the lonely dragon | ナノ


▼災いの竜




「人族とは怖い生き物なのですか?」



シュリの母はとても美しかった。竜の姿は尚一層美しく、自分が知らないことをなんでも知っていて、真白で、とても輝いていた。その声は、小鳥のさえずりのように耳をくすぐった。



「ぇ……、シュリ?どうしたのです急に」



「だって、にいさまが言うんです。人は怖いから近付いてはダメだと」



懐かしい母の部屋。目立って豪奢な物は無く、細かい彫刻が成されたシックな化粧台とベッド、テーブルに椅子という最低限の物が置かれている。母の印象に合った真白い部屋だった。この部屋が父のものであったならさぞかし不似合いなのだろう。



「……あぁ、あの子はまた何を言って……」



ベッドに腰かけた母の隣で、あどけない表情のシュリが答えを待っている。母は幼女にしか見えないシュリの髪を撫でて自分の方へ引き寄せた。シュリは逆らうことなく細い肩に頭を預ける。



「お兄様の言葉は正しいけれど、一方的に怖いと決めつけてはいけませんよ」



母は全てを悟ったようで、消えかけていた微笑みをまた口元に浮かべた。やがてそれは苦笑へと変わり、幼いシュリの不安を煽る。



「むしろ恐れられているのは私たちの方なのですから」



シュリたち羽竜の一族は、遥か昔から霊山に里を構えていた。それ故か人間族と接する機会がまず無い。人の姿をした竜ならたくさん居るが、それも同じ羽竜の里の竜で、よその竜ですら見かけない。なぜ人の姿で生活するのかと聞けば、いつ何時人と接する機会があるか分からないから訓練も兼ねているらしい。実際生活水準を上げようと思えば、人の姿の方が生活し易い面もあった。

こうして見れば、竜は人の世界に溶け込み、共存の道を歩もうとしている。

人が恐怖の対象になっているとはとても思えない。



「竜と人とは長い時間をかけて友好を結んできました。ですがそこで大きく問題になるのが姿です。私たちの方が遥かに巨大で、爪や牙も鋭く、彼らは恐怖や劣等感を抱かずにはいられないでしょう。ですが、同じ人型ならば問題はありません。言葉を交わし、心を交わし、私たちは今ではあらゆる方法で少しずつですが距離を縮めたのです。…ですが、」



まるで本を読んで聞かせるような声に酔いしれていたシュリは、急に言い淀む母の顔を見上げた。一瞬躊躇しただけだったらしい母は、またゆっくり我が子の髪を撫で始める。



「ですが、私たち羽竜の一族は他の竜と同じようにはいきませんでした。…なぜなら、」



母はそう呟いてシュリを胸の中へ抱き寄せる。力強さの無い、柔らかな抱擁だった。



「――羽紅竜在る処に災いあり」



シュリは今でも、この時この言葉を知った情景をはっきりと思い出せる。衝撃だった。幼いなら尚のこと。自分たちが災いの根源だと言われて口が開いたままになる。頭が真っ白になった。



「その昔から人族の中で広まっていた言い伝え…教訓のようなものです。私たちの力が強大過ぎるが故にこの力の奪い合いが頻繁に起こる。野が焼け、森が消え、命の駆け引きがあり…人々は転じてそれを災いとし、戒めとしたのです。羽紅竜争奪という争いに巻き込まれぬように…」



「かぁさま…っ、しゅり、しゅり、」



「まぁシュリ、離れなくても良(よ)いのですよ。天災が起こるわけではないのですから」



今までしがみついていた腕から離れようと身を引いたシュリの腰を元に引き寄せ、母は落ち着かせるように背を撫でながらゆっくりと微笑んだ。シュリの目は涙を流すまいと懸命に揺れている。それがひどく母性をくすぐった。



「それに、私たちは同じ種族ではありませんか。大丈夫、この言い伝えが浸透しているのは人族だけですから」



羽紅竜が治める羽竜一族は竜族の中でもとても神聖な種族として崇められている。どういうわけか、他に比べて元来生まれ持つ力が圧倒的に違うのだ。争いを避けて霊峰に住処を移した近年、それは更に強まっている。――強い力は人を狂わせる。

言い伝えが生まれた根源は、力を欲する欲にまみれた人族の身勝手さだった。



「私たちが人目に触れず生活をしていれば、何の争いごとも起こる心配は無い。ただ私たちは平穏を望んでいるだけなのに……運命の女神はそれを許してはくれないのです。皮肉なものですね。どれだけ体が大きくても、格別に扱われていても、望むものを与えてもらえないなんて…」



そう言って儚げに微笑む母を、包まれる体温の低さを、シュリは今でも忘れられずにいた。




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