彼の背後で、何かざわめきが起きた。それは、ところどころで洟をすする音と読経の声しか聞こえないこの空間では少しだけ目立った。祭壇に飾られた写真の人はあなたのおじいさまよ、と教えられたけれど、そんなことが幼い彼に理解出来るわけもなく。彼はこの線香臭い行事に飽きていた。だから隣で目を瞑り手を合わせている母にバレないように(バレたら行儀が悪いと叱られると思った)、こっそりと後ろを振り向いた。
 
(――だれだろ?)
 
 その人は、見たことのない人だった。

 急いで来たようで、肩で息をしつつ入り口のドアの向こう側に立っていたのは、スーツを身にまとった男性だった。ほとんど年寄りだらけのこの空間で、その人はとても若い。それに加え、全く見たことがないはずだけれど、なぜか初対面な気がしないのはどうしてだろう――そう思ったとき、母もざわつきに気づいて、振り向いた。そしてその人を認めた瞬間、息を呑んだ。
『ねえ、あの人は、だれ?』
 彼は幼かった。母の反応がどういう意味なのか解らなかった。
 


凍った血



『あの人は、あなたの、叔父さんよ。私の、弟』
『……おじ、さん?』
 すぐに母の、そして周りの異常に気づいたのは、幸運だった。
 母は信じられないとでも言うように目を見開き、ドアの向こうで立っているその人を見ている。気づいた親戚たちもその人を一瞥してはひそひそと何かを話していた。母は暫くは驚いていたようだったけれど、すぐにその視線は軽蔑の眼差しへと変化する。祖母は苦虫をかみつぶしたような顔で立ち上がり、叔父が居る入り口へと向かった。
 
『何しに今更やってきたの――――あなたは――』
『入れてください母さん――俺は父さんに――』
『――およしなさい!』
『俺は父さんといつか――』
『あの人が喜ぶわけないわ――勝手に――』
『せめて焼香だけでも――』
『およし! あなたはもうこの家の人間では――!!』

 場所が遠く、また事情を知らないがために、彼には会話の全てを理解することができなかった。それでも、自分の叔父だというこの人物がこの場では鼻つまみ者であるということぐらいは把握して、彼はぼんやりとその様子を意味もなく眺めた。
 しばらく二人は入り口で揉めていたけれど、叔父は結局中に入れてはもらえなかった。それもまた、彼には理解できないことのひとつだった。ねえどうして? それを母に投げかけようとして、彼は止めた。止めざるを得なかった。
 
 母はもはや軽蔑ですらない、憎しみをこもった目で叔父を見ていた。そして、その顔を呆気にとられたように見ている彼に気づいて、殊更に冷たい目をした彼女は、その目と同じくらい温度を持たない声で告げた。
『いい? あの人のことは、忘れなさい』

 それから後のことを、彼は記憶していない。ただ、そのときの母の光景は、鮮明に心に刻み込まれた。
 よく考えたら、祖父の葬式に自分の父が居なかったのは前触れだったと、今の彼なら思うだろう。




 母は少しずつ何かがおかしくなっていった。そして、彼が小学校に通うと同時に、壊れてしまった。心も身体も病気になった。父が他所に女を作ったからだ。そのとき、彼は自分の両親が幸せな結婚ではなかったことを知った。
 
 母はプライドの高い女だった。彼女は、父が自分に魅力を感じていないから女を作ったのだと思っていた。彼には彼女の言い分自体は間違っていないと思えたが、それだけとも思えなかった。
 父は、婿養子だった。祖父が作った会社の社長にと望まれて結婚した。ただ本人としては結婚する相手のことなんかどうでもよかったのだろう。結局耐えられなかった。

 彼は父の顔をあまり覚えていない。父は母も彼も、肩にかかった糸くずを払うみたいに気軽に捨てた。父にとって、おそらく悩ましかったのは自身の役職であった。それも、父は新しい女とともに新たに起業するために捨てた。何もかも新しい生活は、きっと楽しかっただろうと彼は恨みなく思う。けれど、恩を仇でと祖母が憎々しげに語っていたのを彼は覚えていた。ひどく揉めたに違いない。幼く、何もかもどうでもよかった彼には、何も解らなかったが。

