『あんた、霧島青治っていうんだって?』
あたしはにやにやしながら青い男に暴力を吐いた。青い男の絶望(に近いけどけっして絶望じゃない)した声が聞きたくなったからだ。
『それ、偽名だよ、わかってるくせに』
『ああ、そうなんだ、わかってたけど』
も〜っ、しつこくってさぁ!みいっていうんだけど、あ、みは美しいの美で、いは衣服の衣ね、そのこ、なまえ教えてなまえ教えてどうして教えてくれないのわたしはあなたのことが知りたいだけなのにどうしてどうしてどうして…、ってしつこいの!電話もメールも毎朝毎晩毎日で!着信着信着信着信!もう、おれ、着信音、デレデデデ、デレデデデ、デレデデデッデッ、デレデデデ、にしちゃったからね!おそろしくて!おれがメールも電話も、束縛が、だいきらいだってわかんないんだよ!今までわかんない女の子なんていなかったのに!ばっかじゃないの!それに、おれに他の女の子がいるってこと、3ヶ月ぐらいしてやっと気がついたと思ったら、部屋の隅でべそべそ泣いて!べそべそべそべそ、慰めて〜抱きしめて〜わたしだけって言って〜、ああもう、うっとおしいったら!で、別れようと思って、さよなら、って言ったのにまた着信着信着信着信!も〜、意味わかんなくて、そのこの周りの女の子たちに訊いたらさ〜、青治くんはとってもわたしを愛してるのだけどわたし青治くんを愛しつづける自信がないのだって青治くんの他の女の子が怖いのだから青治くんには悪いけど別れてもらうつもりよっ、頼むから死んでって本気で思ったから、別れるのたいへんだったし、だいきらいだ、別れてせいせいするよ!顔も見たくないね!
『…そっか』
たぶん青い男は別れた女の不平不満の暴言をだーだーと垂れ流したいにちがいなかったけれど、青い男はさすがで、一拍の間で蛇口を閉めた。でも、まあ、噂でだいたい知ってるんだけどね。しかも、それを隠すあたしじゃないし、隠さなきゃいけない関係じゃない。
『だいきらいって言ったとか聞いたけど』
『噂で?やだな、プライベートがないよ』
『やることも言うこともめだつからだよ』
『だって、だいきらいだからしかたない』
『みいちゃんだったっけ、泣いたでしょ』
『泣かなかった、泣かせなかったからね』
泣かせてやらないからね。と怒りを含んだ声。絞ればぼたぼたと水が垂れそうな綿みたいに、しっとりとした怒りに満ちていた。あの青い男がねぇ…。
『…あんたをここまで怒らせるなんて、』
『なんて?』
『そのこ才能ある』
絶句。なおこ、きみは、おれに同情してくれると思ってたのに!と青い男の悲痛な叫びが聞こえた(ような気がした)。あたしとしては、なんで同情してやらなきゃいけないの?フラれた元恋人(に擬態したなにか)なんかに!ねぇ、青い男、あんた、怒りに自分を見失なってない?青い男らしくないよ。あたし、あんたのそんな姿、見たくなかった、…昔ならね。今?今はどうでもいい(たぶん文章ならかっこ笑いとつくでしょう)。
『ねぇ、あんた、あたしになんで電話したの?ちゃんとBUYBUYしたじゃない』
青い男は、いじわる!と言いそうになった、そんな息がしたけれど、すぐに蛇口を閉めた。おおっ?徹底していますねぇ〜!青い男!ボーダーラインを越えません!なーんて心で実況しつつ、その息を噛みしめる、あたしはとってもいい気分!
