ハートに火をつけて



燃えればいいと思った。兄の大切なものが、ぜんぶ、燃えてなくなってしまえばいいと。

「ムッちゃん…、」

兄の家が全焼した。原因は放火だそうだ。犯人の手がかりは掴めていないらしい。でも、それは警察が無能だからじゃない。ただ、おれが有能だっただけだ。

「お義姉さん、は…、」

そう訊くと、頭をうな垂れた兄は力のない腕をそろそろと上げ、人さし指で方向を示した。白く、小さな棺が重い雰囲気に似合わず、てらてらと光っている。
「結婚式のウエディングドレスのように真っ白にしてください。人生で一番、綺麗だった色であいつを送ってやりたい」
家と義姉が燃えて炭になってから、一言もしゃべらなかった兄がゆいいつ意志を表した言葉だったから、なんとしてでも叶えてやりたい、と喪主になった父は強く思ったそうだ。すごい、と思う。さすが父だ、とも。でも、おれは場ちがいに光る義姉を非常識だと思うよ。死んだあとでも注目されたいなんてばかじゃないの、あの人らしい。美しい?寝言を言わないで。あの日、結婚式の日、あんたは一番醜かった。幸せで顔を歪めて笑うあんたはたしかに世界で一番醜かった。兄の隣を盗んだあんたが、憎くて憎くてたまらなかった。

燃えればいいと思った。

おれは昔から兄の一番じゃないと気がすまなかった。いつでもなによりだれよりも、一番じゃないといやだった。愛している人の一番になりたい。それを生物の素直な欲求だと信じていたから、兄の大切なものをぜんぶ燃やして生きてきた。
お気にいりの毛布?ばいばい。はじめてとれた100点のテスト?ばいばい。かわいいあの子に貰ったラブレター?ばいばい。ずっと行きたかった高校の合格通知?ばいばい。先輩に貰った思い出のユニフォーム?ばいばい。試験日が近くなるとそればかり考えていたね、センター試験の受験票?ばいばい。一人暮らしになっても、ものがなくなっていったろ?おれが燃やしに行ってたからね。
ばいばいばいばい、さようなら。よく燃えた。兄の大切なものが燃えていく、それを眺めるときがおれの恍惚だった。兄の心を削りとっているような感覚、余分なものを削って削って、残るのはおれだけ、おれのことだけ、兄の心にはおれのことだけしか残らない。たとえ一瞬でも、それがうれしくて、おれたちの恋がさらに美しくなる。

「どうだ、おれの嫁さん、綺麗だろう?」

どこが!あんな女、あんなブス!あんな、あんな女なんかより、おれのほうが、もっと…、
ある日、大学から帰ってきて玄関を開けた瞬間、おれは登って墜落した。兄のくたびれた革靴がある!うれしくてうれしくて、顔が見れて声が聞けて話ができるだけでうれしくてうれしくて、飛び上がって駆け出そうとして、気づいた。兄の靴の横に小さいヒールがあることを。女ものの靴があることを。それの意味を理解するには、家に響く両親の笑い声だけでじゅうぶんだった。
「あら、日々人、おけーりぃ、ムッちゃんね、結婚するんだって、」
母ちゃんの声と父ちゃんの頷きとムッちゃんの照れ笑いを、順に認識していって、最後、女の微笑みが脳に侵入したそのとき、おれはこの女を燃やすことを決めた。
そして、ムッちゃんにも、罰をやらないとね。

(ムッちゃんも悪いんだ、おれがいるのに、こんな女を妻にしたんだから…、)

ここ数年で、嘘笑いがうまくなったと自負している。心の底から憎い相手に「おめでとう」「幸せになってください」「すごく綺麗です」「ムッちゃんを頼みますね」なんて言葉を、淀まず真実のように言えるくらいには、うまく。
今すぐ髪に灯油をかけて火をつけてもよかった。でも、それじゃあ、ムッちゃんがあんまりだ。かわいいかわいい弟がそんなことしたら、びっくりしちゃうもんね。ショッキングな事件だから、マスコミに追いかけられちゃうかもしれないしね。
大丈夫、ムッちゃんの迷惑になんてならないよ。
だから、裏の裏の奥の奥、隠れてこっそり、ぜったいばれないように準備して、それにすごく時間がかかってしまった。やっと準備が終わって、あとは火をつけるだけになったとき、ムッちゃんが一戸建てを買ったのは、もうほんとうにタイミングが悪かったとしか言いようがなくて、わざとじゃないんだ。それだけは信じてほしい。ねぇ、おれが燃やしたかったのはあの女だけだったからね。あの女だけだったからね。

「ああ、やっと終わった」

あっけないくらい、火はあの女を包んだ。ついでに他のムッちゃんの大切なものを詰めた家も。あの女が台所にいるとわかっている時間にきちんと台所に火をつけたから、あの女にはすぐに火が燃え移った。痛い痛い熱いこわい助けて痛い。そう泣き叫びながら外へ出ようとした女をきちんと燃えるように火の海に突き飛ばしてから、現場から去った。
女が、助けて六太くん、と一言でも言っていたなら、燃やすだけじゃ気がすまなかったかもしれないな、と家で麦茶を飲みながら思った。一人暮らしのアパート。ムッちゃんの家から三駅離れている。ちょうどいい距離だ。消防車の音が聞こえなくてよく眠れる。

