8/3 17:00


 それほど量が多いわけでもないブログ記事を、椎名と広瀬は二人で並んで読んだ。黙読する最中、部屋の中は静かになる。階下で健太の母親が家事でもしているのだろうか、物音が少し聞こえる程度。そんな静かな空間で一人椎名は、ブログ記事の中での修の感じた出来事に対して、言い知れぬ不安を感じていた。まるで、自分が経験したのと同じような現象のような気がして。だけれど、まだ確証はない。

「……え?」

そう思って、静かに広瀬が読み終わるのを待とう、と思った次の瞬間だった。広瀬はなにか驚いたように背後へと振り返った。
「……あれ?」
その視線は、自分たちの背後の――窓に向いている。しばらく、彼はじっとそれを見ている。嫌な予感が椎名の脳裏に駆け巡った。ブログ記事、自分の体験――。
「音が、して――」
「広瀬!!」
考えるよりも先に体が動く。彼の視線をそらそうと椎名は広瀬の頭を掴んだ。
「っ、いたっ!」
「見るな!」
「センパイ……もう、遅いっす……」
しかし、一足遅かったようだ。広瀬は青ざめた顔で椎名にひきつった笑顔を見せた。
「おい、何を見た!?」
「て、手形みたいな……センパイから聞いた通りの感じでした。音がバンバンしてたんですけど……聞こえてないです、よね?」
「……あぁ」
広瀬は上目遣いで椎名の表情を伺うように見つめた。
「どうした?」
「いや……少し、わかったことがあります」
「何だ?」
椎名は広瀬の頭に回していた手を外して、言葉の先を促す。それに応えるように広瀬はいつになく真面目な顔で言った。
「まずひとつ――センパイが体験したあれは、センパイだけってわけじゃない。ブログ記事の修からしてこいつも……多分健太も体験してる。今俺も似たようなものを見ました。だからこれは……マジモンの、心霊現象っす」
「……そう、だな」
静かな部屋に、重たい沈黙が流れた。
今まではそうは思っていても信じられない気持ちがまだ残っていた。なにせ、自分しか見てないのだから。心霊現象を認めるより、自分がおかしくなったと思うほうがまだ『普通』だ。
でも――これは椎名にだけに訪れたナニカではない。誰にでも訪れうるものだ。そして、その条件は。
「あと、もうひとつ……これは、センパイもわかってると思うんすけど……」

「犬鳴峠に、行こうと思う気持ちが――引き金」
椎名は、広瀬の言葉を引き取るようにつぶやいた。
「あーあ。幽霊の出張サービスなんて、信じられねえな」
「……ホントっすね。……全く、馬鹿だな健太。犬鳴峠に行こうなんて……大学生だからって浮かれすぎ……っ」
広瀬は、思わず手で顔を覆った。
「……バカだ、ホント……こんな危ないところで、……おばさんだっておじさんだって待ってるのに……っ、みんな、心配してんのに……!」
椎名は唇を噛み締めて、嗚咽を漏らす後輩の背中をぽんぽんと叩いた。
「っ、ごめんなさ、センパイ……急に、自分が体験したら、心配になって……」
「いや、いい。当然だ」

椎名は、広瀬をなだめながら、窓ガラスをぼんやりと眺めた。外はすっかり日が暮れて、窓ガラスの向こうにはただただ暗闇が広がっている。そしてまた、バシリという音が椎名の鼓膜を震わせた――ように彼は感じた。
(……また、か)
今までと同じように、暗闇の中から、思い出させるように赤い手がぬらりと現れて、そしてすぐに掻き消える。
だが、椎名はもうそれ自体には驚くことはなかった。
それよりも、椎名は、
(……こんな目にあっても、)
――俺はまだ、あの場所に行く気があるらしい。


 広瀬の涙が止まってしばらくして、彼らは主なき部屋を――子供なき家をあとにした。

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