8/3 12:05

 二人の男が、キンキンに冷やされた休憩室で向かい合わせに座っていた。近くには自動販売機が設置され、彼らの間には缶コーヒーが二つ置かれた小さな丸テーブルがある。その光景自体はまさにありふれた、どこかのオフィスの休憩室そのものである。しかし、その前の廊下を通るのは、少々目つきの鋭い者や隙のない動きをする者が多い。それもそのはず、ここは福岡県警察本部のど真ん中、まさに中枢と言える場所だった。
「あーあ、こうも暑い日が続くと参るなぁ。外回りが辛いのなんの」
最初に愚痴った男は、多少目つきが悪いこと以外は、取り立てて何の特徴もない男であった。話し方はやや気だるげだが、それは本当に疲れているからというよりも、平時からこのようなのではないかと思わせる程度である。年は二十代後半から三十代前半程度に見えたが、くたびれたスーツとその話しぶりが、年の割には落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「そうっすねえ、椎名さんは結構事件調査で外行ってますもんねぇ」
椎名と呼ばれた男の言葉にやや崩れた敬語で同意した男は、椎名とは好対照な男だった。まず、男の顔はこの場に不釣り合いなほど整いすぎていた。二重で少し丸みを帯びた瞳や鼻筋の通ったその顔は、県警本部の休憩室よりもどこかのスタジオや雑誌の中がお似合いだろう。現に警察官の制服をただ着て普通に椅子に座っているだけなのに、警察官が休憩室で休んでいると言うよりも、モデルか何かが衣装を着て待っている、と言う方が的確に状況を表現していた。
「お前だって公休明けからは外回りやるんだけどなぁ――“広瀬刑事”?あといい加減椎名さんは止めろ、これからは同じ課の先輩後輩なんだから」
椎名はそう言うと、目の前の後輩――広瀬の額にコツンと拳をぶつけた。
「っもーなにするんすか!分かってますってば!」
「ならいいけどな。折角念願の刑事になれたんだ、ちっとは気張っていけよ?……まぁ、お前の能力なら大丈夫だと俺は思ってるけどな」
「……!」
広瀬は額に手をやりながら、少し照れたように椎名から目を逸らした。しかし椎名はにやにやと笑うのみである。
 広瀬はこの度、刑事へと昇進することが決定した。少し前に登用試験自体には受かっていたものの、実際に刑事課に空きが出たのはつい最近のこと。今日までは地域課に所属しているため制服に身を包んでいる彼も、公休明けからは私服で現場に向かう新米刑事として椎名の元で働くことだろう。椎名は自分が刑事であるからこそ、刑事になるということが並大抵の努力では成し遂げられないということを重々承知していた。だからこそ、思わず広瀬を見る目が優しくなるというものだ。
「……あーもう恥ずかしいからこの話は終わりっす!」
「へいへい」
しかし広瀬はそうやって能力面を褒められるのには慣れていないらしく、この話になる度に話題を逸らす。
「えーっと、確かに最近暑いっすよね?夏真っ盛りだし今度海でも行きませんか?」
「海かー……もうずいぶん行ってねえな」
「昔はイトコとかと結構行ってたんっすけど、最近はやっぱ忙しくて……どうっすか!?」
「あー、たまには気晴らしにそういうところに行くのもいいかもな。お前がいいってんなら行かせてもらうよ」
こんな風に広瀬が焦ったように話を変えるのを椎名は微笑ましく思いながらも、その提案には『ん?』と首をひねった。
「でも、お前は女の子誘えよ……」
その言葉に、広瀬はさきほどの椎名のようにニヤリと、しかし元が良いせいで爽やかでまばゆい笑顔で、
「女の子は現地調達が基本っすよ、セ・ン・パ・イ?」
と言い放った。その言葉に椎名はケッと心中で独りごちる。
(……あーくっそイケメン滅びろ!)
そんな風に広瀬への殺意の波動に満ち満ちていたちょうど、その時、

「うおっ!?センパイすみません、休憩だからちょっと携帯つけてて……でてもいいっすか?」
「おお、気にすんな」

部屋に電子音が鳴り響いた。どうやら広瀬の携帯だったらしく、広瀬は急いで部屋のすみへと行き、携帯電話を取り出した。椎名に遠慮しているのか、声は小さめである。
(まぁ、今日は仕方ないよな。刑事になることが決まった日だから、親でもだれでも電話してくるだろうし……)
最初は単なる知り合いからの電話なのだろうと高を括っていた椎名は、そういえばとあまり口をつけていなかったコーヒーを飲みながら、なんとなく広瀬を眺めていた。しかし、すぐに椎名はその予想が外れたことに気づいた。
(あいつ何話してんだ……?)
話の内容そのものは遠すぎて聞こえないが、どこか動揺しているような声色である。よく目を凝らしてみれば、広瀬の顔はみるみる青ざめ、ひどく戸惑っているようにすら見えた。
(何か事件絡みか?)
結局広瀬は五分以上話し込んでから、椎名のもとに戻り先ほどと同じように席についた。
「……センパイの前で、失礼しました」
広瀬はやはり若干、動揺の色を残しつつ椎名に非礼を詫びる。
「それは構わないが……どうかしたのか?顔が青いぞ?」
「いや、えっと、その……」
言うか言うまいか悩むその姿に、椎名は少し心配になった。電話によって何かがあったのは明らかだ。そしてそれが何か酷く重大で大変なことであることぐらい、刑事である椎名でなくても感じ取れる。
「個人的なことなら、無理して言わなくてもいいが、話して楽になるような内容だったら聞くぞ、なにかあったのか?」
椎名が、自分が出せる範囲で思いっきり優しい声色を出してそう問うと、広瀬はしばらくテーブルと椎名へ交互に視線を走らせたが、
「ううセンパイ、ありがとうございます……身内のことなんでと思ったんすけど、」
そう前置きして、
「さっき、俺イトコがいるって言ったじゃないっすか?今大学生なんですけど、それが、なんか三日前から家に帰ってないとかで……」
「三日前ってことは今日が8月3日だから……7月31日ぐらいか?」
「はい。それだけならまだ大学生だし解るんですけど、なんか犬鳴峠に友達と行くって言ってたらしくて、あいつ、普段絶対親に迷惑かけたりしないやつだし、無断外泊とか絶対しないやつで……しかも、本人は夕方には帰るって言ってたらしいんです」
「げ、」
犬鳴峠、ねぇ。椎名は顔をしかめた。
「あそこ、勿論心霊スポットとしても有名っすけど、山道だしやっぱ危ないじゃないっすか?で、すごい俺のおばさんも心配してて……それで調べてくれ!って電話越しで泣き付かれちゃって……」
 福岡で、いや全国的に有名な心霊スポット、犬鳴峠。椎名は嫌な予感が胸を巣食うのを感じた。聞こえてくる噂の全てを信じているわけではないが、福岡に住んでいれば誰もが一度は耳にする――『犬鳴峠だけは、ヤバイ。』
 実際、犬鳴峠はただでさえ交通事故が多発する場所として有名である。心霊スポットとはいえ、昼間なら何回も車で通ったことがある椎名からすれば(もちろん、それは曰くつきの旧トンネルなどではなく新トンネルだが)、幽霊話よりそちらの方が怖いと常々思っていた。
「……捜索届は?」
「出したそうです。でも、まぁ、正直事件性の有無は微妙っすから……」
「アテにはできんだろうな」
「そうですよねぇ……」
広瀬はがくり、と肩を落とした。その様子に椎名はしばらく顎に手を当てて考える。
「明日と明後日は確か、俺もお前も公休だったよな」
「えぇ?はい。今は大きなヤマもないから普通に休みっすね」
その言葉に、椎名はニヤリと笑った。
「さっきは海に行くって言ってたけど、俺はどちらかと言うと山派だからな――犬鳴峠にドライブでもしてみっか?男二人じゃつまんねえだろうがな!」
椎名の言葉に、広瀬は飛び上がって喜んだ。
「せ、センパイ……!付き合ってくれるんすか!?」
「まーどうせ独り身刑事の公休なんざ家で寝るぐらいしかねえんだからな。それに……正直言って嫌な予感がする」
椎名はもう一度顔をしかめた。三日は長い。こういう些細なことが重大な事件へと発展していくのを、椎名はたくさん見てきた。
「それって、刑事の勘的なやつっすか!?」
「ばーか。こんなん誰だって怪しむっつーの!」
椎名は自分より少し高い広瀬の頭をぽかりと叩いた。しかし、広瀬の言葉は否定はしたものの、椎名は自分の心に何故だか言い知れぬ不安が広がっているのを自覚していた。しかし今の時点ではただの行方不明者、いや家出人の捜索程度だ、そう心配することじゃない。自分にそう言い聞かせた椎名は、
「そうと決まれば情報集めだ!」
その不穏な何かを振り払うかのように勢い良く広瀬を引っ張り、休憩室を後にした。

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