▼5





「キモイ」

言葉とともに勢いよく降ってきた手は大きく、次郎の頭を容易く掴むと、がしがしとかき混ぜてきた。同い年に子ども扱いされた気がして、居心地が悪く肩を竦ませた。ちょうどその時だった。鋭い視線を感じたのは。

「――っ」

人の波は途絶えず、今も目の前を往来している。数秒前と変わらない光景だったが、明らかに身に突き刺さるような気配を感じる。次郎は気付く様子の無い有戸に頭を撫でられながら、ゆっくりと顔を上げ、正面を確認し、それから横へと動かした。背中が湿りを帯びていく。

「次郎」

確かに自分の名前が呼ばれた。「ユキ」ではなく、「次郎」と。おまけに声は重々しく、怒りを噛み殺すように。びりびりと、肌に伝わってくるような空気が痛い。有戸の手はまだ自分の頭に置かれていた。

浮気現場を取り押さえたと思っているに違いない恋人――、雄也は眉間を狭め、静かな眼光を湛えていても、男前だとため息をつきたくなるほど美しい顔立ちをしていた。怒っていても、笑っていても、自分の心を惹きつけて離さない雄也に、次郎は周囲が見えなくなるほど酔っていた。だが怖いのは当然で、叱られた子供のように体が震え、目の前が霞んでくる。ここで「ごめんなさい」と謝れば、さらに誤解を生むのだろうか。そう考えると喉が詰まった。

次郎の異変に気付いた有戸が視線を追う。

「誰だ、こいつ」

有戸の声は緊張で強張っていた。猛禽類を前に、人当たりの良さそうな二重の瞳が鋭く見据えている。
たまに、自分より遥かに大人びている雄也を見て、本当に同い年なのかと疑問に思うことがある。だが並び立った男どもは、疑う余地も無いほど対等だ。こうして見ると、自分の方が異質的で、中学生が抜け切れていないのかもしれない。
ただならぬ緊張感で睨み合う2人に焦りを感じた次郎は、まず誤解を解こうと雄也の方へ数歩歩み寄り、繋がらない声を震わせた。

「あ、あの、雄也。これは、これはね…」

弁解をしなければ。この男は腐れ縁で、これはただのじゃれあいで、自分には雄也しか居なくて。これだけ気持ちははっきりしているのに、どんな言葉を使えば良いのか、何を言えば納得してもらえるのか、まるで分からなかった。

混乱してしまい、ふと視線を有戸に移すと、なぜだか口元に笑みを浮かべていた。どうやら鋭いらしいこの男は、次郎の心情を察知したのか。高い鼻梁を指で引っ掻くと、さらに余裕ぶった笑顔になって、雄也に向けた。

「なるほどな。ユキの大事なヒトってわけか。ってことはドラマーとは別れたんだ?」

いきなり何を言い出すやら。ドラマーなどと言われて、誰のことだか分からない雄也ではない。未だ一言も話していない雄也の機嫌はさらに悪化し、次郎は素早く振り返った後、わなわなと首を振った。

「余計なこと言うなよ!」

「余計?悪いな状況が読めてなくて」

しれっと、他人事のように答えた有戸は、次郎に言葉を向けておきながら、無言で事を見ていた雄也に目を配っている。不自然な態度が気になった次郎は、先手を打って釘を刺した。

「いらんこと言うな!」

「恋人に秘密事ってどうなの」

「うっさい、秘密にしてねえし!」

誰が聞いているか分からないような往来で、大声で言い合うのは良くなかった。有戸が応戦してこなければ、一言で終わったのに。有戸に対する怒りで周囲を気遣う余裕も無かった次郎は、背後で雄也がどんな顔をしてその光景を見ているのかも気付くことができない。
有戸が小さくため息をついた。

「うるさいのはそっちだろ。ここ道端なんだけど」

「…お前が悪いっ」

まるで子供の相手をするように、「はいはい」と軽く答えた後、有戸は次郎に手を振って別れを告げた。

「久しぶりに話せて楽しかった。また連絡するわ」

「え、あ……」

あまりに唐突で素っ気無い引き際。
その背中を見送った後、なんと言っていいか分からない喪失感に襲われた次郎は、久方ぶりに恋人へと振り向いた。







prev next

- 8/24 -

しおりを挿む

表紙
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -