過激なセックスがしたいんじゃない。
あんなところを舐めたりあれをひどく殴られたりあそこを指で暴かれたり、そんなことをしなくても、ふつうのセックスだけでおれたちにはじゅうぶん『過激』だ。
だって、男同士で兄弟なのに、お互いに性器を外気に晒して、興奮でふるふる震わせているんだからね。
「おれ、男同士で兄弟なのに、弟と、こんな悪くていやらしいことしちゃってる」
もう一言、そう思うだけで、おれの脳内にある麻の大草原に火がついてしまう。煙が充満して、鼻に入って、理性がとろける。身体が反応して、ひくひく動く。足先が痺れる。触ってほしくて、容量が増す。お願い助けて、と目で訴えれば、そこからは『過激』な、たった二人だけの舞台だ。
ふぅ、ね、とっても気もちいいでしょう。それだけで、とっても気もちいいでしょう。だから、だから、とくべつななにかはいらない。たった一言と、弟の存在で、それだけで、もうやめて、と叫びたくなるくらい、『過激』なセックスになるから。
−−−−−−−−−−−
いつまでも夢を追いつづける、少年のような人だと思った。ぼくがすでに失いかけていた、好奇心でキラキラ輝く瞳をもっている。
その生き方が、すてきな人だと思った。その輝く瞳が、かわいい人だと思った。
ただ漠然と、すきだな、と思った。
「おはようございます、星加さん」
「ああ、原田くんか、おはよう」
はい、どうぞ。と彼にコーヒーを差し出す。
彼は、朝の目覚めのためにこの液体を利用していて、毎朝、毎朝、喉に流しこむ。そのときだけ、ぼくは彼を独占することができる。
そのことと、胸に生まれた想いに気づいてからぼくは毎朝、この言葉をくり返してきた。はい、どうぞ。
(あなたがすきです)
彼はそのことをまだ知らない。まだ知らなかった。今朝までは。
「お、ありがとう。……きみさぁ、」
彼は、ず、と一口コーヒーを啜って、眉間に皺をよせながらおれを見る。きみさぁ、
「なんでこんな…、おれの好みがわかるの?」
今朝までは、そうだ、今朝までは、まだ知らなかった。
ぼくが明確で曖昧な言葉を口に出すまでは、まだ。
「……なんの話です?」
「いや、コーヒーの…、味の話だけど」
「ああ、そんなのわかるに決まってるでしょう、」
ぼくがあなたにコーヒーを淹れつづけて、何年目だと思ってるんですか。
ね?と目の端で薄く笑うと、彼は、そうだな、と微笑みながら、カップに口づけた。
(……かわいい人だ、)
彼はぼくの言葉と笑みの真意をきちんと理解している。なぜなら、耳が薄く赤くなっている。
でも、ぼくはその事実を追求しない。なぜなら、なぜならなぜなら、
「うまいよ」
「それは、よかった」
なぜなら、
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ふっ、ふっ、と浅い呼吸がベッドの上に充満している。
横たわって、おれに遊ばれている南波はどうやら余裕がないらしい。右手でマットレスを叩いて気をまぎらわそうとしている。
気にいらない。南波が、どんっ、と強く打った瞬間に、わざと音をたてて抜き差ししてやった。
やらしい音が聞こえるだろ、おまえの穴からしてるんだぜ、これ。
目を合わせて笑う。
さらに強く、音が鳴るように、南波がよすぎて余裕がなくなるぐらい、腰を動かす。どうだ、どうだ、おれだけ見てろよ、考えてろよ、なぁ、と奥に奥に突いた。
「…あッ、」
南波の白い喉が見える。あと少し。そう思ってゆるく腰を引いたそのとき、南波の腕が首に巻きつく。
「いかないで」
だめ、いかないで。
引いた腰を逃がさないと足で捕まえて南波は言う。
「いかないで」
まだいかないで、もっとちょうだい。
おれに縋りつくような、欲に忠実すぎる情けない姿に腹が焼ける。
にやりと笑ってさらに深く奥へ奥へと押しこんでやった。ギリィ、と爪が肩に食いこむ。その痛みさえ、今はいい。腹が焼ける。
「あっ、だめ、すご…、」
言葉を消してやりたい。言葉がなくなるほどむしゃぶりつくしてやりたい。衝動的に噛みつくようなキスをして、ぐぅ、と舌先を押し潰した。
「……〜ッ、」
願いどおりに言葉が消えた悲鳴をあげて、南波は達した。
それに満足しておれはおれを注ぐ。一滴残さず飲み干せよ、とやさしく頭を撫でて命令する。南波はこくこくと首を動かしながら、まるで離れたくないというように足の力を強めた。
そんなに心配しなくても、離してなんかやらないから、だから、安心しろよな、とおれは笑った。
傲慢に。
−−−−−−−−−−−
「こんなところを弄ばれるのははじめて?」
わたしは恍惚とした。この、美しい青年の身体を汚すのはわたしなのだ。わたしがこの青年を汚しているのだ。酒と煙草とセックスと堕落した生活を教えて、汚しているのはこのわたし…。
「…ッ、うぅん、」
わたしは恍惚とした。青年のうわずった声にたしかに昨日まで存在しなかった性の気配を感じたからだ。これは一点の黒い染みだ。この染みがやがて欲に飲まれて青年の身体に広がっていくだろう。その一点の黒い染みを落としたのが、わたしなのだ。青年の身体に絶頂を求める卑しさを植えつけたのはまぎれもなくこのわたしなのだ。
(ああ!)
