兄弟が終わる日



「……日々人?」
「きちゃった!」

おれは「またかよ…」とため息をつく。1ヶ月前とまったく同じ会話にうんざりした。

「今日は中に入れよ。寒いから」
「おれは玄関でいいよ」
「風邪ひくだろ、ばか」

遠慮する日々人をむりやり招き入れて、ベッドの上に座らせてから、台所のケトルのスイッチを押す。日々人は「床でいいよ」と言ったけれど、冷たい床に座らせるのはしのびなくて、「うるせぇ、おとなしく座っとけ」と黙らせた。

「なんでこんな日付が変わりそうな時間を狙って来るんだよ」とインスタントコーヒーの封を切りながら日々人に訊く。
時計の針は午後11時54分を指していた。

「寝てるかも、とか考えなかったわけ?」
「ムッちゃんならおきてくれると信じてた」

見なくてもわかる。日々人はきっと真顔で、信じてた、なんて、言ったに決まってる。昔からそうだ。日々人のネジのたりない発言は、いつも真顔の口から、そうでしょ?あたりまえだよね?といったニュアンスで、すらすら出てくる。
これで16歳。このネジのたりなさで高校1年生。ちらりとベッドの上の日々人を見る。あの筋肉、あの身体で高校1年生!
じぶんの腹筋をさすったあと、憎しみを込めて砂糖をマグカップにザラザラと入れた。

「ほら、インスタントだけど」
「砂糖は?」
「2杯入れたよ」

日々人の隣に座って、コーヒーをわたす。砂糖の量を訊く日々人にいつもの量を答えるとうれしそうに笑いながら、言った。

「誕生日おめでとう」

おれは、は、と口を開ける。日々人はそんなおれにかまわず、時計とカレンダーを順番に指さした。

「ほら、0時になったよ。10月28日の0時、ドーハの悲劇から19年目の今日だ」

日々人の言葉と時計、そして、カレンダーの28日という日付に、19年前の映像が蘇る。
青のユニホームを着た男たちがうずくまって泣いている、あの映像が。

「ドーハの悲劇か…」

それと同時におれは、日々人のUFOを思い出していた。糸が見えていて、一目で嘘だとわかるあのUFOのことを思い出していた。
うれしかったなぁ。日々人の、やさしさがこそばゆかったなぁ。と頬をゆるめそうになって、あわててじぶんを叱責する。

おれは宇宙飛行士にはならない!

そんなおれの思いを知らない日々人は、安いコーヒーを啜りながら、誕生日おめでとう、とくり返す。
そして、日々人は8回目の、誕生日おめでとう、のあとにコーヒーをテーブルに置いて、おれの目を見て、言った。

「おれが1番だったね、ムッちゃんに『おめでとう』って言ったの」

にへー、とだらしなく口元をゆるめる日々人に、ネジのたりなさを感じつつ、でも、あんまりにもうれしそうだったから、小言は喉の奥にしまって、つい甘い言葉をかけてしまった。

「そうだな、おまえが1番だよ」

そうだな、おまえが1番だよ?どうしよう、思ったより恥ずかしいセリフだったかもしれない!

おれは『1番』という言葉の甘やかさに思わず照れてしまったけれど、日々人はまたいつものニュアンスで、だよね、と相槌を打った。

「ムッちゃん、」

そして、相槌を打ったあと、日々人は口元をきりりと引き締めてと眼光を鋭く尖らせて、言った。
こめかみにピストルを押しあてて、引き金をひく瞬間のような、空気の冷たさがあった。

「彼女より言うの早かったし、ムッちゃんは誕生日になった瞬間、おれのことだけ考えてたよね」

そうだよね?と肩を掴む。そのまま手のひらに力をこめる日々人が、まるで見知らぬ他人のようで、急に変わった空気についていけなくて、おれは曖昧に微笑むことしかできなかった。

「な、なんだよ、知ってたのかよぉ、秘密にしてびっくりさせようと思ってたのに、だれから聞いた?母ちゃんか?」

肩の力から逃げ出したくて身をよじってみたけれど、日々人の檻は堅くてとてもむりだった。
日々人の真剣な瞳はらんらんと鈍く光っていて、おれは弟にはじめて恐怖を感じた。

