the lonely dragon | ナノ


▼3



数年前の“忌まわしきあの日”や、熱を出して寝込んだ日など、真っ先に心配をしてくれたものだ。あの時、大丈夫だという意味を込めて微笑めば、すぐに浮かんだのは朗らかな明るい笑顔。「ご無理をなさらないでください」悪いことは悪いとはっきり窘(たしな)めてくるのに、その笑顔を見ると憎めない。そして目元に影が落ちると、……。

「っ……!」

溶解した火傷だらけの顔とすり変わった。

「………っ、…っ」

押し寄せる波のように痛みに飲み込まれる。胸が苦しく絞られる感覚に胸元を掻き掴む。あの焔が内側で燻っているかのように全身に熱が生まれる。――熱い。痛いっ。
それらから逃れる術が分からずに寝台の上でのた打ち回る。息苦しくて何度も喘ぐと、喉に過度の力が入ってしまったようで、新たに生じた痛みに咳き込んだ。

「げほっ、ごほっ…!がはっ!」

「だ、大丈夫ですか?これはいったい……。っ、しっかり!」

声の無い、空気だけの咳だった。そのことに対して、傍に居た彼は困惑したようだが、すぐに手元に吐き出された赤黒いものを見つけて正気に戻る。苦痛に暴れる肩を掴み、どうにかして落ち着かせようとしてくれているようだが、それで収まるものではない。2度目の吐血を寝台の下へ、唾を飛ばすように吐き出す。自分でも身体の制御をと両腕を抱えてみたが、二の腕の包帯を乱しただけで、意味の無いものだった。口の中は血の味で、頭は割れる様な音を発し、胸部に圧迫のある痛みを感じる。とくに胸元には、胃が焼けてしまいそうな熱いものが滾っているような胸やけがあった。
自ら摩り、摩られ、咳き込み、を繰り返していたその時、違う空気が吹き込んできたような気がした。

「あ……っ、殿下!」

それは肩を摩ってくれていた青年も同じらしく、声には驚いたような響きが籠っていた。暴れすぎて、既にどこを向いているか意識が無かった視線を向ける。

「シレン、香(こう)の準備を」

現れた人物に瞠目した。鼓膜を直接揺すられるような低い声。全身が緊張で強張る。今自分の身に何が起こっているか吹き飛んでしまうくらいの圧倒的な存在感。呼吸をするのも忘れ、ただその姿に見入った。しかしそれも一瞬の話だ。なんと大きな人だろう。存在感故か、はたまた置かれた状況のせいか、心がそこに囚われていた時。いきなり彼の掌が目前に迫り、額を鷲掴むと、そのまま突き飛ばすような力で寝台に押しつけられた。いったい何が起こったのかと目を白黒させるのを余所に、頭が枕に沈み、耳の近くまでを上質な素材に包まれる。大きな掌で視界が暗転した。我に返った身体が再び暴れ出そうと熱を持ち始める。2度目の感覚に、身体の至る所から汗が噴き出た。

「早くしろ!シレンっ!」

「はっ!只今…っ」

どくん、どくんと耳の裏側に熱い鼓動が張り付く。枕に塞がれて余計にそれを感じた。耳に言葉が入って来ない。苦しいのに、それを主張して叫ぶことすら出来ない。――自分には、“声が無い”から。
もう分かり切っていて確認するまでも無く、身に慣れたはずの事だというのに、心は喪失感に包まれた。傷付いたのか。自分の言葉に。
見えない聞こえない問い掛けられない。混乱して、焦りが咳を生み出そうとする。しかし、鼻頭を濃厚な香りが掠めた途端、意識が遠退き始めた。何の匂いか分からないほど強烈で、それでいながら一瞬で鼻の奥、喉の中まで消えてしまった。眼球が痙攣を起こし、目を閉じているのに視界がぐらぐらと不安定に揺れる。

「もう一度お眠りください。次に目覚めた時には、きっと………」

穏やかな青年の声がずっと遠くから聞こえる。
昔からずっと傍に居たかのように心地いい。目覚めた時にはまた彼が居てくれたら嬉しい。このままその時までずっと、頭を撫でていてほしい。
苛んでいた苦痛はどこへやら。寝台の上、微かな笑みを浮かべ、迎えに来た睡魔に身を委ねた。



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