the lonely dragon | ナノ


▼王子と竜



逃げていた最中、目や耳で集めた情報はどれも残酷なものばかりで、頭の中を整理しようにも目を背けたくて躊躇われる。それはとても理解し難い内容だった。
――甲冑を着た人族が。旗に半月を模した軍章が。この世のものとは思えない奇妙な生物を連れて…。父は先頭に立って戦っていると耳にした。兄やシドは行方が知れず。自軍は半壊状態。窓から見えた集落は炎の海。横たわる人影。怒り狂う咆哮。舞い散る漆黒の羽根。走馬灯のように巡る里の者たちの顔。
母の寝所を目指して走っていた。もつれる足を懸命に動かしながら。けれどもすぐに進路を変えて飛び出したかった。父が、おそらく兄がいる戦場に。皆が苦しむ声がする、その場所に。この時ほど身体が複数あれば良いと思ったことはない。母は大好きだし、母を探すことは亡きアリーの遺言だ。それでも、母以外の生死を無視することは辛い。母、兄、父、シド、家臣、同族たち…。自分が人の姿でなく、竜の姿をしていたら、もっと早く駆け付けられるのに。もっと強ければ、父たちと共に戦場に立てるのに。力があれば、人々の傷を癒すことができるのに。

(私は、無力だ……)

ここで改めて思い知らされた。無力なのだ。羽の無い鳥や、、柄の無い虎や、鱗の無い魚の様に。変化の出来ない竜は、人の容のまま成す術が無い。全ては左手にある呪印の所為で。……――情景が変わり、忌々しき男の顔に擦り変わる。トカゲのような、あの男……。

『――私の愛しい羽紅竜…』

「……っ!!」

「っ!」


 ――ガキィィィィン!!


はっと眠りの淵から意識が戻ったその時、自分の手は暗闇の中で剣を握っていた。相手の懐に刺さっていた小ぶりの剣を抜いて、切っ先を相手に向けようとしたところで別の長剣に押さえつけられている。そんな図だった。一瞬の内に素早く動いた掌には、じんわり汗が滲んでいる。着ているものも、巻いている包帯も、額もじめじめしていて気持ち悪い。状況を目で追い確認している内に、闇に慣れた目で、前の人物が殿下であり、剣を押さえているのが知らない人物だと判った。寝台の隣にある燭台は、心まで温まるような優しい光を揺らめかせている。きっと殿下が自分の様子を見に来た時にそこに置いたに違いない。そう思った。

「………手を引け、レオン」

元より殿下を傷付けるつもりなどなかった。あの男のことを直前に夢で見ていた所為だ。そしてあの夢を見たのは、大きな男に近くに寄られた所為かも知れない。

レオンと呼ばれた短髪が、ゆっくりと剣を引いて鞘に納めると同時に、力を失ってしな垂れた手から、殿下が剣を回収した。気まずく俯きながら目で様子を窺うと、少し雑な手付きで頭を撫でられた。

「そんな目で見るな。襲いかかってきたことは褒められたものではないが、我のタイミングが悪かったのであろう」

(笑って済むことじゃないでしょう……?)

もう少しで突き刺してしまうところだったのに。事によっては殿下に剣を向けることで死罪になるかもしれない。あまり細かいことを気にしないタチなのか。それとも、刺されないという絶対の自信があったのだろうか。それが傍に仕えているレオンにおける信頼か、まだ見ぬ本人の剣の腕前故にか分からない。殿下は「ホルダーを外したままだったな」と剣を懐にしまう。

「レオン、外せ」

随分冷えた言い方だった。外すという言葉が重なって意味が分からなかったが、レオンが軽く一礼した後に踵を返す。ひと言も話さなかったことに違和感があって無意識に扉に目がいった。しかし、よく考えれば自分もひと言も話していないことに気付いて苦笑いしてしまう。自分が口をきいていないのに他人のことが気になるなんて……。傍から見た自分は同じような感覚で見られているのだろうかと、少し微妙な気分になった。



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