わたしは恍惚とした。美しい青年よ、わたしはきみの身体を犯すだろう。だが、それ以上にきみの精神を犯すのだ。きみの純潔を犯すのだ。きみの精神に黒い染みを、きみの身体に赤い痕を残すのだ。美しい青年よ、それでもきみは美しい。でも、わたしの残した染みがいつまでもきみを苦しめるよう!わたしは願わずにはいられない。
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おれは宮田アツシに身体のすみずみまで知られている。そういう間柄にされた。乱暴な方法で。身体だけではなく、性格や感情の起伏を表す小さな瞳の揺らぎすら、知られているという自覚がある。
しかし、おれは宮田アツシのなにも知らないと言っていい。過去も家族も身体も性格も感情も、なにもかも。
宮田アツシはわからない。なぜおれをベッドに押しこめようと思ったのか。それが一時の衝動なのか、慢性的な鼓動なのかも、わからない。あいつが囁く愛の言葉も憎しみの呪いも背中を撫でる手のひらも首を絞める長い指も、わからない。なにを信じたらいい?おれはおまえのなにを信じて身を任せれば…。
「抵抗してください。わたしの理不尽を受けいれようとしないで、」
「そう、そうです。あなたはわたしのされるがままになっていればいい」
もうあきらめて身を任せようとしたときが二回ある。
そのとき、宮田は対極な言葉を吐いた。受けいれてはいけない。されるがままになれ。こういうことはよくあった。
宮田アツシは会うたびに印象が変わる。もし宮田アツシにそう言えば、
「新鮮で、飽きがこなくていいでしょう?」
「それはわたしが情緒不安定ということですか」
「あなたといると緊張してしまうんですよ」
の、どれが返ってくるのかわからない。これら以外かもしれない。
宮田アツシは予測がつかない。
わたしを愛しているのか、それとも、ただ弄んでいるだけなのか、それすらもわからない。やさしく背中を撫でていたかと思うと、それと同じ手のひらで頬を叩いたりもする。わたしは宮田アツシのなにも知らない。対極すぎて理解もできない。
それは、知らないではなく、知れないで、わたしはそれが悲しい。
おれは宮田アツシが憎い。けれど、同時に愛おしい。宮田アツシが、おれに縋る腕は子鹿のように弱々しく、おれに宣言する愛はたしかに強く輝いていた。愛おしい。けれど、憎い。なぜ貶めるようなまねをして、おれの腕をベッドに縫いつけたのだ、と訴えてやりたい。
宮田アツシは対極だ。理解できない。
わからない。だからこそ、絡めとられているのかもしれない。
おれがはっきりと拒絶を口にすれば終わる、脆い間柄なのに、おれはそれを口にできない。もしかしたら、もしかしたら宮田アツシはほんとうに、わたしを愛しているのかもしれない、そう思わずにはいられない。
宮田アツシには魅力があった。ああ、この弱く不器用な男を抱きしめて癒してやりたい、と思わせるだけの魅力が。
「いいですか。吾妻さん、あなたはわたしを軽蔑しなければいけませんよ。それがあなたの義務なのですから…、」
さんざん乱暴に犯されたあと、やさしい声音で縋るように諭される。おれはそれに頷くだけで、抱きしめない。
おれは悟っている。宮田アツシは同情を憎んでいる。とくにおれのような、脆い間柄の男からされる同情を。
「……ああ、」
宮田アツシには魅力があった。この男がいやがることはしたくない、と思わせるだけの魅力が。
「よかった…、」
おれは宮田アツシのことを知らない。理解もできない。知れない。
でも、宮田アツシには、すべてを受けいれてやりたい魅力がある。
おれはそれが気になって、気にいって、宮田アツシを拒絶しないのかもしれない。
(あと、おれの背骨をなぞる、おまえの細くて長い人さし指も、)
拒絶しない、理由の一つだ。
−−−−−−−−−−−
「寝不足になりませんか?」
いっしょに。微笑みながら宮田は言った。
宮田の背後には無垢なベッドが横たわっている。そちらに目を向けながら、ふ、と記憶を遡れば、情事の姿が湧き出てきて、頬が熱くなってしまう。おれはいつも余裕がなく、宮田はいつも涼しい顔で微笑んでいる。その差が憎かった。
おればかりが犯されているようで。
「……いやだ」
憎かったから、拒絶の言葉を口にした。それでも、宮田は涼しい顔でそれを踏み倒すだろう、と思っていたのだ、けれど、
「そうですか、残念」
宮田は一言呟いておれの手を放してしまった。
これは、予想外だ。宮田のこんな反応は。踏み倒さない?なぜ?
