the lonely dragon | ナノ


▼王子と調香師


「殿下、なぜ急に身元不明の者を連れて帰ってきたりなど…。とても悪人には見えませんが、敵国の内通者かもしれないじゃありませんか」

「…解らぬ。気が付いたら竜車(竜が引く馬車のようなもの)に乗せていたのだ。ちょうどペットがほしいと思っておったから、天の贈り物やもしれぬな」

「なっ!ペットってそんな――」

「我は妾でも構わぬがな」

「殿下!!」

意識を失っていた耳に音が流れ込んでくる。それはまるで濁流のようで、溺れてしまいそうだった。

「咎を言うな。身内でもなし、王宮お抱えの身で」

「た、確かにそうですが……。心配くらいしたって――」

「ん……?気が付いたようだな」

混乱している内に瞼が開いていた。色々と周囲の状況を飲み込むことが出来ずに話しかけられ、見上げた先にある茶に近い濃い色の顔に目を細める。なんと造りの整った顔だろう。見ているだけで劣等感が生まれる気がした。
黒真珠をはめ込んだような、黒に輝く瞳や太く通る凛々しい眉。その間を通る鼻筋、骨張った頬、無駄な肉の無い顎はしっかりと骨格を成形している。そして今まで生きてきた中でも群を抜いて男らしく尊大な相貌をして、今まで聞いたどの声よりも、身に響く心地の良い声をしている。
『気が付いたようだな』
見惚れる時間がしばらく漂ったが、その言葉を思い出して何を考える間もなくゆっくりと頷いた。すると男は目を細め、微かにだが確かに笑った。美しい顔が微笑むとこれほど凶器的なのか。

「ふむ。なれば自己紹介だな。…我はソーマだ。ソーマと呼ぶといい」

「殿下…。簡潔すぎます」

名を言われ、威圧されながらおずおずと会釈する。寝台の隣にある3つ足の椅子に腰かけ顔が近い男の後ろで、誰かが言葉を挟んだ。とても懐かしいような、優しい声。条件反射で、つい頬が緩んだ。

「………っ」

「……面白くない。何故シレンには笑う?拾ったのは我だ。飼い主を見間違うでない」

顔を合わせた相手は何故だか頬を赤くしていた。こういう反応は昔から色んな人に見られたのである程度は気にしていない。気にするなと、昔兄や恋人に言われたから。
「シレン」と呼ばれた彼は、元々そのように真っ赤な顔ではない筈だ。真新しい記憶の中の彼を思い出す。色白で、優しげな微笑み。穏やかな色を含んだ灰色の瞳。曲がりくねったこげ茶色の髪。てっきりおかしなことを言うソーマを咎めるのかと思いきや、その瞳は一心にこちらを向いている。熱が引いた顔は、照れたような笑みを浮かべていた。

「あの、私はシレンといいます」

どうやら自己紹介が始まるらしい。

「西方の出身で、この国の人間ではないんですが……。ご縁があって、このイーリス(国)に雇われている調香師です。たまたまパライゾ(街)に来ていたところで殿下の遣いの方に呼び止められまして。来てみれば、あなたが寝台にぐったりと横たえられていたので驚きました」

イーリス。パライゾ……。それに、殿下、調香師。耳に慣れない言葉にはてなと思う。そして思い出した。自分がどこに飛ばされたのか、その前に何があったのか。溶けて蒸発してしまいそうな砂の大地。赤黒い炎。熱風。誰かの断末魔。鼻にこべりつく異臭。母の背に縋りつこうとした瞬間――、崩れ落ちる。足元から――。目前に現れる忌々しい狂気の笑み。

「っ……!」

「落ち着け…。我がここにいるであろう」

労わるように額に乗せられた手。その差しのべられた手を払い落してしまった。温かさは要らない。今触れられては、“あの男”の青白い手とすり変わってしまいそうで怖かった。痩せてくぼんだ黄色い目。蛇のような細長い舌。海藻を貼り付けたような長髪。記憶が前後して、なぜかあの男が思い浮かんでしまう。自分に一生忘れられない傷を負わせた、あの男を。




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