心臓に刺さるは



唯一無二だと思っていた、おれたちの関係は。恋だとか愛だとか性だとか、そういう、俗な言葉ではとうてい括ることなどできないようなものだと。

「チーム二人だ!」

おれは手嶋のとくべつだと思っていた。そして、手嶋もおれをとくべつだと思っている、そう信じていた。
なぜって、手嶋の硝子の瞳がおれの姿を映すとき、星が瞬くんだ。光が弾けて、おれの心臓に刺さる。おれはそれがうれしくて、おれの光もどうか刺さりますようにと、なんども瞼を拍手した。まばたき。なんども。おれたちの関係を祝福する音が響いた。

そう思っていた。そう信じていた。

でも、祈っているようじゃだめだったんだ。おれの星は瞬かなかった。おれの光は刺さらなかった。

「あれが今泉?」

今から思えば、その言葉で踵を返しておけばよかったんだ。
古賀は背の高い新入生を顎で指しながら言った。おれは「そうだ」と返した。今泉は入部した瞬間からめだって速い奴だったから、おれはその言葉になんの疑問も抱かなかった。古賀が「ふぅん」と鼻で笑って(そうまるで「たいしたことないじゃないか」とでも言うように)、そのまま服を着替えはじめたのにも、なんの疑問も抱かなかった。

そして、手嶋は本音を隠すのがほんとうにうまい奴だったから。

合宿前日、手嶋の今泉への煮えたぎるマグマのような想いを聞いた。

「ただの嫉妬だ、逆恨みだってわかってる。でも、ここであいつを倒さないと先には進めない。そうしないと、もうこれ以上、速くなれないと思う」

おれはそれに「わかった」と答えた。手嶋がそれを望むなら、おれは全力を出して叶えよう。なぜなら、おまえの願いはおれのもの。おれたちはとくべつで、唯一無二の、

「チーム二人だ」

負けた。手嶋はほんとうにほんとうに悔しそうで、もしかしたらインターハイに行けないこと以上に悔しそうで、一瞬、たしかに、手嶋の瞳におれはいなかった。

でも、手嶋は小野田にクリートをわたした。一年生たちの、胸を叩いた。そういう、けじめのつけかたをする男だったのか。
そんなことも、そんなことすら、おれは知らなかった。

今泉の存在すら、一年間ずっと。

「おまえはばかだよ。ほんとうにばかだ。じぶんを追いつめることばっかりとくいで、おれがいないと泣けもしないなんてね」

合宿後の手嶋は沈んでるようにも見えなかった。いつもどおりだった。いつもどおり。安心した。硝子の瞳は透きとおっていて、星の瞬きは光をこぼす。おれたちの関係は変わらない。唯一無二の、とくべつだ。

そう信じこんでいないとやっていられなかったんだろう。一年もの間、隠されていた本音をいきなり曝け出されたんだから。混乱するなって言うほうがむちゃだ。平和な日常を求める作用がはたらいても、なんらふしぎはない。むしろそれがとうぜんとすら言えるだろう。

おれは知らなかった。平和な日常ほど脆いものはない。

合宿から数日経ったある日、手嶋はおれに、部室でやりたいことがあるから先に帰るように促した。鍵はおれが閉めておくからと。手嶋は部室にある昔の日誌や練習ノートなどから作戦のヒントを得ていたので、おれは深く考えずに頷いた。また、二人で走るために作戦を考えるんだ。おれが脚で手嶋は頭脳。
でも、家まであともう少しということころで急に胸さわぎがして学校へ引き返した。なにもおかしいことはない。今までだってよくあったことだ。それでも、どうしても、ざわざわと胸が動いた。

きっと、あれは心臓にある手嶋の光がおれを呼んだのだと思う。

もうそろそろ、現実見ろよ。

逸る気もちを抑え、部室の扉に手をかけて固まった。中からすすり泣きのような声が聞こえてきたからだ。それは手嶋の声だった。聞きまちがえるもんか。手嶋の声だった。
手嶋はいつもどおりなんかじゃなかった。ぜんぜん、いつもどおりじゃなかったんだ。
おれが、おれが手嶋を、慰めてやらないと。そうだ。そうだ。おれたちはチーム二人なんだから。
扉にかけた右手に力をこめた。ガラリと開けて、