 母が入院したと同時に、彼は仕方なく祖母の家に引き取られた。
 祖母は、彼のことなどどうでもよかった。祖母は何もかもうまくいかない自分の人生を恨んだ。その始まりはすべて叔父のせいだと言った。
『ああ憎らしい――あの子があんな風に育つなんて!!』
祖母が叔父のことを『異常な子』と口汚く罵る度に、奇妙な怒りが沸くのが彼自身不思議だった。ほとんど面識のない叔父に肩入れしているわけがない。ならば、何故だろうか。
 そう自問自答した、中学三年の夏。彼は気づいた。彼は、自分の責任を誰かになすりつける人種が嫌いなのだ。
 
 だけれど、気づいてすぐ、どうでもいいとその考えを打ち消した。

 祖母が彼を見て、思い出したかのように見舞いに行きなさいと言う。自分は行かないくせに、といつも思っていた。だけれど、この日に限って、打ち消したはずの答えが、逃げるなと言い捨てて自らの存在を主張した。
『ああ、今日――いくつもりなんだ』
 自分もそうなるわけには、いかないだろうと。




 叔父と次に会ったのは、母の病院でだった。
 初めて見舞いに訪れた病室に居た先客は、寝ているあの女を見ていた。その表情は酷く暗い。それがその頃、一日中死んだように寝ていたということは知っていた。たまに思い出したかのように意識を取り戻すことも。しかし眼前のぴくりとも動かないそれは、辛うじて生きているみたいだった。
 あの優しい人はそんな姉を見て、どう思ってたんだろうか。今の彼ならばそう思うだろうが、そのときの彼は予想外の先客に驚き、そんな驚いた自分にイラついていた。

『……アンタ、誰』

 彼の存在に気づいていなかったようで、その人は驚きながら振り返った。そして、彼を認めた直後に更に目を見開いて、
『……君、そっくりだね――お母さんに』
 そう、微笑んだ時だったのだろうか。

 彼はふと、まだ元気だった頃の母を思い出した。そうやって笑う人だった。そこで死人のように寝ているゴミとは、全くちがう人だった。あの日、までは。
 
 ふっと頭に、母が居て、幸せだった頃がよぎる。それも、彼は打ち消した。だけれどやっぱりそんなモノたちが彼にささやきかけた。
 
(俺なんかよりアンタの方が、母さんによっぽど似てる)

そう言いかけて、でもそれは言ってはいけないことのような気がした。
 
『ああ、自己紹介がまだだったね。初めまして、君の叔父の――』
『覚えてる……葬式の時、追い出されてただろ』

 そう言うと、叔父はさっとその表情を固くこわばらせた。

『ああ……そうだね、まだ、君は小さかったけれど』

『母さんの、見舞いにきてくれたのか』
 思ってもいない言葉がするりと口から出て、思わず彼は近くの丸椅子を引き寄せて座った。いまの言葉は、まるでありがとうとでも言ってるみたいで、気持ち悪かった。
『……うん。姉さんは、嬉しくないだろうけど』
 叔父は自嘲気味に笑った。すべてを知る彼はどう返事したものかと悩んだ。しかし、うまい答えはそう簡単には出て来ない。当たり前だった。彼は、今までそのような配慮を人にしたことがない。けれども彼の沈黙を当然の反応とでも思ったのか、叔父は話を続けた。
『君は――よくここに?』
『いや、普段は。今日は……なんとなく』
『そうかい』
 言いよどんだ彼をどう思ったのだろうか。叔父はそう言ったきり、なにも言わなくなった。そしてしばらく彼女の顔を見ていたけれど。

 つぅ、とその頬に涙が伝った。
『……叔父、さん?』


 叔父はいつの間にか泣いていた。ただただ静かに泣いていた。きっとこの人は今までもずっとこうやって音を立てずに泣いていたのだろうと思えるような、そんな自然な不自然さだった。

『ごめんね……突然』
『い、や。いいよ。大丈夫』
 彼は初めて、人がこんなに痛々しく涙を流す場面を見た。目の前の大人がただ感情の溢れるがままに任せて、それでいて声をあげることを自らに許さないその強い意志が、病室に広がった。信じられないくらい、静かだった。彼よりも自分の心の方が波立っているように思えるぐらいだった。
 
『お母さんの見舞い、君だけでいいからちゃんと来てくれないかい』

 目の前の姉を見ながら泣いていた叔父は、そんな面倒を彼に頼んだ。
『……いいよ。来る、今度から、ちゃんと』

 彼はその人の涙を止めたくて、そう返事した。叔父はありがとうと笑って、病室から出ていった。誰かが来るわけでもないのに、人目を忍ぶように出て行く叔父が哀れに思われた。

