泣く権利



南波六太が死んだ。

いわゆる不治の病というやつで、医療技術が発達した現在でも治せなかったらしい。それが発症してすぐにあいつは死んだ。なにもかもが急で、いつでも慎重すぎるくらい慎重なあいつらしくないと思った。

でも、苦しまずに、眠るように逝けて、よかったと思う。

日本でもアメリカでも南波の死はニュースになり、あいつとたいして親しくもない自称友人たちや縁の遠い親戚たちがたくさんお悔やみを申しあげていた。でも、あいつの家族もおれたちも、マイクになにも訴えなかった。
そんなことして六太が帰ってくるの、とあいつの母親がぽつりと呟いていたけれど、それがおれたちの本心で、無遠慮なマイクの群れに怒りすら覚えた。
一番、マイクの群れが血眼になって求めたのはあの人の言葉と姿で、「新田さん、今のお気もちは」よりも、「新田さん、日々人さんはなんとおっしゃっていましたか」のほうが、倍、多かった。
それはしかたないと思う。あの二人は日本人初の宇宙飛行士兄弟で、世界初の兄弟で月の土を踏んだ二人だったから。そして、あの二人はほんとうに仲のよい兄弟だったから。

おれと南波は同性だけど恋人同士で、恋人同士でも同性だったから、死にゆくあいつを看とることができなかった。眠るように逝けてよかったと思うのは心からで、それに嘘はないけれど、あいつの肌のぬくもりを、命の消える瞬間を、感じたくなかったと言うと嘘になる。
それでも、南波と話しておれたちの関係を公表しないと決めていたし、マイクの群れに追われるあの人を見るたびに、言わなくてよかったと胸を撫でおろしていたのだけど、

ああ、公表していればよかった、と今は激しく後悔している。

「ムッちゃん、ムッちゃん、なんで死んじゃったんだよぉ、ムッちゃん、なんで、」

あの人が泣くところなんてはじめて見た。そして、あのマイクの群れはこれが欲しかったんだな、と腑に落ちた。なんて涙を誘う光景で、なんて刺激的な映像だろう。暇をもてあました日常にはぴったりのスパイスじゃないか。

あの南波日々人が泣いている。なりふりかまわず、子どものように、兄の眠る棺にすがってわあわあ泣いている。

おれはまだ南波の死に触れていなかったから、まるで悪い夢をみているようで、足元がおぼつかず、気がつけば通夜に参列していた。ぼうっとしながら、しっかり「新田零次」と名を刻み、式場に入った瞬間、あの人がわあわあ泣いていた。あまりにもわあわあ泣いていたので、そして、その光景があまりにもかわいそうで、だれもあの人に声をかけられなかった。
だれも南波の顔を見ることができなかった。あの人が南波の死の匂いを一人で抱えて離さなかった。

ムッちゃんはおれのものだ、と言われている気がした。

南波は気がついていなかったかもしれないが、いや、気がついておれに言わなかっただけかもしれないが、あの人は南波のことがすきだった。家族として以上に、個人として愛していた。恋愛感情だった、それはまちがいない。
おれの背中を射抜く視線やあいつを見つめるとろけた瞳がそう言っていた。
だから、二人のいきすぎた仲のよさや、今のこの状況は異常ではなく、むしろあたりまえのことのように感じていた。

おれはこのときまだ頭がぼうっとしていて、気がついていなかった。それはけっしてあたりまえなんかじゃないってことに。

はじめに気がついたのは座る位置だった。おれは南波から遠い遠い同僚の席。でも、あの人は南波の顔が見えそうなほど近い親族席だった。
なにもおかしいことはなかった。世間的には、おれはただの同僚だし、あの人はあいつの弟だ。なにもおかしいことはない。
でも、おれは南波の恋人で、同性だけど恋人同士で、公表はしてないけれど、恋人なのに、どうしておれはこんなに遠い?どうしてまだあいつの顔も見ていない?あいつの死の匂いに触れていないんだ?

