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名前も知らなかった。
そんな先輩を再び見つけたのは、中学校最初の全校集会。
校長先生からお褒めの言葉を貰い、賞状を受け取る青年。
背が伸びて、面影はあったけどとても大人びていて、全校生徒の前だというのに落ち着いていた。
先輩が表彰されたのは他でも無い弓道で――、
動機不純だとか言われそうだがそれが縁で弓道部に入ってしまった。
あの人ともう一度話をしたい。
恋だと気付くのはまだまだ先のこと。
ただ、他の人とは違うということだけ、なんとなくだけど感じていた。
弓道っていうのを根本から知らなかった俺は入部してすぐ、後手にまわった。体力作りをしては基礎を学び、極力他の部員の世話に走る……マネージャーみたいなことをやらされてた。
よーいどんの場所はみんな同じ。最初は全員下手だったけど俺を置いてどんどん上達していく。
もちろんそれで良しとはしなかったよ?
なんたって、俺は努力の人だし。
中1の2月。俺はかじかむ手を擦り合わせて部室から道場に入った。的までの地面に昨夜までの雪が残っていて、とても幻想的だ。吐く息が外気に触れて白く染まる。
「よお、よくも飽きねえで続くよな」
板張りの床がぎしりと軋んで来訪者をつげた。
顔を見たくなくて、俺は背中を向けたまま。
「……なんですか、イヤミを言いに来たならとっととお帰りくださいませよ」
「ばーか茶化しに来た以外無えだろ」
ああそうですか。
どうせ俺はそういうキャラですよーだ。
「南條(なんじょう)先輩。弓道部でもないのに敷居を跨がないでほしいんですけども」
にっくき茶髪パーマに恨みを込めて言った。
「うるせえよ。あいつ目当てで入部したくせに立派な口きいてんじゃねえ」
「いたっ」
この南條というお方は先輩の友人だ。今の会話からも分かるように、俺の気持ちはばっちり知られている。そしてどういうわけか南條先輩は道場によく現れ、会うたびにこんな会話を交わすのだ。
「ん?あれ…当人はまだなんですか?」
何気なく聞いたけど、
南條先輩はすっごーく嫌そうなしかめっ面で、ちょっと怖い。
「なー、ちょっと俺と話そうぜー」
「は?いや俺朝練しにきたんですけど」
「固えのは下半身だけにしとけ」
「……朝から下ネタってどうなんですか」
「男なら当然だろ」
「……そんなだから彼女できないんですよ」
話そうって言われたから壁にもたれて座り込んだ。
外に居るのと変わらない道場はすっごく寒い。足袋を履いた足を擦っていたら急に温かいものに覆われて、それがブレザーだと気付くのに空白の間があった。
先輩がかけてくれたのに気付き、すぐに「ありがとう」を言うために顔を上げたそれは遮られる。
「できねえんじゃなくて、作らねえって分かれよ鈍感」
耳に触れる熱い息、芯に響く低い声。
冷たいセリフと裏腹の体温。
なんで…、抱き締められてんだ俺。
「っ?ちょっ、またからかって――」
「ちっ」
腕が痛いとしか感じなかった。
次に見えたのは、どアップのイケメン。
ああ、目の保養…じゃねえ!
――ばっちーん!!
「っ、」
あれ、俺いま、なに、しました?
「……手ェ上げるか。上等だ」
「え、ええ!だってそっちが顔近づける…から、」
南條先輩の頬が赤く腫れてる。打たれたというのに一重の鋭い眼光は薄れることを知らないで参った。
「すいませ、ん……勢いとは言え叩いてしまって――」
「結城」
「はえ?」
「お前が好きだ」
……今何と?
「あいつよりもお前のこと好きだって自信がある」
……え?は?鋤?隙?
「そ、そうですよ。俺は先輩のことが好きで――」
「は?お前…はぁ、いったん落ち着け」
そ、そうだ。ちょっと本気で落ち着こう。
好きって…
ははは、この人にかぎって好かれてるわけないだろ。しかも叩かれた後ってマゾですかー!
南條先輩はいーっつも先輩にべったりで俺の邪魔して……え?――邪魔?
「か、からかわないでください…」
「好きだ」
「だ、だから!」
やばいやばいやばい!
この人、本気だ…!
「俺には先輩という人が――」
「あいつなら今、」
「え?」
その後すぐに先輩が入って来て、続きは聞きそびれてしまった。
南條先輩は何事も無かったようにいつも通り先輩の隣を陣取り、俺には視線の一つもくれない。
同じ日の放課後、俺は先輩になぜ朝練に遅れたのか聞くことになる。
「告られた……」
「え?こく――?」
一瞬南條先輩とのやりとりのことかと思ったけど、違った。
話によると、この学校で一二を争う同い年の女の子に今朝待ち伏せで告られたらしい。
神様は残酷。
「そうなんですか…」
だけど先輩も残酷だ。
なんで俺にそんなこと言うんだよ。
確かに何で遅くなったのか聞いたけど、そこはなんて言うか、こう、オブラートに包んでも良いんじゃないか。
まあ男同士だし、なんとも思ってないただの後輩に対してそれは変なのかな。
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