the lonely dragon | ナノ


▼紅蓮の記憶


ごうごうと燃え盛る炎。周囲を取り巻き、身動きが取れなくなる。焦げ臭い噎せ返るような異臭。迫りくる炎の壁。今にも崩れ落ちそうな天井。今まで伏せていた寝台。時折爆竹のように爆ぜる火花。熱いと感じる限度を当に越えた部屋の中。誰も居ない。誰も助けてくれない。人の声がしない。

(――シドっ!!シド!)

いったい誰の策略か。今まで質素ながらも平穏に暮らしてきた生活を、どうして奪えてしまうのか。恨みを買いこそすれ、そこはしかと配慮していたはずである。身を潜めるようにして暮らしてきた。その結果がなぜこれか。
部屋から飛び出し足早に歩き回れど、閨をともにした恋人の姿はない。ゆらめく火炎の中に目を凝らせど見つからない。焦りが思考を鈍くさせ、己の身に危険が迫っていることすら後回しにされる。――居ない。体感温度は高いはずが、背中に寒気が走る。――居ない。居ない……!突如、恐怖で後ずさった踵に、ごつりと鈍い感覚が当たった。何かと視線を落とし、普段零れ落ちそうだとも言われる双眼は、驚愕で益々大きくなり、その後苦しげに細められた。

(――……っ、アリー…アリー!)

膝から崩れ落ちるように跪き、その細身を己が胸に抱え込む。いつも自分の一歩後ろで朗らかに微笑み、心から信頼を置いて侍らせていた侍従。

「……っく」

頬が溶け、口の端が開かないようだ。性格そのままに真っ直ぐだった黒髪も焼けて無残に短くなってしまっている。緩慢な動きで、頬をただれた手が撫でた。気味の悪さは微塵も感じない。あるのは悲しみ、絶望、虚しさと同じくらい大きな懐かしさだけ。涙が溢れて止まらなかった。

「……さまっ」

瞼の内側から現れた瞳は何も変わっていない。自分を信じて、慕ってくれていた、純粋を映す漆黒の瞳。侍従は今にもこと切れそうに息を継ぐ。

「…っやく、おにげ…くださ、いっ」

その言葉に激しく首を振った。このまま置いてはいけないと。首が取れそうなほど強く。頬にあった心地よい侍従の手が咎めるように下ろされた。


「っ、はっ……、おくさま、をっ――。もうし、わけ…っ、ありま、せ――…」

怒ったのではない。力尽きたのだ。その瞬間、腹の底から煮えたぎる迸りを抑えられず、どうしようもなく叫びたくなって、石造りの床に爪を立てた。剥がれそうなほど強く。それでも引かない衝動は奥歯を噛み締めやり過ごす。産まれてこの方浮かべたこともない表情に顔の筋肉が引き攣った。
それでも……。侍従は言った。
『おくさま、をっ――』と。母を、探さねばならない。
がくがくと震える足で立ち上がると、壁伝いに前へ進む。目が涙に滲んですらいたが、その瞳には確かな決意がある。

侍従は息絶えるほどのダメージを受けたというのになぜ自分は無事でいるのか。どこも痛くないのか。
えも言えぬ違和感がむくりともたげたが、すぐに吹き付ける猛火に飛ばされてしまった。




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