あ…っ、そうか、おれは、『世間的には』、ただの同僚で、あの人は弟だからだ。だから、距離がちがうのか。
こんなことは夢ごこちでぼうっとしていて冷静だからわかったことで、あの人みたいにあいつの死が現実だったら知りえなかった真実だろう。
おれと南波の間には『世間的な距離』があって、あの人との間にはそれが存在していない。
だから、あの人は南波にすがってわあわあ泣けるのだ。

絶望した。おれには泣く権利がない。

ただの同僚のおれがあいつの親や弟を押し退けてどうして泣くことができるだろうか。
おれは泣くことができない。あの人のように、なりふりかまわず、子どものように、泣くことがゆるされない。おれにはそんな権利がない。
おれには泣く権利がない。

どうして?あの日あのときあの瞬間、おれたちはだれよりもなによりも近かったじゃないか。二人の間には肌一枚の距離しかなかったじゃないか。
いつのまにこんなに遠くなった?
いや、はじめから遠かったのか。必死で目を逸らしていただけで、おれたちの間には、はてしない距離がよこたわっていたんだ。

焼香のとき、最期の別れなのに人波に押されてじっくり顔も見れなかった。
でも、あの人は泣きながらあいつの頬を撫でていた。
火葬のとき、おれは遠まきに見ているだけだった。
でも、あの人は泣き叫んで棺にすがっていた。
納骨のとき、おれは部屋に入ることができなかった。
でも、あの人はあいつの骨を箸でつまんで壺に入れていた。

絶望する。なんて遠い。あの人はなんて近い。
おれには泣く権利すらないのに。あの人はあいつの骨まで見ることができる。

もしも公表していたら?同性だからと恐れずに世間に公表していたら?
おれはあいつの近くに座ることができただろうか。おれはあいつの頬を撫でることができただろうか。おれはあいつの骨を見ることができただろうか。
あいつの棺にすがって泣くことができただろうか。

そうだ、家族しか入れないあの死に向かう病室で、あいつを看とることだってできたかもしれない。

考えてもしかたがない『もしも』がぐるぐる回る。
もしももしももしももしももしも、
もしもおれたちが恋人同士だと公表していたなら?

気づくと、いつのまにか家の中だった。ああ、終わったのか、疲れた、とにかく礼服を脱いで楽になりたい、とクローゼットを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、赤色のネクタイだった。南波がおれにくれたネクタイだった。
「ここ一番の商談のときにつけてたやつだ、おまえにやるよ」
なんでそんなものをおれに、と訊けば、おまえにだからあげたいんだよ、と微笑みながら言われた、あのネクタイだった。

南波はたしかに生きていて、おれの生活に根づいていた。

ひどい、こんなの生殺しだ。こんな思い出だらけの部屋で、おもかげの残る人生で、どうやって生きていけって言うんだ。
おれだってあの人みたいに泣きたかった。いや、泣かなければいけなかった。
泣いて泣いて泣いて、感情を流さなければいけなかった。あいつの近くにいて、死の匂いを覚えておかなくてはいけなかった。
そうじゃないと生きていけない。気もちの整理をすることができない。
あいつがもう存在しないという事実に脳が、身体がついていかない。

あの人が羨ましい。
あいつの近くに座って頬を撫でて骨を見て棺にすがって泣いていた、あの人が。
あいつの最期を看とったあの人が。
あいつがいない真実を、受け入れられる脳と身体をもったあの人が。
羨ましくてたまらない。

おれの背中を射抜く視線から、あの人の憎悪と嫉妬を感じていた。
おまえはムッちゃんにすきと言えるし、言われることだってあるんだろう。キスも、セックスだって、なんだってできる。
おまえが羨ましくてたまらない。殺してやりたいぐらい。

あの人は、おれたちはなんだってできると思っていただろう。
でもね、日々人さん、あなたは、おれを、羨ましいと言うけれど、おれはあんたのほうが、羨ましいよ。

だって、あんたには泣く権利があるじゃないか。

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