『あんたには他に女の子がいるでしょ?』
『いるよ』
『逃げられたの?』
『おれが逃げたの』
『へぇっ!かっこわるい!』
青い男さぁ、あれで、もう女がいやになっちゃったらしいよ、と噂で聞いた。ぎゃははは!やっとかよ!と嘲笑う声も。ああ、それにはあたしも同調せざるをえない。ぎゃははは、やっとかよ。
『女がいやになっちゃったの?』
『そうだよ、悪い?』
『悪くはないけど、やっとかよ、ってかんじはするね』
『あはは、自分でもそう思う』
青い男は女の子がだいすきだったけれど、それは性的な欲望を求めてのことではなかったようにあたしは思う。それを言うと、みんなは、まー、そりゃ、フラれた女はそう思いたいかもしれないけどさー、という顔をするけれど。あたしはあたしの感覚に嘘はないと思う。だって、あたしは青い男とセックスをした覚えがないのだから。
『あー…、ねぇ、あのさ、質問があるんだけど、いい?』
『なに?いいよ』
『あたしとあんたって、寝たことないよねぇ?』
ぶぅっ!いやだ、こっちまで唾が飛んできそう。
『なっ、なおこ、なに言って…!』
『なに、そんなにうろたえること?』
『はしたないだろ!』
『別れた女だよ、はしたなくてもいいじゃない』
それより、ねぇ、なかったよねぇ?と青い男にしつこく訊けば、ああ、そうだったね。と、あっさり、言いやがって、
『あたしね、けっこうショックだったんだよ。あたしってそんなに魅力ないのかなぁ、とか、やっぱりすきじゃないとだめなのかなぁ、とか、ぐるぐるぐるぐる考えた』
そうだ。それも別れたい、別れなきゃいけない、と思った一つだった。あーあ、あーあ、かわいそ、あたし。
『そっか…、ごめん』
『いいよ、今さらだし』
『おれ、あんまり、セックスってすきじゃないんだよなぁ…』
『へぇ〜、やっぱりそうなの』
『やっぱり?』
『うん。別れたあと、よく考えてみたら、あんたって女の子に性的な傷を残してないな〜、って思ったから』
『性的な傷って、中絶とかのこと?ばかにするなよ、そんな最低なことするわけないだろ』
『でも、すきじゃない女とはつきあえるんだ』
あ、すっごい厭味、言っちゃった、つい。まぁ、でも、いっか。もう電話なんかすることないでしょ。だいたい今日も、なんでいきなり電話なんか、あの夜からもう半年もたってから?
『……きだったよ』
『え?』
え、なに、聞いてなかった。もう一回、言って。…えっ?だめ、声が小さくて、聞こえない。
『だから、すきだったよ』
『…は、』
『おれは、なおこが、すきだったよ。ていうか、今も、すきだし』
ていうか、今も、すきだし。
『…あっ、はは、やだぁ、嘘でしょ?なに言ってんの?あんたらしくない』
ちょっとまってちょっとまってちょっとまってちょっとまってちょっとまってよ!
『おれが嘘でこんなこと言うと思う?』
青い男の声のトーンで、すぐに嘘じゃない、ってわかったけど、わかったけど!
『お、思わないけど、今さらじゃない!』
今さら、今さらって、今さらだけど、そんなの、すきな女の子には、どうしたらいいのか、わからなくて、おろおろしてたら、なおこがBUYBUYって、言うから、もうおれもBUYBUYするしかないじゃないか、どうしたらいいんだよ、なおこに会いたくて、あの夜だって、行ったのに、なおこが、ふっきれた顔して、なまえも知りたくないって、BUYBUYって、言うから、もう、もう、でも、なおこがすきだから、おれ、傷つけたくないから、セックスだって、セックスだって、
『……今さらだよ』
今さら、今さらだ。あのとき、言わないと、むだな言葉ばかりを、今さら、つらつら、つらつら、信じられない。
『わかってるよ』
『あたしはあんたがすきじゃなかった。今も、すきじゃない』
ほんとうに青い男はばかだ。すきなら、すきなら、ちゃんと、すきって言ってくれればよかったのに。そしたら、あたしもほんとにあんたのこと、すきになってたかもしれないじゃない。
『すきじゃない、なまえも知りたくない』
『…うん』
『あんた、あんたって、ほんとにばかだよ。今さらだよ。ほんとにばかだ』
『…うん』
もう切って。電話、切って。と、自分でもいやになる、弱々しい声。青い男は、泣きそうに、うん、と言った。
『次にすきになった女の子には、ちゃんとすき、って言ってあげて』
じゃあね。…うん、なおこ、なおこ、
『ありがとう』
プツ、とボタンを押してから、ベッドに電話を叩きつけた。
「ばかッ!ばかばかばかばかッ!ありがとう、って、なんでッ?ばか、ばかじゃないの、ばかじゃないのッ!ばかじゃ…、」
うっ、泣いてしまった。青い男がばかすぎて。せっかくひどい言葉を吐いてあげたのに、きらいになればいいのに、あきらめてくれればいいのに、なんで、なんで、ありがとう、なんて言うの。なんで、なんで。
「うっ、うぅ、う、」
青い男は、どうせ、次にすきになる女の子に言う、すき、よりも、あたしに呟いた、ありがとう、をいつまでも覚えているんだろう。
(あたしを忘れてほしい、と願うのは、)
傲慢だろうか、でも、でも、幸せになってほしいよ。ばか、ばかな青い男。