「そんなに眠いなら帰ったらどうですか」
ぞっとするほど冷たい声だったから、なにも言えずに黙っていたら、鞄で頬を殴られた。……おれは悪くない、はずだ。
「いや、悪いでしょう」
呆れた声でスズキが言う。イサナさんって、オンナゴコロがわかってないなぁ。と顔にでかでかと書きながら。
「……オンナゴコロなんて、わかってたまるか。おれが化けものになって、何年目だと思ってるんだ」
スズキは、バレちゃいましたか。と言いながら、コーヒーをすすった。その顔には焦りなんて一滴も見られない。スズキはけっこう図太い奴らしい。と頭にメモする。
「イサナさんも飲みます?」
「………」
「はい、ちゃんと無糖のですよ」
「……おい、おまえ、なんで、」
「イサナさんは無糖派なんですよ、って蒼井さんが言ってましたから」
それに、イサナさん、今、テモチブサタってぽいですし。まぁ、いらないならいいんですけど。
「チッ、よこせ」
訂正だ。スズキは、かなり、図太い奴だ。
「で、なんでそんなことになっちゃったか、わかります?」
「わからないから、おまえに訊いてるんだろ」
「ははっ、今の、蒼井さんが聞いたら、また殴られちゃいますよ〜」
スズキのなにもかもわかったような言動にイライラして、缶コーヒーをくるくる回す。でも、顔のロゴにチラチラ見られてるみたいで、さらにイライラする。きみ、恋人とケンカしたらしいなぁ。キノドクに。コーヒーでも飲んでおちつきたまえ。
「……おい、スズキ、むかつくからコーヒーかえす」
「なくて平気なんですか?」
「は?なんで」
「だって、なにかあったほうが、手が暇じゃなくていいでしょう」
そう言ってスズキは、ニコッ、と笑った。おれはその笑顔を見て瞬時に理解する。そうかよ、テモチブサタってこういうことかよ。そのイライラはおれじゃなくて、缶コーヒーにぶつけてくださいね〜。
「……〜ッ!」
「どうかしました?」
まてまてまて、怒ってもしょうがない。こいつしか、まともな話ができそうな人間がいないんだ。大人だろ、おれ。大人だろ、おれ!
「……ッ、はぁ、もういい。スズキ、さっさと教えろ。蒼井がキレた理由、おまえ、わかってるんだろ?」
スズキは少しだけ残念そうな表情をしながらも、口を開いた。う〜ん、イサナさんが自分で気づかないと意味がないと思うんですけど…、まあ、それだといつになるかわかりませんし…、まぁ、言いますけど…、あのですね、蒼井さんが怒ってる理由は、
「デート中に、眠いって連呼されたからですよ」
一瞬、あっけにとられる。が、すぐにムクムクと怒りが膨らんでくる。それだけ?なんで、たったそれだけで、殴られたり、無視されたりしなきゃいけないんだ!
「はい、怒らなーい!」
「はぁッ?だって、こんなくだらない理由でふりまわされたんだぞ、おれはッ!」
スズキは急に真剣な表情になって、まるで小さい子どもを諭すように、
「あのねぇ、それ、逆ギレですよ。どなったりしたら、最低男のレッテル貼られて、こんどこそ別れられますよ?」
ふしゅ〜…。怒りがしぼむ。それを言われたらもう俺はなにもできない。おれはぜったいに見捨てられたくないのだ。
「……どうしたらいい」
「そんなのかんたんですよ。あやまればいいんです」
アヤマレバイインデス。はんっ!ずいぶんかんたんに言ってくれる。わかってはいたが、こいつはおれとはちがう。かんたんにあやまれるような環境で生きてきたんだ、…こいつは。
「むりだな」
「どうしてですか」
「おれは女にあやまったことがない」
ピクッ。スズキは口の端をひきつらせた。まぁ、スズキの気もちもわからないでもない。スズキは今までおれみたいな奴と遭ったことなどないにちがいないのだから…。
「ふぅ…、じゃっ、今、覚えましょっ!」
しかし、スズキはおれの鬱々とした気分を、しょうがねぇなぁ、こいつは。と吹き飛ばした。おれはあっけにとられてしまう。
「……はぁ?おい、おまえ、おれの話、聞いてたか?」
「聞いてましたよ。でも、いつまでもそんな子どもみたいなこと言ってられませんって!さっとあやまって、さっと仲なおりしましょうよ!」
か、かんたんに言うなよなぁ!おまえ、ばっかじゃねぇのッ?おれとおまえはちがうんだよ!
「そっ、そ、んな、かんたんに、あやまれるかよ!」
おれは焦っていた。スズキのポジティブさに、おれの子どもっぽさに、昔のおれの言動とかに。しかし、スズキは静かな声で、
「…イサナさんは、蒼井さんがすきなんでしょ?」
と、一言。おれは黙る。黙ってぐるぐるぐるぐる考える。
(すきだ。おれは蒼井がすきだ。だれにもわたしたくない。やさしくしてほしいし、うらぎられたくない。さようなら、なんて、なんて、ぜったいに言われたくない)
…スズキ、
「頼む」
おれはスズキに従うしかなかった。
「イサナさん、よかったですねぇ」
おれは釈然としないが、うなづいた。たしかに、よかった、からだ。今日の蒼井はニコニコ笑っている。
「オンナゴコロ、わかりました?」
わからん。とスズキに吐き捨てる。殴られて無視されて、泣きたくなって、イライラして、世界の終わりだと絶望していたのに、あやまっても、あんなに怒っているから、ぜったいにゆるしてもらえないと思っていたのに、
『…蒼井、おまえと、せっかく、ふたりでいたのに、眠いとか、言って、…〜ッ、』
ごめん。
(たった三文字で!たった三文字でだ!)
あんなに怒ってたくせに、すぐニコニコ笑いやがって…、なんだ、あいつ、これがオンナゴコロなら、おれは、未来永劫、わかりあえる気がしない。
「まっ、釈然としてなさそうですけど、よかったじゃないですか。仲なおりしたんだし」
わかってるよ!でも、おれの、あの絶望感はどうしたらいいんだ?…〜ッ、ちくしょう、イライラする!
「イサナさん…、」
「ほっといてくれ、スズキ、どうせ、また、子どもっぽいとかいうんだろ?」
「ははっ、いや、たしかに子どもっぽいんですけど、」
「けど?けど、なんだよ?」
けど、たった三文字ですきな女の子が笑ってくれるなら、もう、なんか、全てがどうでもよくなっちゃいません?
「…はっ?なに言ってん、」
イサナさぁん!鈴木さぁん!
「あっ、はーい、蒼井さん、どうしたのー?」
「園長と道乃家さんが呼んでますー!」
「はーい、あと少ししたら行きまーす」
「わかりました!…あっ、イサナさん!」
今日、うれしかったです。ありがとうございました!
(…〜ッ!なに言ってるんだ、バカか!)
あんな顔で、笑いやがって、あいつ、あいつの、ばか、どじ、とろいんだよ!
「ははっ、イサナさん、わかるでしょ?」
ああ、ちくしょう、ちくしょう、認めてやるよ、たしかに、ぜんぶ
(どうでもよくなっちまったよ!)