腹に女がいる
「あなたのお腹には子宮があるのよ」
最近、夢におれによく似た女が出てくる。
くるくるの癖っ毛や、濃い眉や、黒々とした瞳や、輪郭、鼻の形、すべてがほんとうにおれによく似ていて、ああ、おれが女だったらこういうかんじなんだろうな、と夢を見るたびにぼんやりと思う。
女は遠くに立っていて、なにも言わずに、ただ微笑んでいる。
おれは、それをただ眺めている。
それだけの夢だ。
でも、その女を夢にみてから、おれの身体はゆっくり変化していった。
「んん?」
ある日、急に体重が増えていた。いつもと同じ量を食べて、いつもと同じ運動をして、いつもと同じ睡眠をとっているはずなのに、急に。
おかしいなぁ。こんなこと、今までなかったのに。年をとって体型を維持するのが難しくなったのかなぁ。
なんて、考えて、ふと、鏡で顔を観察する。
でも、肌はまだ若いな…。
「それは、恋をしているからよ」
夢の女がはじめてしゃべった。
鈴の音のように透きとおった、綺麗な声だった。
「あなたが今、いっしょに住んでいる、あのたれ目の男の人でしょう。すてきな人よね」
女が微笑みながらつづけて言う。
ねぇ、あなた、知ってた?
「あなたのお腹には子宮があるのよ」
その日、おれは胸にしこりを見つけた。
腹に子宮があるのかはわからなかったけれど、しこりと関係があるような気がしてならなかった。
「子宮があるのよ」
しこりを見つけた日を境に、女は毎晩、夢に現れるようになった。
そして、体重は増えつづけ、身体が丸くなりはじめ、胸がだんだん大きくなった、気がする。
おれはおそろしかった。じぶんの身体が変化していくことが。腹の中のほんとうにあるかどうかもわからない子宮によって、じぶんの身体が変化していくことが。
おれはおそろしかった。
だから、もう、夢なんてみたくなかった。女の鈴の声がおそろしくてたまらなかった。
「わたしあの人の子供が欲しいの」
でも、ある晩、いつものように女は現われて、いつもとちがって、はっきりとした声でしゃべった。
「わたしあの人の子供が欲しいの」
子どもが欲しいの。あの人によく似た、たれ目の子どもが欲しいの。欲しいの。わたしどうしても欲しいの。どうしても欲しいのよ。
女は鈴の音のような声を震わせながら、訴えてくる。
ねぇ、あなたもそう思うでしょ?そう思うでしょ?あの人の子どもが欲しいって思うでしょ?欲しいって思ったでしょ?でしょ?でしょ?でしょ?
おれによく似た女がだんだん近づいてくる。
ねぇ、
女はおれの正面に立つ。
「わたしあの人の子供が欲しいの」
そう言いながら、女はおもむろにおれの首を絞めはじめた。
おだやかに笑いながら、まるでやさしい母親のように、渾身の力をこめながら、おれの首を絞めていく。
ただ、瞳だけを赤黒く、らんらんと光らせて。
まるで母親のように。まるで鬼のように。
「男なんていらないのよ」
下腹部の痛みで目が覚めた。
内蔵が収縮するような、内蔵に傷があるような、胃痛に似ているような、ような、重い、言い表せない、今まで経験したことのない痛みだった。
「なんだこれ…」
はぁ…、と、重いため息をついて寝返りをうつ。
と、身体の穴から液体が出た。
(なんだ?)
尿じゃない。でも、精液じゃない。出てくる穴がちがう。
穴?それなら、穴ってどこだ。この穴はなんだ。どこにある穴だ。どこに?
(なんだこれなんだこれなんだこれ)
おそるおそる下に手を伸ばすと、下着が濡れていて、頭ががんがん鳴りはじめた。
おそろしくて、知りたくなんてないのに、手が止まらなかった。
(やめろ、やめるんだ、やめろったら)
下着を脱ぐ。グレーの生地に染みができていた。ありえない位置に。
男ならありえない位置に染みが。
(見るな、やめろ、見るんじゃない)
心臓の音がうるさい。うるさくない。
心が嵐の海のように騒がしくて、冬の湖のように静かだった。
(ちがう。そんなわけないだろう。まさか)
するりと股に手を這わせれば、とろとろ、液体が流れているのがわかった。
その流れを堰き止めて、指に液体を絡める。
それは、感じたことのない感触で、赤かった。
「血」
赤い、というより、赤黒いその液体は血だった。血でしかなかった。
でも、見たことのない血だった。
刃で指を切ったときの生きている血じゃない。指に絡まっているそれは、死んでいる血だった。
(でも、だとしたら、穴は、)
再び股に手をやって、奥へ奥へと進んでいく。
そこには、血の源泉の穴ができていた。男ならありえない位置に穴ができていた。
(穴は、)
穴に、ぐぅ、と、ひとさし指を入れてみる。
「ははっ、」
笑い声が漏れる。笑うしかなかった。それ以外、どうしたらいいのか、わからなかった。
穴の中は、狭くて、小さくて、痛かったけれど、身に覚えのある湿度だった。
『わたしあの人の子供が欲しいの』
夢の女の、鈴の音のような声を思い出す。
おれの首を絞めたあの女の瞳も、この血のように赤黒くはなかったか。
『あなたのお腹には子宮があるのよ』
女は微笑みながらそう言わなかったか。
まるで母親のように。まるで鬼のように。
「………たすけて、」
殺される。あの女に殺される。あの女におれの『男』が殺される。
「たすけて、たすけてよ、」
新田、新田、どこにいるの、お願い、たすけて、殺される。
股から赤黒い、死んだ血を滴らせながら、新田を探して、徘徊する。
ほんとうは走りだしたかった。後ろからあの女が追いかけてきて、肩を掴まれて、暗闇に引きずりこまれそうでおそろしかった。
でも、下腹部の痛みで足に力が入らない。
心細くて泣きそうだ。
「…ッ、」
新田はリビングで水を飲んでいた。
朝日に照らされた身体が美しかった。
「にった、」
そして、いやらしかった。
舐めるように水を飲む唇の動きが官能的で、下半身にできた穴がずくずく疼いた。
上下する喉が芋虫のようで、汚らしく犯されたい、と強く願った。
種を残したい、と強烈に思った。
「ああ、南波、おはよう」
どうしよう…。どうしよう…。ああ…、
『わたしあの人の子供が欲しいの』
夢の中でおれによく似た女が発した言葉が、身体に絡みついて離れない。
呪いのように絡みついて離れてくれない。
『種を残したい』
こんな、気もちは、想いは、『男』の中から生まれてくるはずがないんだ。
こんな、気もちは、想いは、
(女じゃないと、)
そうだ。
おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれは、
子宮から、腹の女から声がする。
「「わたしは、」」
この男の子どもが欲しい。