「ムッちゃん、その女と結婚するの」

たんたんと言葉を紡ぐ日々人。その子どものような質問に笑ってごまかして肩の痛みをなかったことにしたくなったけど、日々人の必死な瞳がそれをゆるさなかった。

こわい。

「なんで……?」

震えながら三音の文字を吐き出す。
なんでそんなに必死なんだよ、なんで彼女より先に言ったことが大切なんだ、なんでおれに彼女がいることに怒ってるんだよ、なんで結婚なんていう、遠い話に結びつけるんだよ、なんでなんでなんで、

おまえはただの弟じゃないか。

「なんで……?なんで、なんでって、おれがムッちゃんをただの兄だと思ってないからだよ、だから、彼女なんていやだ、いやなんだ」

日々人が涙を湛えた瞳をしながら、肩の力はそのままに、顔を近づけてくる。
ムッちゃん、逃がさないよ、逃がしてなんかやらないよ、と日々人の周りの空気がそう言っていた。

「な、に言ってんだよ、おれたちはただの兄弟だろ?それなのに、おれに彼女がいるのがいやだとか、わざわざ誕生日を祝いに来たりとか、変、おまえ、変だよ、日々人、なぁ、おい、おまえ、どうしたんだよ、なぁ?」

おれは日々人の醸し出す空気から逃れるために必死に口を動かした。でも、日々人はどんどん顔を近づけてくる。顔を近づけるのをやめようとはしない。日々人を押しのけたいけれど、肩がギリギリと痛むほどの拘束でそれも叶わない。
このままじゃだめだ。なにが?わからない。でも、だめだ。このまま進むと、なにか恐ろしいことになる。なにかが確実に変わってしまう。なにか確実に終わってしまう。それだけはだめだ。だめだだめだだめだ。
そう思うのに、そう強く思うのに、身体が動かない。日々人の眼差しから目が離せない。

「変だよ、おれ、変だ、知ってる…、」

いつのまにかおれと日々人の距離はお互いの息と息がかかるくらい近くなっていて、お互いの瞳に映るじぶんがわかるくらい近くなっていて、日々人のらんらんと鈍く光る瞳にはたしかに狂気めいたなにかがあって、おれはこわくなってぎゅうと目を閉じた。

「……すき」

ゆっくりと時間が、水飴や蜂蜜のような粘度の高い液体が垂れるようにゆっくりと動いて、お互いの息と息が、お互いの瞳と瞳が一つになって溶けて混ざりあった。

日々人の唇は薄く、少しカサついていた。鳥の羽が触れたような感触のそれは、じぶんを見つめる瞳の熱量と肩の手のひらの熱さからは想像もできないくらいサラリとしていて、日々人の言葉とあいまって、まるで現実味がなかった。

「すき、すきだよ、ムッちゃん、弟なんかで終わりたくない、彼女なんていやだ、結婚なんてしないで、おれのことだけ考えていて、」

でも、肩の手を離して、おれの身体を抱きしめた日々人の熱に一気に現実に引き戻された。
耳の裏で紡がれている告白はなかなか頭に入ってこなかったけれど、唯一わかったことは、日々人がおれがすきだということ。

(日々人はおれがすきで、兄だと思ってなくて、だから、だから、キス……、)

キス!

そうだ、おれは日々人と、弟とキスをしたんだ、唇と唇を合わせる行為をしたんだ、日々人と、弟と、弟とキスをしたんだ。

キスをしたんだ。キスをしたんだ。キスをしたんだ。キスをしたんだ。

おれは弟とキスをしたんだ。

その事実を認識した瞬間、おれたちの間にあったなにかが確実に変わった。おれたちの間にあったなにかが確実に終わった。
おれたちは、おれたち兄弟は、ドーハの悲劇から19年目の今日、兄弟ではなくなった。

「お願い、ムッちゃん、すき…、」

やめてくれ、日々人、お願いだから、もうやめてくれ、頼むから、

兄弟のままでいさせて、




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2012年10月28日0時4分。

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