「……手嶋、大丈夫か?」

喉の奥が引き攣る。おれが言ったんじゃない。中にまだ人がいる。おれが言ったんじゃない。手嶋がおれ以外の人の前で泣いている。ばかな。そんなことあるわけない。
ああ、でも、もう扉を開けられない。右手が動かない。ゆっくりと扉の前にしゃがみこんで、耳を押しあてた。
だれだ。手嶋の涙を見ている奴は?

「大丈夫じゃない…ッ、」
「だろうな。むしろよくがまんしたよ」

今、おまえが泣いているのは、インターハイに行けなくて悔しいからじゃないだろう。わかるよ。今泉に勝てなかったからだろ?
勝ちたかったな。勝ちたかったよな。三年間ずっと勝ちたかったんだもんな。悔しいよな。あいつがまたいつもみたいにぜんぶ掻っ攫って、おまえには脚の痛みだけなんて、あんまりだよな。

「こんなのってあんまりだ。わかるよ。おれはおまえに教えられてきたからね」

古賀だった。古賀の声だった。
え、嘘だろう、手嶋、古賀にはぜんぶ、教えていたのか。今泉のことも?今夜、泣きたい気分だったことも?おれには教えてくれなかったのに、おれはとくべつで、おれたちはチーム二人で、え、え、え、いつから?

「あれが今泉?」

…もしかして、あのときから?あのとき、より、もしかしたら、前から?

心臓がじくじく痛んだ。刺さった光がせせら笑う。もうそろそろ、現実見ろよ。もうそろそろ、現実見ろよ。

「悔しい…、悔しい…ッ、勝ちたくて勝ちたくて、勝ちたくてしかたなくて、おれはそのために今まで生きてきたのに…、」
「おれにどうしてほしい?」
「抱きしめて背中をさすっておれのことかわいそうって言って、」

そして、ときどき、キスして。

いいよ。うん。かわいそうだね、おまえは。うん。こんなに必死でがんばってきたのにね。うん、うん。かわいそうだね。

「おまえはばかだよ。ほんとうにばかだ。じぶんを追いつめることばっかりとくいで、おれがいないと泣けもしないなんてね」

湿った音が小さく響いた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、」

唯一無二だと思っていた、おれたちの関係は。恋だとか愛だとか性だとか、そういう、俗な言葉ではとうてい括ることなどできないようなものだと。

「はぁっ、はぁっ、うあっ、」

おれは手嶋のとくべつだと思っていた。そして、手嶋もおれをとくべつだと思っている、そう信じていた。

もうそろそろ、現実見ろよ。

「うるさいッ!」

あの音のあと、おれは逃げた。足が思うように動かなくてうまく走れなかったけど、必死で逃げた。心臓の大合唱から古賀のやさしい声音から手嶋の甘える泣き声から事実から真実から現実からなにもかもから。必死で。
でも、肉離れをおこした脚はあたりまえのようにもつれて転んだ。必死に振りはらったなにもかもは悠々とおれの身体にのしかかる。

もうそろそろ、現実見ろよ。

ちがう。おれたちはとくべつで唯一無二で、チーム二人だ、チーム二人だ、チーム二人だチーム二人だ、チーム二人だ!

「そんな言葉、なんの効力もないよ。だって、手嶋はおまえじゃなくて古賀を選んだ、手嶋にとって今泉こそがとくべつで唯一無二で、手嶋はおまえのことなんか見えちゃいなかった」

なにがチーム二人だ。なにがチーム二人だ。

「もうそろそろ、現実見ろよ」

手嶋の硝子の瞳と同じ瞬きで、夜空は星の光を降らしていた。そのすべてがおれの心臓に刺さる。深く、けっして抜けないように、おれに囁く。

もうそろそろ、現実見ろよ。もうそろそろ、現実見ろよ。もうそろそろ、現実見ろよ。

チーム二人はとくべつなんかじゃない。

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