the lonely dragon | ナノ


▼3



「も、申し訳ありません。殿下」

殿下は確かに見惚れてしまう相貌で、持って生れた王となる素質のようなものを漂わせている。人を酔わせる力、魅力がある。しかし、その性格は気に入らない。飼い主、だの、竜である自分を、物か何かペットのように言う言い方が気に入らない。

「シュリ様は、今この時点で喉が焼けて声が出ないと思いますが、それ以前から、全くと言っていいほど声が出せない…。これは仮説でしかないですが、どうですか?この手に刻まれたこれは――、」

3人と反対側の左手が取られ、緩やかな手付きで巻いてあった包帯が外される。手の甲の奇妙な黒い模様。以前と変わらないそれに、戦慄が走った。

「呪われた痕。スティグマ(呪印)、では?」

見間違い無いか目を大きくして瞬きを繰り返す。心の内に浮かんだのは、絶望だった。

「喉が火傷を―、と申し上げた時、それほど驚いていらっしゃいませんでしたよね。初めてその呪印を見させていただいた時、どこに影響が出ているのか疑問だったのですが、それがまさか、声だとは……」

昔――、その身に印を受けたあの“忌まわしき日”から、どうにかして呪いを消し去ろうと気味の悪い黒の模様を何度も自傷した。爪で引っ掻き、ナイフで刺したり、周囲にそのことがばれるまで、それはもう何度も。これが消えればまた元通りだと思った。あの男の顔をその痣に重ねながら。突き刺す。けれど、傷が付くことはなかった。痛むだけで、血も流れない。

「……っ」

今その砕片を見ている気分だった。日に焼けて炎症や水膨れをおこしている腕。その一方、左手の甲に乗る黒い模様だけが浮いたように無傷で。独立していて、己のものではないようで。不気味、だった。

「……おい、痛むのか?」

「シュリ様?」

ひどい日焼け以上に、その事実が深く心に突き刺さって、動けない。どうして自分は、自分だけが、こんな目に合わなければならないのか。疎まれた生い立ちを背負い、見ず知らずの男に声を奪われ、住む所を奪われ、大切な人や仲間を失い、みすぼらしい姿に成り果て、挙句目を覚ませば知らない人族に囲まれて質問攻めにあい……。兄は、無事なのだろうか。業火の中、出来得る限り駆け回って集めた情報は、少ない。最後に母の姿を見ることができただけでも良いのだろうか。
こうまで打ちひしがれてもまだ、全てを失ったという実感が湧かない。認めたくないのか。現実を見たくないのか。自分で自分が分からない。どこかで受け入れている気さえする。それが、悲しい。もどかしい。腹が立つ――!
呪印が刻まれた手で拳を握ると、怒りを寝台に叩きつけた。

「なっ――!」

「……」

痛くない。心地よい敷布が弾んで、意図せず跳ね返った手はとても楽しげで。今度はその手を無性に殴りつけたくなった。今までぴくりとも動かなかった右腕が見違えるほど俊敏にしなった。と同時に短く悲鳴が聞こえる。

「おやめください!」

右腕は振り下ろされることはなく、左手は痛みを感じることはなく。胸に飛び込んできた小ぶりの塊に抱きつかれ、防がれてしまった。半ば放心状態で、ふるふると小刻みに震える小さな存在を抱きしめるように触れてみる。ふわふわしていて、温かい。首元に鼻を寄せると、野原に咲く花の様ないい匂いまでする。心地よくて、このまま身を寄せ合っていたい。背にしがみつく。母とは少し違うが、温かさが懐かしかった。胸に沁みて、視界が滲んだ。

「……そんなこと、してはダメです。このレフィルが許しません」

(レフィル……)

自分より小さい彼女に叱られるのは微妙な感じがして、頷くのに苦笑を伴った。あまりに情熱的な初接触に驚いてたからか、すっかり胸の中のもやもやが消えている。行動で心を示せる人なのだと、羨ましくもあった。もし妹がいたら、こんな風に愛らしいのだろうか。下の兄弟が欲しかった自分としてはこうして触れ合えるのは嬉しいことだ。

「今日は……これ以上はやめておくか」

「そうですね。それがいいです。過去を思い出すということは、とても辛い作業でしょう」

レフィルの背後から会話が聞こえ、はっとして首筋に寄せていた頬を離した。顔を上げた先に、2人の男が立ち話をしている。視線はこちらに向けたまま。一瞬であったが中でも強い、殿下の眼光に捕らえられた。目が合ってしまってはもう、向こうが逸らしてくれるまで逃れることはできない。その瞳は先程よりも強く真剣な色を宿していた。

「後でまた様子を見に来る。レフィル、お前が世話をするのだ。それと……」

殿下は身を翻す途中で肩越しに振り返る。

「このことは他言無用だ。そいつが竜であることは絶対に知られるな。これは秘密事だ。お前たちと、レオンだけのな」

今度こそ遠ざかっていく堂々とした後ろ姿。完全にドアの向こうに消えてしまってから、また母を思わせるレフィルの肩に顔を埋める。
どういうわけか力強いはずの殿下の背中が寂しく見えて、少しだけ胸が疼いた。





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