箱
「えっ、」
「えっ、」
恋敵とたまたま会って、そいつがだれかをまっていて、そのだれかはまちがいなくおれのすきな人で、悔しくて羨ましくて厭味を、
「青八木くん、純ちゃんとデート?」
えっ、とお互いに声を発したあと、おれたちはすぐに悟った。こいつじゃない。こいつじゃなかった。
じゃあ…。なんとなく別れがたくて、流れるようにファミリーレストランの自動ドアをくぐった。おれたちの間に、妙な連帯感が生まれていた。
(とは言っても、敵なことに変わりはないわけで、)
ぶくぶくぶくぶく。オレンジジュースにストローで泡をつくる。ぶくぶく。行儀が悪いからやめろ、って?うるさい。そんな純ちゃんみたいなこと言うな。
と、やさぐれていたら、青八木くんが呟く。
「…おれ、純太はおまえとつきあってるんだと思ってた」
「おれもだよ。…おれたちじゃないならだれなの?」
だれなの?
安っぽいファミレスに異質な声が響く。おれときみじゃないのなら、愛しいあの人はだれのものなの?
「…そんなのおれが知りたい」
盗聴器でも仕掛けたら?
ぼくを巻きこまないでくれるかなぁ、と言いつつも律義にファミレスに来てくれる古賀くんはやさしい。まぁ、安易に首を突っこんだぼくも悪いし、でも、まさかまだ告白すらしてないなんてね!
訂正。やさしくない。陽気な声が胸に刺さる。うずくまる。そうだね、そうだよ、そうなんだけどさぁ。
「…古賀、おまえ、おもしろがってるだろ」
「そうだよ。だって、他人の恋愛よりおもしろいものってあるの?」
ひどい!おれと青八木くんは非難を込めて古賀くんを睨んだ。でも、古賀くんは飄々とアイスコーヒーを飲んでいる。うへぇ、苦ぁ、ねぇ、そっちに砂糖ない?
「まっ、いつまでも美化した偶像に懸想してないで、現実を見ろってことさ」
はい、これ。コト、と古賀くんがテーブルの上に置いたのは黒い小さな箱。なにこれ?と指をさすと、耳にあててごらん。と促された。
『……あ、…えー…っ、ぎは、砂糖を、』
純ちゃんの声だ。純ちゃんの声だ?どうして箱から純ちゃんの声がす、
「まさか」
「活用してよ。おれのせいにしたっていい」
すでに仕掛け済みだなんて。
古賀くんは、気がすんだら伝えて、外しに行くから。と言い残して去って行った。テーブルの上に黒い箱を残したまま。
「あ、青八木くん、だめだよね、だめだ、こんなの、そうだよね?」
「…でも、ぜんぶわかるぞ」
これがあればおれたちの知りたいことがぜんぶわかるぞ。
純ちゃん、きみは、
「……そうだね」
だれのものなの?
『昔からかわいかったですけど』
夜になって、おれの家に青八木くんがやってきた。夜のほうがよくわかるだろう、と青八木くんが提案したからだ。
聞くのは壁の厚いところがいい。そう、おまえの家みたいな。
「…あれは?」
「クッションの下」
聴こえるの、こわくて…。と呟いた。これからもっと深いところを探るというのに。
古賀くんはいじわるだから、箱にはON・OFFのスイッチがなかった。垂れ流し。純ちゃんのプライベートすべてが垂れ流し。好奇心に負けそうなじぶんが恥ずかしくってクッションの下に下に下に隠した。(それでも、漏れる純ちゃんの声にドキドキした。おれは最低だ)
「じゃあ、聞こうか」
「えっ…、早くない?心の準備が…、」
「いくらまっても心の準備なんてできないぞ」
おれたち、ずっと、そうだっただろう。
青八木くんの言葉にはっとする。そうだね、おれたち、言いわけばかりの人生でした。
『……どう?』
『まぁまぁですかね』
『かわいくねぇの!おまえが食べたいって言うから、せっかく作ったのに、』
ケーキ、苺じゃないといやだって言うから、あーあ、高かったのに、ほんと、かわいくねぇ、おまえは昔からそうだよ、
『そうですか?あなたは、昔からかわいかったですけど』
地層から掘り出された黒い箱は純ちゃんとだれかの会話を奏でている。
ばか。ばかじゃないです。二人の距離の近さが伝わる軽口の応酬に寒気がした。
「…ねぇ、」
「ああ、」
「この声って…、」
いまいずみだ。と青八木くんがため息とともに言った。呆れたように、あきらめたように。
どうして?とおれは言いたい。純ちゃんにも、青八木くんにもだ。
今泉俊輔。よく知っている。総北のエースだ。たしかにすごく整った顔をしているけれど、ときどきじぶんのことしか見えてないかのような走りをする、刹那的な男だ。そんな男に他人を幸せにする力があるだろうか?
