桜餅
※一部創作の江戸っ子出てくる
慶応四年三月
「風間さん、お茶が入りました。」
新選組を追う、という雪村の女鬼と京都から行動を共にするようになって二月程経ち、江戸についた俺たちは天霧が抜けた後二人で小さな民宿で身体を休めていた。
「久し振りに甘味でもほしいところだな。」
淹れられたばかりの茶を一口すすりながら言うと、向かいに座る女鬼は俺の顔を覗き込みながらいつもより少し大きな声で返してきた。
「疲れた時には甘いものが良いそうですよ。私美味しいお茶菓子知ってるんです。近くだし、今からなら…。買いに行ってきてもよろしいですか…?」
「長旅の疲れもあるだろうに、それも一人でか。」
「そんなに遠くはないですし、江戸は見知った町です。大丈夫ですよ。」
そわそわと俺を見る女を横目にふん、と鼻で笑う。考えてみれば新選組ならともかく、俺に外出の許可を取る必用は無いはずだ。
「…そもそも何故俺に聞く。もともと俺におまえの拘束権はない。江戸に行くという俺に勝手についてきただけだしな。」
好きにしろ、と言い放つと女はいそいそと身支度を整え出ていった。急に部屋がしん、となる。戸を開けて外を見ると駆けていく女鬼が見えた。どうもせっかちな奴だ、と俺はまた一口茶をすすった。
別に俺はあの女鬼自身が気になるわけではない。鬼としての血は気に入っているがあいつと仲間になった覚えはない。もともと馴れ合いは嫌いだ。初めは女鬼を理由に鬼のまがい物を造る新選組の奴らと遊びたいだけだった。でも何時からか何故かあの女から目を離せなくなって。一緒にいても嫌だと思わない、むしろ―――
はっ、として目をあけた。何時の間にか眠っていたらしい。茶はすっかり冷めているし部屋に入る陽の色も橙色に変わっていたが、女はまだ帰っていないようだ。
まだ帰っていないのか、確かに今俺はそう思ったのだ。戸を開けると夕焼けに染められた江戸の町が目に入る。奴が出ていったのがたしか八つ時になろうとしている頃だったが、もう申の刻をとっくに回っている。いったい何処まで買いに行ったのか。つまらん浪士共に絡まれたのだろうか。思わず立ち上がろうとして、思考を止めた。今俺はあの女は此処に帰ってくる事を前提にしている。あいつは何も言っていなかったし俺も何も言わなかった。何も確証は無いのに俺は此処にまたあの女は帰ってくると無意識に信じている。確かに俺達は暫く共に行動してきた。でもそれはあいつと俺の行き先が同じだっただけ、あの女が勝手についてきただけだ。江戸に着いた今、あいつは何時俺の元を離れてもいいわけで、俺も好きにしろ、と言った。いくらこの道中で何も害を与えなかったとはいえ、俺は此れまで何度もあの女に刃を向け、新選組の奴らを傷付けてきた。江戸まで無事に来られたら後は何かされる前に逃げた方が良い。そう考えるのは至極当然でむしろ其れが普通な気がする。
そこまで考えて俺は自分の感情に飽きれ果てた。俺は、その事を少なからず哀しんでいる。ただの自業自得だろうに。この俺が!たかだか女鬼一人居なくなったところで寂しいと感じているなど!
くだらない。こんなにくだらない事はない。俺は今度こそ立ち上がって戸を閉めた。外はもう日が暮れ始めていた。
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