「バーナビーさんは今、幸せですか?」

目の前の女性の言葉に、「幸せです」と即答できない自分がいた。



◆ ◆ ◆



控え室を後にした僕は、知らず知らず詰めていた息をゆっくり吐き出した。…僕は何に緊張していたんだろう。
控え室を振り返ればそこには「ピアニスト・Traum」と書かれており、僕はつい先程会った女性の姿を思い浮かべた。
彼女の言葉が頭から離れない。問いと呼ぶには全てを見透かしたような彼女の言葉に何かとんでもないものを暴かれてしまいそうな気がして、僕は思わず彼女の問いから逃げたのだった。
Traumとは「夢」を意味する単語だ。僕より一つ年下のこの天才ピアニストは、僕と同じくウロボロスに両親を殺されているらしい。それを利用して組まれた僕と彼女の接触は世間に、いわゆる「お涙頂戴」効果をもたらすことが目的らしかった。
ジェイクの件に大きく貢献したとはいえ、ルナティックの存在もありヒーロー不信の声は完全には無くなっていない。ヒーロー業界としては念のためにここでもう一押ししておきたいのだろう。
僕としても同じ被害に遭った人がいると知って興味が湧いて受けたこのイベントだったが、つい先程まで僕とそのピアニストは共に取材を受けていた。緊張からか終始恐々としているTraumさんをカバーしつつ、僕はなんなく取材が終わると思っていた。
しかし、最後の質問で少女の雰囲気が変わった。質問は確か「お互いに訊きたいことはありますか?」だった筈だ。そこで彼女は「一つだけ良いですか」と言って、今までの様子が嘘のように、僕の目を真っ直ぐ見つめて冒頭の質問を口にしたのだ。
僕はその質問を聞いて一瞬頭が真っ白になったけれど、取材中であることを思い出して慌てて「…幸せですよ、勿論」と答えた。そんな僕の言葉に彼女は「そうですか」と優しく、でもどこか悲しげに微笑み、それで取材は終わった訳だが。

「“心を歌うピアニスト”か…」

そう呟いてパンフレットを見る。余計なお世話だと思うが、正直、さっき会って見た限りでは彼女にこの通り名は荷が重いのではないかと感じた。なんだか周りの視線を気にしすぎている印象を彼女から受けたのだ。
コンサート自体はこれから始まる。
取り敢えずコンビだからと一緒に招待されたおじさんを探すため、僕は足早に控え室を後にした。



◆ ◆ ◆



「それにしてもすごかったなあの子。なんだっけ」
「Traumですよ」
「そう!Traum!俺鳥肌立ったもん」

そう興奮気味に話すおじさんに対し、僕は内心呆然としていた。
彼女の演奏は「心を歌うピアニスト」の名に相応しいものだった。正直、僕は今まであんなに心が籠もった演奏を聞いたことがない。ピアノの一音一音、休符の一つ一つ、それこそ曲と曲の間の間にまで込められた彼女の思いは観客の心を動かし、コンサートはスタンディングオベーションで幕を閉じた。
でもそんなことよりも僕が驚いたのは、ピアノを通して彼女が僕達観客に伝えた彼女の気持ちだった。

(あんなに幸せそうに……)

彼女から溢れていたのはあらゆる「幸せ」だった。生きている幸せ、友達がいる幸せ、恋人がいる幸せ、希望に満ちた明日を迎えられる幸せ。その全てを彼女は曲に込めていた。

(どうしてあんなに笑えるんだ…)

僕は今まで父さんと母さんの敵を討つ為に生きてきた。この二十年、僕はいつか来る敵討ちの日に全てを注いできた。だからだろうか、同じ境遇でありながら負の感情に捕らわれていない彼女に、自分の考えを根本からひっくり返されたような心地になったのだ。

「おいバニー」
「…なんですかおじさん」
「どうかしたか?お前、何か変だぞ」
「変?僕はなんともありませんが」
「そうか?ならいいけどよ。…そういや、最後の演奏、あれもしかしなくてもお前にって言ってたんじゃねぇの?」

おじさんの言葉に、僕はアンコール前の最後の演奏を思い浮かべる。

「そんなわけないでしょう。第一、あれは僕に当てはまりません」
「『今、目標を失って人生に虚しさを感じているだろうある人に捧げます』だったか?」
「そうです。僕にはヒーローとして街を守るという目標があります」
「…そうかよ」

僕の言葉に釈然としないと言いたげな顔をしたおじさんをおいて、一人会場から歩き出そうとした時だった。

突如上の方から聞こえた爆発音。
それだけでなく、僕達の右側にあったガラスが勢い良く吹き飛んだ。

「なっ…!?」

咄嗟に伏せたすれすれを通り過ぎるガラス片。その衝撃はドミノのように連鎖しありとあらゆる窓ガラスを粉砕してゆく。
吹き上がる爆風。…爆弾か!
僕とおじさんは顔を見合わせると、どちらからともなく会場の内部へと走り出した。


ねえ、きみのしあわせを願っているとしたら



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -