていて、柳田はたぶん気がついていない)

そして、さらに手嶋さんにはかわいいぬいぐるみもいるから、

「純ちゃん、いっしょに帰ろ!」
「シキバ、今日、ピアノは?」

お休みなの。と頬を緩ます2mは葦木場という、手嶋さんの幼馴染だ。
2mでドジでまぬけでかわいい、そんな奴、愛されるに決まっていて、そんな奴になつかれている手嶋さんは疎まれるに決まっていた。

疎まれるに決まっていた。手嶋さんは疎まれていて、女の子の知り合いはたくさんいるけど、女の子の友だちは一人もいないみたいだった。
心のかけらを晒す話、本音や陰口、そういう、女の子が女の子と距離を縮めるために使うものは、手嶋さんのまわりになくて、女の子の知り合いはたくさんいるけど、女の子の友だちは一人もいないみたいだった。

そんな孤独がきっとすきだった。そんな孤独に親近感を抱いた、きっと。

「手嶋さぁ、すきな人いる?」
「えっ?」

っていうかぁ、あの三人のだれがすきなの?

ある日の放課後、教室にスケッチブックを忘れたおれは扉の前で固まった。むだにかん高い気だるい間のびした女の声が響く。手嶋さぁ、すきな人いる?

「えっ、なんで?」
「いいじゃん、教えてよぉ、やっぱり柳田?一番仲いいもんね」
「古賀くんじゃない?かっこいいし、あんな彼氏だったら自慢だよねぇ」
「葦木場くんもかわいいし、背が高いからめだつよね?」
「ねっ、手嶋、だれがすきなの?」

教えてよ。ちゃんと虐めてあげるからさ。

女ってこわい。手嶋さんのすきな人をあの三人のだれかだと決めつけて、なんでもないような声音で脅す。そして、手嶋さんの心を絞めるのだ。
へええ、手嶋、あの人がすきなの、へええ、わたしもなんだよね、わたしもすきなの、そうだよ、あんたばっかりあの人と、仲よさそうにしゃべって、笑って、ゆるさない、だいっきらい、だいっきらい、だいっきらい…、

言いなよ、手嶋、ゆるさないから、虐めてやるから。

(手嶋さんに女の子の友だちは一人もいない。友だちだったら、こんなふうに追いつめるもんか)

孤独だ、手嶋さん、ひとりぼっちだ、かわいそうで、かわいい。

おれは妙に冷静だった。なぜなら、手嶋さんがあの三人のだれかがすきだろうことを、覚悟していたからだ。最悪の事態を想定して生きている。絶望なんてしたくない。あの三人が羨ましいけど、羨ましくてたまらないけど大丈夫。
手嶋さんの孤独がわかるのはおれだけだから大丈夫、きっと。

「あいつらはただの友だちだよ…」

だから、手嶋さん、おれはきみがすきな人がぶっきらぼうな男子でも眼鏡をかけた男の人でも背の高い男の子でも大丈夫だか、ら?

「え?」

と思ったのはおれだけじゃなかったらしい。とたんに教室に女のブーイングが轟く。
嘘つかないでよ手嶋あたしら友だちでしょお?そうだよなんで嘘つくの?ひどぉい手嶋ってあたしらのこと友だちだと思ってないんだ?

女たちの言葉は胸糞悪いけど、手嶋さん、嘘でしょ?だって、きみはあの三人といるときすごく楽しそうじゃないか。

「ほんとにちがうの、ごめん、ちゃんと名まえ言うから…、」

名まえ。手嶋さんのすきな人の名まえ。いや、もう嘘でもいい。知りたい。どうせほんとうはあの三人のだれかだろうけど、いいや、もう、知りたい、おれは。
扉にゆっくり慎重に耳を近づける。息が荒い。まるで変質者みたいだけど、恋したら、みんなみんな変な奴だ。

「あのね…、」
「うんうん」
「いいよゆっくりで」

女たちの声がうるさい。頼むから、静かにしていてくれよ。

「………くん」

というおれの願いは虚しく女たちの騒音にかき消された。
うっそおおおやばーいまじでぇ信じらんなーいありえないやだーええ手嶋ほんとなのぉ?

(ちくしょう、くそったれ!)

