「ねぇ、晋助」
ついさっきまでソファに深々と腰掛けてコーヒーを啜っていた名前が、少し身体を起こしマグカップをテーブルに置いた。
「わたしね、セックスの必要性について考えてみたんだけど」
何かを考えながら悩ましげに唇に人差し指を寄せる。これは名前の癖だ。いつも突拍子のない発言をする名前だが、また今日も変なこと考えてやがる。俺はというと、耳だけは名前の言葉に傾けて、目の前にある会議の資料の整理をする。
「セックスってさ、何のためにするのかなあ」
「そりゃあ、子孫を残すためだろ。それか性欲を満たすため」
「あはは、なんとも動物的な答えね! さすが保健医」
「保健医は関係ないだろ」
一度でいいから名前の脳味噌を見てみたい。いつも何を考えているかわからないこいつとこういった会話をするのは酷く疲れる。もちろん四六時中こんな会話をしているわけではないが、たまにこの瞑想モードに入ると満足するまで悩み続けるから、名前を納得するような答えに導くのにえらく体力を消耗してしまう。
「確かにセックスは子孫を残すために必要不可欠な行為だけれど、セックスじゃなくても子孫を残せる時代だし、性欲を満たすなら一人でもできる。愛情表現の一環としての行為として捉えると、別にセックスでなくてもいいんじゃないかって思うのよね」
「結局お前はセックスが嫌いなのかよ」
「晋助とのセックスは好きよ」
「…」
「晋助とのセックスは、性欲を満たしつつ愛情も感じられるからね」
「そうかよ」
「いずれは子孫も残したい」
「…」
「結局、すべての理由がそろったときに、セックスっていう行為に意味が生まれてくるんだなあって」
なんだか逆プロポーズ紛いの発言がぶっ飛んできたが、まあ名前にはそんなつもりは全くないんだろう。心臓に悪い、くそっ…。名前は再び机のマグカップを手に取り、口元に運ぶ。コクリと小さく喉を鳴らして、視線を俺に向けた。
「ねぇ晋助。わたしたち、もうそろそろいい頃だと思うの」
「何がだ?」
「浅い付き合いでもないし」
「は?」
「女から言わせないでよ」
「は、だから意味わかんね、」
「まさか、何も考えてないの?」
「だから、分かるように話せよ」
「はあ、もういい。帰る!」
「おい、ちょ、」
素早く荷物を纏めて逃げるように去っていった名前。いやだから意味わかんねぇって…。突拍子もないことを満足するだけ喋り続けて、意味不明なことでキレて。長い付き合いだが、未だに名前のこういうところは理解できない。まあすぐ忘れたように機嫌も直るだろう。頃合いを見て電話を入れよう。晩飯、どうすっかなあ。
しばらくして銀時から電話がかかった。
「お前ちょっと名前迎えに来いよ」
「は?」
「俺と辰馬とで飲んでたら電話かかってきてよ、場所教えたらすげー剣幕でやってきて、浴びるように酒飲んで見事に潰れたぞ」
「あいつ…」
「お前のせいなんだから責任もって引き取りに来い」
「意味わかんねぇ…」
「お前がさっさと結婚の話出さねえからだろーが」
「はあ?」
「結婚したいって仄めかしたら見事に蹴られたってブチギレてたぜ」
「え、」
「とにかく、さっさと迎えに来い。ついでに俺たちも家までつれてか、」
ふざけんな誰がてめーらなんかのタクシーになるかってんだ。部屋と車の鍵をひっつかんで、棚に仕舞ってあった小さな箱をコートのポケットに突っ込んだ。
足と心臓が、走り出す。
不器用と鈍感の恋愛事情
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