(呆れちゃうよ、純ちゃん、どうしてそんなこともわからないの?)
青八木くん、だからね、純ちゃんに恋人(恋人?嘘だ!)がいたとしても、なんの問題もないんだよ。だって、純ちゃんを幸せにできるのは、おれかきみしかいないんだから。
だから、あきらめる必要なんてないんだ。
「だめだ、葦木場、もう、」
「なんで?なんでだめなの?なにがだめなの?もうってなに?まだおれたちははじまってもいない!」
鍵盤に両手を叩きつけるように叫んだ。肩で息をする。でも、おればかりが乱れていて、青八木くんは達観していた。この状況で、この状況で!
「知らないのか。純太は中学生のときからずっと、今泉が憎かった」
高校で、同じチームになってもずっと、純太は今泉が憎かった。じぶんにないものをもっているあいつが、憎くて欲しくて、手にいれたくて、たまらない、って顔を、
「ずっと…ッ、」
青八木くんの頬には涙が流れていた。静かな涙だった。
…わかってたんだ、きっと、純ちゃんを幸せにできるのは、おれでもじぶんでもない、って。
わかってて…、でも、信じたくなかったんだね。
「知らなかった。そんなことも、知らないようじゃ、隣なんてとても…、歩けないね」
もっと食べたいんですけど。まずいんじゃなかったのかよ。まずいなんて言ってませんよ。
(隣は…、歩けないけど、)
おれなら、おれだったら、青八木くんだったら、純ちゃんがおれのために作ってくれたもの、ぜんぶおいしいおいしいって、食べるのになぁ。
「…これでよかったんだよね?」
そのまま古賀くんの家へ黒い箱を返しに行った。
もうわかったから。青八木くんの一言で古賀くんはすべてを察したらしかった。黙って黒い箱を受けとると、勢いよく床に叩きつけた。
…ああ、やっぱり古賀くんはやさしい。八つあたりすら、できないおれたちの代わりに。
「進めたんだ。よかったんじゃないか」
なんとなく別れがたくて、住宅街をぐるぐる歩く。星は綺麗で、心は暗い。積年の片想いだもの。すぐにわりきれやしない。
それは青八木くんも同じはずなのに、これは前進だなんて言う。おれたちには大きな一歩だなんて言う。
青八木くんの嘘つき!ほんとはさ、悔しくって悲しくって、たまらないくせに。
やっぱりおれたち、言いわけばかりの人生ですね。
『まずいなんて言ってませんよ』
青八木くんと手を繋いで宣言する。今日からー、おれたちはー、新たなる一歩を踏み出しまーす。せーの!
(純ちゃん!)
おれだったら、もっとおいしそうにケーキを食べるよ。青八木くんだってそうだ。
もし、あのとき、おれが純ちゃんの苦しさに気づいていたらなにかが変わっていたのかな。
『どうだか』
悔しい。悲しい。そんなこと、どうだっていいんだ。おれだったらとか、青八木くんだったらとか。もしとか、あのときとか。
そう、純ちゃんの声音が雄弁に語っていた。
今泉、すきだよ、って。