でも、どうせどうせ!手嶋さんはあの三人のだれかがすきなんだ。いいや、こんな、嘘の名まえなんてむりして聞かなくたって、

「ほんとにすきなの、ほんとにすきだから…、ぜったい本人にあたしがすきだって言わないでね?」

あ、ちがう、これ、手嶋さん、これ、ほんとうにそいつがすきだ、あの三人じゃない、部外者の、四人目の男が来た、手嶋さん、瞳に涙を浮かべて恥ずかしそうに下を向く横顔までわかるよ、ねぇ、そんなにそいつのことがすきなの。

そんなにそいつのことがすきなの?

「うん、ぜったい言わない!」
「約束する!あたしら、友だちだもんね!」

女たちの声には、よかったあの三人じゃないラッキー!が滲んでいたけどラッキーなもんか。
おまえらは知らないだろうけど、扉の前で死にたくなってる男子高校生も存在してるんだ。

それから、女たちはもう用はないとばかりに帰りやがったけど(おれは慌てて見つからないように隠れた)、手嶋さんはまだ教室にいる。
どうしよう、やだなぁ、顔合わせたくないなぁ、でも、スケッチブックがないと明日の美術で課題が出せない…。
どうしようどうしようと再び戻った扉の前でうんうん悩んでいると、からららら、扉が開いた。

「…ッ、」
「…あ、」

余談だけど、手嶋さんとおれの身長はほぼ同じだ(おれのほうがちょっと高いくらい)。だから、つまり、今、手嶋さんの目と目が合って、ていうか、顔近い。

「わあっ、」
「え?え?え?青八木くん?」
「ごめん、手嶋さん、驚かせて、おれ、スケッチブック、スケッチブック忘れて、それで、」

どうしよう、こんなに近くで手嶋さんの顔見るのはじめてだ、あっ、睫毛長い、薄く化粧してる?いい匂いする、シャンプーかな、唇の皮めくれてる、ちぎりたい、あ、どうしよう、

「き、聞いたッ?」

立ちつくしていたおれに、手嶋さんが鋭く叫ぶ。聞いた?わたしのすきな人の名まえ、聞いた?

「なんのこと…?」

咄嗟に知らないふりをした。盗み聞きしてました、まるで変質者みたいに扉に張りついて、なんて言えるわけがない!
おれ、さっき来たばっかだから…、ともっともらしい言葉を吐いて。

「ううん、なんでもない」

手嶋さんは心底ほっとしたような顔をして、おれの横を通り抜け、

「あ、青八木くん、あの、あのさぁ、これから部活、なの?」

なかった。

「えっ?」
「自転車競技部…、」
「え、なんで知って…?」

手嶋さんはなぜかおれに話しかけて、なぜかおれの所属する部活を知っていた。
そして、なぜか真っ赤になって髪の先を指で弄りながら訥々と語り出す。

「なん、で、って…、」

あたし、ロードすきで、お父さんが乗っててキャノンデール、小さい頃から黒と緑のやつ、乗っててずっといいなあたしも乗りたいって言ってたんだけど、危ないからだめって、高校決めたのも自転車競技部があったからで、マネージャーしたかったけど募集してなくて、だから、陸上部で、ほんとはロード、古賀ともロードの話で仲よくなって、それで、青八木くん、コラテック、乗ってるでしょ、コラテックかっこいいよね、かっこいい…、

「……手嶋さん、」
「ごめん、なんでもない、忘れて」
「乗りたい?」

話すうちにどんどん手嶋さんの顔が下を下を向いていって、だめだ、こんなの、だめだ、どうにか顔を上げさせなくちゃ、どうにか、どうにかして、

「え?」
「だから、コラテック、おれのだけど、乗りたいか、って…」

いや、これはちがうだろう!コラテックかっこいいよね、なんてお世辞に決まってるだろ、ばかばか、ああもう、ごめん、手嶋さん、忘れて、

「……いいの?」

でも、手嶋さんの猫の瞳がばちりと開いて輝いたから、それはうれしそうに瞬いたから、おれは頷くしかなかった。

それでは、明日、放課後に。自転車競技部部室前で会いましょう。

「じゃあ、また明日」
「うん…、また明日」

また明日。その響きのなんて甘いことだろう。また明日だって、おれが手嶋さんとまた明日だって…、

(……やったぁ、)

背中を向けて小さく拳を握って、そのときの、手嶋さんの真っ赤な頬の果実の味を、知るのはもう少し後のことだ。

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