ぱくん
冬の夜に日々人といっしょに毛布にくるまって映画をみた、この赤いソファーの上で新田とセックスしてるなんて、ふしぎだ。
「……南波?」
「ん、どうした、新田」
「なにも…、」
「そうか」
そうか。くりかえしてカーテンの隙間から外を覗く。あの夜と真逆の夏の朝だった。
「おれ、ムッちゃんを食べちゃいたいよ」
おれは日々人がすきだった。弟で、家族で、男だったけれど、どうしようもなく、すきだった。愛してた。
愛してる。
でも、おれは、なにも言わずに、なにも告げずに、ただ視線にたっぷりと熱を含ませた。
それだけで心は満たされた。
(嘘だ)
すきだった。愛してた。愛してる。ほんとうに。食べられたい、と願うほど。
「南波、なぁ……、」
でも、弟に、家族に、男に、そんなこと、言えない。言わない。告げない。告げたい。すべて忘れてしまいたい。
だから、
「すき?……もちろん、」
おれは、おまえだけがすきだよ。と嘘ばかりついて生きている。
ごめんな、と思うけれど、思うだけで、新田の甘くやさしい手を離す気にはならなかった。蔦のように縛りつけて、栄養を奪いつづけたい。おれを癒してほしい。傷つけず、ただ、母乳のように甘くやさしくしてほしい。
癒してほしい。お願い、やさしく抱きしめて、離さないで。
忘れさせて。おまえの熱で燃やして、殺して。
「おれ、ムッちゃんを食べちゃいたいよ」
あの夜。冬の夜。赤いソファーの上で毛布に包まれた日々人がこぼした、食べちゃいたいよ、は人工的な熱に満たされた空間に溶けた。
そして、溶けて溶けて、気体になって、おれの口に入りこんで、血液と混じって麻薬になって脳に刺さる。
食べちゃいたいよ食べちゃいたいよ食べちゃいたいよ、食べちゃいたいよ。
なぁ、それって、どういう意味?
「おれ、ムッちゃんを食べちゃいたいよ」
はい、どうぞ。
と、小指を折って、赤いリボンで飾って、プレゼントできたらよかった。プレゼントしたかった。
おれの身体が木だったなら、おれの小指が枝だったなら、あのとき、すぐに、折ることができたのに。
おれの身体を血液が巡っているばっかりに!
悔しい。悔しい。食べてほしいのに。おれを日々人に食べてほしいのに。
お願い。食べて食べて食べて食べて。おまえの身体の中でひとつにして。
おまえとひとつになりたいよ。
「おれ、ムッちゃんを食べちゃいたいよ」
なぁ、それって、どういう意味?
もちろん食べていいよ。ぜんぶぜんぶ食べていいよ。おいしくなって、まってるから。
でも、不安。どういう意味で言ったんだよ、日々人。
その言葉に期待はしないけど、信じてもいい?生きるよすがにしてもいい?
すきだって。おまえもすきかもしれないって。おれもすきだよって言ってもいいって、なぁ。
生きるよすがにしていいですか。
「南波?」
集中しろよ。とおれの頬をぺちぺち叩く、新田の顔が綺麗だ。
綺麗だ。綺麗だ。あんまり綺麗だったから、いつのまにかおれの口からこぼれていた。
「……食べちゃいたい?」
ねぇ、新田、おれのこと、食べちゃいたい?
ねぇ、新田は、新田も、おれのこと、食べちゃいたい?
食べちゃいたいくらい、すき?ねぇ、
(日々人より、)
おれのこと、すき?
新田はおれの言葉にあっけにとられたような顔をして、それから、顎に手をあてて、うーん、と考えこんでしまった。
新田はあまり表情が変わらないから、よくわからないけど、たぶん呆れてるんだと思う。
「ン、」
心苦しくなって、なんでもない、と笑ってうやむやにしようとしたら、新田はおもむろに、あの大きくて薄い唇を広げて、おれの唇を、ぱくん、と口に入れた。
そして、しばらく、はむはむ、とはんだあと、おもむろに唇を離した。
「……なに?」
新田の突飛な行動に、おれはぱちぱちとまばたきをしながら訊ねる。
おまえは、こんなこと、するような男じゃないだろう。
「いや、だから……、」
「だから?」
新田の恥ずかしそうに赤く色づいた頬が綺麗だ。美しいな、と思う。こんなもの、逃避だ。もしかしたら、と思う。
お願い、やさしく抱きしめて、離さないで。
「だから、『食べちゃいたい』、だけど……」
でも、新田があまりに真剣な顔をしてそう言うものだから。
「あっ、ははっ、あはははっ、」
思わず笑ってしまった。新田があまりに真剣な顔をしていたものだから。逃避が杞憂だったことに安心したものだから。新田があまりにかわいい行動をしたものだから。おかしくて、愛しくて。
悲しくて。
「な、なんだよっ、」
「なんでも、くくっ、なんでもないよ」
なんでも。と言いながら新田の肩に縋りつく。あの夜と真逆の夏の朝だった。
(ああ、そっか、新田ってば、すごく『ふつう』だ……)
ごめんな、と思うけれど、思うだけで、新田の甘くやさしい手を離す気にはならなかった。
「なんでもない。なんでもないんだ」
ごめんな。おまえの求める恋愛ができなくて。
ごめんな。精神に不健康な恋愛しかできなくて。
ごめんな、
おまえがすきじゃなくて。