「六太の家が…、燃えて、」

まぁ、今夜は眠れないだろうとは思っていた。家についたらすぐに電話が鳴るだろうとね。
さすが嘘笑いがうまくなっただけある。おれの「兄の家が火事になった弟」の演技は完璧で、賞をやりたいくらいだった。
母ちゃん!なにこれ…、どういうこと?ムッちゃんは!お義姉さんは?ぶじなの…?そんな、お義姉さんが、まさか、そんな、ムッちゃん!ムッちゃん!大丈夫?こっち見て!ムッちゃん…、ッ、大丈夫、おれがいるからね、おれがいるから、大丈夫だよ。
そう言いながら、ムッちゃんの冷たい身体を抱きしめる。

(もうなにも心配いらないよ。邪魔者は消えたから。これでまた、おれたち二人っきりの世界だね)

お義姉さん、おれたち、幸せだよ、幸せに戻るよ。あの日、おれが祈ったように、お義姉さんもおれたちの幸せを祈ってくれるよね?
女の、開けることを許されない、真っ白な棺に向かって心の中で囁く。燃やされたあとにまた燃やされるなんて、笑えちゃうね。そう思わない?
ふふ、と口の中で微笑して、それからは、やっと手に戻った兄とどうすごそうか、と考えて、楽しくて楽しみで踊りだしそうだった。思わずステップを踏んで回りたくなるような、幸せな日々がまっている!火事のショックでしゃべらなくなった兄を見守るのは弟であるおれの役目になった。とうぜんだ。おれは弟で、ムッちゃんの心のすべてなんだからね。
さぁ、ムッちゃん、明日からどうやって愛を紡ごうか?

「知ってたよ。おまえがおれの大切なもの、燃やしてたこと、ぜんぶ、」

二つ並んだベッド、隣で眠る兄を見つめる、その甘美さ、幸せを感じながら、明日を夢みて眠りに落ちた。明日からはじまる兄との生活、ずっと思ってた、早くその日が訪れますように。

「知ってたよ」

頬に柔らかさを感じて目が覚める。薄く目を開けると、兄が微笑みながら指の背で頬を撫でていた。まるで幼い少年の頃のようで、鳩尾がくすぐったくなる。ムッちゃん、おれも。そう言って兄の頬を撫でようとして、動かない。身体がガムテープで固められていた。
おどろいて目を見開く。身じろぎしても石のように動かない。頭がついていかない。兄はまだ頬を撫でている。微笑みながら。
どうして?なんで?どうして?なにがおこってる?ムッちゃん、ムッちゃん、もしかして、そんな、おれの計画は完璧だった!ばれたなんて、そんなこと、復讐?どうして!おれは不純物を除いただけなのに!

「日々人、知ってたんだよ。知ってた、知ってたんだよ…、」

兄がおれの頬を撫でながら、こぼした真実は圧倒的に頭の中を蹂躙した。知ってたよ。それだけの言葉に、心臓が悲鳴をあげるほど慄くなんて思ってもみなかった。
いつから?どうして?訊きたいことはたくさんあるのに、口内が渇いて声が出ない。ただ、これからおれは殺されるのか、とただ漠然と感じた。

「おまえがおれの大切なものを燃やすたび、おれはうれしかった。日々人、おまえに削られていく感覚が、たまらなく気もちよかったよ。でも、おそろしかった。それに喜びを感じるおれが、それをなんのためらいもなくできるおまえが、いずれ、それだけじゃ、がまんができなくなるだろう、おれが、」

兄はたんたんと言葉を紡いだ。愛の告白のようだった。今にも殺されるかもしれないのに、おれは、泣きたくなるくらいうれしい。おれもだよ、おれもずっとずっと想ってた。
おれの潤む瞳にキスをして、兄は呟く。がまんができなくなるんだ。日々人、おまえは知らないだろうけど、おれも燃やす側なんだよ。

「おれもずっとずっと想ってた、大切なおまえを燃やしたい、燃やしておれだけのものにしたい、って、ずっと、」

おまえが生まれたときから。
そう言って、おれに灯油をかける兄の声はやさしい。しかし、切実だ。余裕がなくて、切れ切れの声。それを兄に出させているのがじぶんだと思うと、たまらなくなって勃起する。
はじまる、と思った。なにもかも燃やしてきたおれが、ゆいいつできなかったことが。

「そんなこと許されるはずがない。だから、おまえがあきめてくれたら、と結婚したのに、おまえは燃やした。絶望したよ。もうがまんなんてできない。おまえを燃やしてやりたい、ってね」

ごめんな、日々人。でも、もうだめなんだよ。このままじゃおかしくなる。
ああ、兄の頬を伝う水滴を舐めとってやりたい。そんなことないよ、と言ってやりたい。慰めてやりたい、おれもだよ、って。

「ありがとう。ムッちゃん、おれもずっと想ってた、ムッちゃんを燃やしたい、ってずっと、」

だから、二人で火をつけよう。抱きあって炭になろう。そのまま溶けて、一つになろう?

「日々人、」
「ムッちゃん」
「日々人、」
「ムッちゃん」
「日々人、」
「ムッちゃん」
「日々人!」
「ムッちゃん!」

さあ!

燃えればいいと思った。兄の大切なものが、ぜんぶ、燃えてなくなってしまえばいいと。
その大切なものが、じぶんでも、兄でも、燃えればいいと思ったんだ。

「どうしよう、こんなに幸せでいいのかな」
「いいんだよ、悪いことなんてあるもんか」
「ねぇ、ムッちゃん、」
「ん?」

おれたち、きっと今、世界で一番幸せだね。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -