甘い羽



ムッちゃんに羽が生えたのは、14歳の冬だった。

「背中がむずむずする」

14歳のまだ身体が完成していないムッちゃんが、白い背中を「ねぇ、どうなってる?」と泣きそうになりながら見せたとき、おれは天国を見た。

ムッちゃんの背中の、2つある肩甲骨の少し下のあたりに、瘤ができていた。赤ん坊の握りこぶしくらいの大きさの瘤だった。
それだけなら、「左右対称に2つも瘤ができるなんておかしいね」と笑って慰めてあげるだけでよかった。
でも、できなかった。その瘤から鳥の羽が生えていたから。真っ白な天使の羽が。

「後天性天使症候群ですね」

世の中には、ごく僅かだけど、天使がいるということは知っていた。
背中に羽の生えた天使たちはしかるべき機関でしかるべき教育を受け、その力強い翼で遭難者の救助など、人間が偽の翼を使わなければできないような仕事をしている。ということはテレビなどで知っていた。
天使の数はごく僅かで、おれの生活には関係がないほど、遠い存在だと。

「意外に多いんですよ。遭難救助とか、あのくらい大きい翼をもっている人は少ないんですけど」

でも、どうやらちがったらしい。

医者が言うには天使には先天性と後天性の2種類があり、その多くは羽を隠して生きているらしい。羽が隠せないほど大きくなり、生活に支障ができた人だけが専門機関で飛行訓練を受け、いわゆる天使の仕事をしているらしい。

「差別に繋がる恐れがあるので、羽を隠している天使の存在は口外しないことになっているんです」
専門機関のやさしそうな医者は言った。ムッちゃんの緊張を和らげようと微笑んでいた。

「切除することはできないんですか」
差別と聞いて、母ちゃんは青ざめて、父ちゃんは固い声を出した。
おれは、「大丈夫、おれが守ってあげるからね」とムッちゃんの手をぎゅっと握った。

「羽を生やすために瘤に血管が集中していまして…、安易に切除すると出血多量で亡くなる可能性が高いんです」

しかも、瘤ごと切除しないとまた羽が生えてくるらしい。
その瞬間、ムッちゃんは天使として生きていくことが決定した。

幸いにも、ムッちゃんの羽は成人男性の手のひらほどの大きさにとどまり、プールやら夏服やらの『差別に繋がる可能性』は専門機関のしかるべき対処で解決した。

羽が生えたときはどうなるかと思ったけど、ムッちゃんは拍子抜けするくらいふつうに(小さな羽の生えた)人間として生活している。

それも宇宙飛行士になれるくらい、ふつうに。

「けっこうどうにかなるもんだなぁ。悩んでたのがばかみたいだ」

ムッちゃんは羽が生えた瞬間に(ああ、もう宇宙飛行士になれないんだ)と絶望して、夢をあきらめていたけど、最近、NASAやJAXAの規定が変更されて、羽の生えた人間でも宇宙飛行士になれるようになった。

「羽って言ってもさぁ、こーんな小さいもんな。生えてないようなもんだよ」

そう言って、手のひらを広げてニヤニヤしているムッちゃんに、よかったね、と声をかける。
三次試験に合格したムッちゃんは、おれといっしょにヒューストンに住むことになった。
うれしかった。ムッちゃんが宇宙飛行士になれたことはもちろんだけど、またムッちゃんといっしょに住めることも、すごくうれしかった。

そうだね、またムッちゃんの羽が食べれるね。

(……ムッちゃん、)

ねぇ、ムッちゃん、羽が生えてないって?それはまちがってるよ、と目で微笑む。

鳥の羽が季節の変わり目や繁殖期後に生え変わるように、ムッちゃんの羽も生え変わる。(医者によると換羽というらしい)
人間には(そして、天使にも)鳥のような繁殖期がない。だから、ムッちゃんの羽が生え変わるのは、季節の変わり目、夏と冬が始まる前だ。
換羽は体力の消耗が激しいらしく、シーズン中のムッちゃんはいつも怠そうにしている。

(あっ、見つけた)

天使の羽は、多くの鳥がそうなように、数枚ずつはらはらと抜けていく。
おれは羽の抜ける瞬間がすきだ。儚くて、淋しくて、いい。散りはじめた桜を見ているような、そんな気分になる。

抜けた羽は廊下の角やソファの下や冷蔵庫の中に隠れていて、おれはそのムッちゃんの羽を集めていた。やさしく丹念に宝もののようにムッちゃんの一部に敬意を払いながら。

集めてなにをするのかって?

おれは、ムッちゃんの羽を集めて集めて集めて集めて集めて集めて集めて集めて、集めて、羽毛ぶとんを作った。
ムッちゃんの羽がたっぷり詰まった羽毛ぶとんを、ずっとずっと作りたかった。

だから、ムッちゃんといっしょに住みたかったんだ。離れているとムッちゃんの羽はただのごみとして捨てられてしまう。なんてもったいない。おれなら綺麗に再利用してあげるのにね。

ねぇ、ムッちゃんもそう思うでしょ?

ダウンじゃないからあったかくはないけど、あたたかさなんか求めてない。ムッちゃんの羽に、つまりは、ムッちゃんに、全身をつつまれることに意味があるんだ。

はじめてムッちゃんと寝た夜のことをよく覚えている。

ああ、愛しい人に全身を包まれて眠る、その甘やかな時間といったら!

もうなにもいりません、神さま、おれはこの時間だけで幸せです、ありがとうございます、ありがとうございます、

そう小さく呟きながら神に感謝する。ムッちゃんが天使なら、感謝するのは神であるはずだろう?

だから。

あるとき、ムッちゃんの羽を衝動的に口に含んだことがある。

ぜんぜん、もう、びっくりするくらい、無意識に、口に手を運んでいて、ムッちゃんのふわふわの羽は、口の水分を奪って、もさもさするんだろうな、と思ってた、そうだ、まったくおいしそうじゃなかったのに、

すごく甘かった。

ムッちゃんの羽は、砂糖より甘くて、すごくおいしかった。

それからおれはムッちゃんの羽を食べることが癖になってしまった。

ふとんも作れたし、もぐもぐ、たくさん、食べれるね?

それから。

濡れたムッちゃんの羽を整えるのは、おれの仕事だった。

ずっと服の下に隠して、しわくちゃになった羽をドライヤーでやさしく乾かして、指でゆっくりと梳いてあげる。
ムッちゃんは気もちよさそうに背中を引きつらせて肩を震わす。
「気もちいいの?」と訊くと、「うん」と言う。

すきな人を気もちよくさせるなんて、背中を引きつらせるなんて、肩を震わせるなんて、瞳を潤ませるなんて、なんて、なんて、

なんていうか、もう、これって、セックスだよね。

ムッちゃんはおれがこんなことを思いながら、指を入れてるなんて考えてないんでしょ?
甘美な背徳感にぞくぞくしちゃうよ、気持ちいいね?

そして。

「日々人、早くしろよ。散歩しようって言ったの、おまえだろ?」
「んー、わかった、ちょっとまって」

そう生返事をしながら、ムッちゃんの抜けた羽をジーンズのポケットに入れた。

「おまえはいっつも準備が遅いんだよ。時間どおりに行動しなきゃだめだろ?宇宙飛行士はとくに!」

ぶつぶつ小言を言いながら、前を歩くムッちゃんの背中を眺める。

(あの背中には天使の羽があるんだ)

ポケットの中から羽をとりだして、おもむろに口に入れる。

「甘い」

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