宮田、どうして?
揺れた瞳からなにかを感じとったのだろう。宮田は愉快そうに口角を上げた。
「どうか、しましたか?いやなんでしょう、あなた、わたしに…、」
わたしに?宮田はそのつづきを口にはしない。ただ、ゆっくりと微笑んでいるだけだ。宮田はおれの、おれの動揺した滑稽な姿を笑いたいだけだ。
ああ、宮田、おまえはなんて性格の悪い奴なんだろう!
そこまでしておれを貶めたいのか、宮田、おまえはどうしてそこまで…、でも、貶められるとわかっていても宮田と会うのをやめないおれはなんだあの無垢なベッドに身体を縫いつけてほしいと腹を焦がすおれはおれは、おれは、なんだ、どうしたいんだ、宮田に、どうされたいんだ、宮田に、宮田なんかに!
(宮田、おれはおまえが憎いよ)
おまえの涼しい顔も性格の悪い微笑みも眠たげな瞼も薄い手のひらも鼓膜を犯す声もなにもかもが、なにもかもが憎いよ。
宮田、おまえはおれが憎いのか。憎いから、こんな、こんな、
「……あらら、」
おれを焦らすような!
「なにも泣かなくても…、」
呆れたように目尻を拭う、宮田の、細くて長い人さし指にさえ、憎しみを覚える。
憎い!そして、その倍、悔しかった。宮田の手のひらの上で観察されている、この惨めさ、滑稽さ、それでも、宮田を求めるおれの卑しさが。
「どうして…、」
思わず声が漏れてしまった。
(どうして、おれはこんなに憎い男と寝たいのだろう)
宮田、おまえのその察しのいい頭も憎い。おれの悔しさを、矛盾を、疑問を、すべて見透かしているんだろう?おまえの目尻の皺がそう言っている。どうせなら、口に出して蔑んでほしい。
でも、おまえはけっしておれを言葉で罵りはしない。言葉では。
「どうして…?」
わからないんですか、そう、そうですか…。宮田はおれの頬を指でやさしくなぞりながら囁く。
教えてさしあげましょうか。耳もとで宮田の低く甘い声が響く。
「あなたは、」
わたしのことがいやであればあるほどいい。きらいで憎くて、涙が出るくらいが、あなたにとってちょうどいい。
「なぜなら、」
吾妻さん、あなたはね、わたしに、
「……身体を汚されてほしいんですよ」
そうでしょう?興奮、しているでしょう?
