泣くなんて、出来る訳がない。きっとそれは、彼女がいるから。彼女が在るから。ただ、それだけ。
「羊くん?」
「……」
「…羊くん!」
「!?」
声をかけられて、はっとしては視線を空から外して、彼女に移す。少しだけ眉を下げた彼女は僕を見て口を噤んだまま。僕は彼女に向かって咄嗟に作った笑みを浮かべて首を傾げてみたけれど、彼女は未だに眉を下げたままだった。
(…そんな顔をさせたい訳じゃない、のに)
彼女は何を考えてるだろう。きっと、優しい優しい彼女は僕の取り繕うような笑顔に気付いてるのかもしれない。ただ、境界線を引いては後ろに引いたままの僕を思って彼女は線のぎりぎりで僕が踏み出すのを待ってるのかもしれない。
それはただの願いで、ただの切実な僕の思い。カタン。音を立てた椅子は未だに僕をそこから離れさせてくれない。ごめんね、ちょっとトイレに行ってくる。女の子の前で言う事じゃないって分かっていても、これを言わずとしてどうすればこの場から去ることが出来るだろう。
廊下を飛び出した僕は、一番最初に覚えた屋上庭園までの道のりを駆けた。
「……っ」
思ったより全力で走ったみたいで、少しだけ体を前のめりにしては両手を膝につけて息を吸う、そして吐くを繰り返した。見上げる空は青い。フランスの家で見上げた空もこんな風だった。不意によぎる両親の影に、また泣きたくなった僕の感情は誰よりも子供くさい。
「どうしたの?」
不意に頭上から降り注いだ音。瞬時に僕の耳にそれは浸透していっては、認識した僕の脳が驚きの声を上げ、走り疲れた体がぺたりと地についた。見上げれば、一人の女の子が困ったように僕を見ていた。
「…どーしたの?」
最初より少しだけ砕けた言い方だった。よく見れば、タイが同じ赤。───同い年?無意識に呟いた声に反応した彼女は、口角を吊り上げては自身の胸元に下げた赤を少しだけ持ち上げて、頷いた。
「何も無いよ」
会話になってない。なんて思いながらも一番最初の彼女からの問いに返事を返す。彼女は首を傾げながらも、にっこりと笑って、ならいっか!と満足そうに僕に背を向けた。
「あんまり無理しちゃ駄目だよ?」
風に乗って聞こえたそれに、僕の荒んだものは少しだけ、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。泣きそうになってしまったなんて、僕だけの秘密。
Decided that don't cry
(泣かないと決めたから)
改訂/20130105