the lonely dragon | ナノ


▼イーリスの離宮にて



ファーラントの東の果てに隣接する国がある。名をイーリスという。古くからの戦を経て十分な国土を保ち、賢く生きる為の知恵や、他者と分かち合う方途を身につけている頭の良い人間が住まう。盤石な礎の下に作られたイーリスは、前世紀から続く堅牢な兵に守られ、宮殿の王政によって成り立っていた。

広大な土地を持つイーリスの中で、砂漠地帯に隣接している西の地に、離宮の1つがある。離宮を中心に町が広がっており交易も盛んに行われているが、人の出入りが多く、敵国の警戒をして兵も常駐している。そこは昔、オアシスを中心に築き上げられた場所だった。宿泊施設・市場・療養所・歓楽街。若干気候の荒れはあるが、灼熱のファーラントを抜けてきた旅人達の身も心も癒す桃源郷として、宮殿一帯のその街は親しみを持ってこう呼ばれる。――パライゾ(楽園)。と。


「あ、あの…お言葉ですが、殿下…!」

彼の親の親の代から健在だったという老臣は、何年振りかという焦りを感じ、目の前を颯爽と歩く主君の脚に負けじと一本道の長い廊下を追った。三回りも年下についていくのはやっとのことで、曲がり気味の腰が軋むがそうも言ってはいられない。早歩きの老臣が珍しいのだろう。端に侍った家臣や世話人たちからどよめきが起こるのが分かった。しかし追いつけないのは明らかで、どんどん引き離されていく。そのことに気付いたのか、遅れ始めた時には追っていた相手は立ち止まってこちらを見下ろしていた。そこまで行って手を膝につき、ぜえぜえと荒く息を繰り返す。じめっとした汗で額に白髪が貼り付いた。

「…老体が無理をするな」

頭上から降る声は重々しくとても威厳があり、身体の内に響くように脳髄を震わせる。それは聞く者を陶酔すらさせた。この老臣は彼の相談役のようなもので、親代わりでもある。腰を曲げたまま主を仰ぎ見るが、正直なところ、ここで座り込んでしまいたかった。

「はぁ…、です、がっ」

無理をしたせいで喋りも覚束ない。主とは違う、年齢を感じさせる皺枯れた声。顔を上げてすぐに目眩を感じてまた下を向いた。そうしてすぐ、背中に温かな重みを持つ手の感触。

「おい。お前たち。…年寄りを部屋まで送ってやれ」

「はっ」

またしても驚いて顔を上げる。まだ何も言っていないのに下がることなどできない。

「……っ!」

ところが勢いよくやりすぎて、今度こそ脳が揺れる様なたちの悪い頭痛が襲う。

「案ずるな。我を信じていればよい」

「今回ばかりは信じるも何もありませんぞ!」本人は開いた口ではっきり叫んだつもりだったが、声にならずにその場に崩れ落ちた。主に呼ばれ、すぐ傍に来ていた衛兵が脇を抱える。意識が無いその時も、老臣は主の身を案じ続けた。やはり新進気鋭の若様にはついていけない。通訳が要るのではないか。と、案じる合間に自分を卑下してまでそんなことを思った。



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