「あなたの身体が熱いのは、憎しみでも悔しさでも羞恥でもなく、快楽ですよ」
……さぁ、吾妻さん、
「寝不足になりませんか?」
いっしょに。微笑みながら宮田は言った。
−−−−−−−−−−−
眠い。ふぁ、と欠伸をしてアメリカにあるロケットに小さな教室から想いを馳せる。ああ、早くNASAに行きたい。その前にJAXAか、その前に大学を卒業して…、だから、こんな女にかまってる暇なんてないんだよ。
「日々人くん、聞いてる?」
おとなしそうに見せている女だ。艶々の黒髪、細くて折れそうな腕、真っ白な肌、童貞(を代表とする男の大多数)がいかにもすきそうな女だ。そう見せている。天然じゃない。ぜったいに性格が悪い。おとなしくなんてない。ほんとうにおとなしい女なら、人間蠢く教室でおれを名指しするだろうか。日々人くん、ちょっと、いいかな?なんて、綺麗に頬を赤らめて。
(チーク?っていうの?まぁ、なんでもどれでも、いいや、でも、演技に惜しみない努力を払う、あんたに敬意を評そう)
にっこり笑った。おれの整っている顔が一番、美しく見える表情で。
女は安堵する。よかったねぇ、あんなに注目を集めておいて、ふられたなんて、あんたのプライドがゆるさないだろ?でもさ、甘いよ。おれは笑っただけなのに、男の笑顔はすべて、あんたに傅くためじゃない。
「あんた、だれ?」
女は固まった。呆気にとられる、って顔してる。信じられない、って。
そりゃそうだ、男を名指しで呼び出せるような女は、じぶんの容姿を理解していて、それに自信をもっているものだから。だから、信じられないんじゃない?
ちょっと、あんた、嘘でしょ、あたしを知らないの?
「だれ?それに、なんか用?おれ、眠いからさ、用があるなら、早くしてくれない?」
知るわけないだろ。おれはおまえとちがって、暇がないんだ。ベッドに沈んで、身体を休めるほうがよっぽど有意義だね。
信じられない?あんたより睡眠をとる男がいることが。焦ってる?
「あ、あたし、日々人くんがすきなの、だから、あたしとつきあって」
女は口をはくはくと動かしたあと、早口でまくしたてた。苛ついてるはずなのに、傷ついた、って顔してる。詰めが甘くない?ちょっと言葉の端に出た。つきあって。その言葉の傲慢さ。ほらな、やっぱり性格悪いだろ?
「ふーん、で?」
「えっ、」
ここまで邪険に扱われて、まだ勝てると思っていたのか!ばかもここまでいくと気もちがいいね。
「終わり?言っとくけど、あんたのことをかわいいと思うほど疲れてないから」
女は目を大きく開けて、はぁ?と小さく言った。ほーら、やっぱり詰めが甘い。もう化けの皮が剥がれた。たいしたことない、ってじぶんで言ってるよ?
「もっとあんたの身の丈に合った男にしたら?あんたをちやほやしてくれる男なんて、その容姿にしてたらいるだろ、たくさん。わざわざおれにしなくても…。そうしたら、おれだってこんなめんどくさいことにつきあわなくてすんだのに」
で、帰っていい?
女は口端をぶるぶる震わせている。こんなこと言われたの、はじめてなんだろうなぁ。それくらい、世の中にばかな男が多いってことか。
なにか言うかな。罵るかな。と思った。でも、女は怒り心頭で言葉が出てこないらしい。
ラッキー、と踵を返す。こんな女とこれ以上いっしょにいて、噂になったらたまらない。
「あ、ねぇ、」
そうだ、忘れてた。こんなくだらないことでおれの睡眠時間を削ったんだ。これくらい要求してもいいよね?
「あやまって」
「は、」
「いや、だから、こんなくだらないことにつきあわせたんだから、あやまってよ」
早く。なに?あんたが悪いんだよ。おれに告白したあんたが悪い。だから、ほら、早くあやまって。
「ふったぁ?あの、ミスキャンパスを?」
ごめんなさい。と、しっかり頭を下げてあやまらせたあと、鞄をとりに教室に戻ると、どうなったどうしたなにがあった、と揉みくちゃにされた。
「へー、知らなかった」
「なんで知らないんだよ!」
「興味ないから。べつに今、彼女いらないし」
「いや、でも、ふつうふるか?あんなにかわいいのに!」
「かわいい?どこが?」
あの人、あたしに告白されてうれしいでしょ、って顔してたよ。
「外見に騙されてるから、彼女ができないんだよ、おまえ」
気のいい知り合いの肩を叩いて、教室を出る。と、うるせぇ、ばかやろう。悔しまぎれの遠吠えを背中で聞いて、ベッドに向かって歩いて行く。やっと眠れる。ああ、めんどくさかった。
「だれ?」
後日、あの女の性格の悪さは同性にはよく知られていたらしい。おれの言葉がきっかけで、あの女は避けられるようになった。そして、一人ぼっちで消えるように大学を辞めた。
らしい。よくわからない。あの子、大学辞めたって。噂で聞いただけだから。
それに、名まえも顔も忘れてた。興味もないし、どうでもいい。おれにはそんなくだらないことにつきあってる暇がないんだ。
だって、おれは宇宙飛行士になるんだから。