 しばらくその背中を見送ってから、彼も母の顔をじっと見た。けれど、涙はちっとも出て来なかった。それは、多分自分があの人ほど優しくないこともあったし、自分が目の前のこれに対してそれほどの愛情を持ち合わせていないのも、原因のひとつだろうと彼は推測した。先ほどの思い出は、きちんと消えていた。
 
 それから、彼は手持ち無沙汰だったので、戸棚にあった果物のバスケットから適当に取り出した。叔父が持ってきたのかは解らないが、これが腐らない内に全部食べきれるぐらいには、ここに来ようと思った。どうやら、叔父は意外と抜けたところもある人らしい。果物はあるのにナイフが無かったせいで、彼は目の前の赤い果実にそのままかじりついた。だが、自分にはそれでちょうどよく思えた。それにきっと、叔父も誰かが食べるなんて思ってなかっただろうから、仕方ない。りんごの甘い匂いだけがいつまでも病室に漂っていて、彼はその匂いが消える前に病室を後にした。

 
 
 
 
 結果から言うと、叔父は二度と病室に現れなかった。


 定期的に病室を訪れる日々がニ年ぐらい続いたあるとき、母が死んだという電話を受け取った。やけに暑い日のことで、それこそ昨日、彼はその病室を訪れたばかりだった。蝉の声の方が、電話の向こうで淡々と事実を告げる祖母の声よりも自分よりも、その死を悼んでいるようだと彼は思った。死因は自殺だ、と祖母は告げて、葬式の準備があると電話を切ろうとした――その時。

 彼がした返事はたったひとつ。
『叔父さんに、連絡してくれ』
 もう彼は何も理解できない小さな子供ではなかった。


 三度目の出会いは、母の葬式でだった。
 遺体は綺麗だった。もっと無残だと思っていたのに、と彼は何の感慨もなくそんな感想を抱いた。
 叔父は出席するか迷っていたようだったし、祖母は嫌がっていたけど、彼は無視した。祖母も知らない親戚も、彼には文句が言えないようだった。実情を知らない人々が、彼を境遇だけで憐れむのが理解できなかった。だが、便利だとは思った。

 叔父が焼香しながらまた泣いていた姿を見て、彼は初めて、やっぱりよかったと思った。








 いきがけのスーパーで買った花束が、走る度に揺れる。死ぬほど暑かった。汗がダラダラこぼれて、思わず舌打ちして太陽を睨んだら目が痛くなる。あっちこっちで水音や子供の走り回る声が聞こえて、夏だななんて思った。
 
「あー……遅れた!!」

 既に日は高い。普段ならばもう終わっているような時間帯だった。今朝色々と準備に手間取って約束の時間に遅れてしまったことに、もう一度舌打ちしたい気分になる。もうあの人は来てしまっているだろうか。ああやってしまった。滝のように流れる汗が体中に伝っていて気持ち悪かったけれど、それを拭う暇すら惜しい。

 走っているうちにようやく、毎年迷いそうになる迷路みたいな場所の入り口に立った。どこを見ても同じような光景が広がっていて、ここに来る人はよくさっさと自分の場所に行けるんだな、なんて思ったりもする。けど今はそんなことを悠長に思う暇なんてなくて。キョロキョロとあたりを見回し、似たような長方形の石と石の間を眺めていく。そうやっていて暫くたって、ようやくそこに、懐かしい背中をみつけた。

「叔父さん!!」

 急いで走り寄ると、あの笑顔で叔父さんは振り向いた。この炎天下の中、またスーツ姿。世間は休みなのに、叔父さんはちがうのだろうか。なんとなく、そういう訳じゃない気がする。気楽な格好で来れるような場所じゃないんだろう。
「やぁ、久しぶり」
 元気だった? と尋ねる叔父さんはやっぱりどこかこの空間にぴったりだった。胸がずくりとする。やっぱり、叔父さんのことが好きだ、と思う。
「もちろん元気! 叔父さん、毎年ありがとね。あと遅れてごめん!」
「いや、この日しか来れなくて、逆に申し訳ないよ……あ、炭酸大丈夫? 暑いかなと思って買ってきたんだけど」
「マジで!? せんきゅ! ちょうど飲みたかったんだー」
 コンビニの袋から差し出されたコーラはまだ微かに冷たくて、俺は喜んで受け取る。
 叔父さんは微笑んで俺がコーラを飲む様子を眺めていた。
「よかった、花はやっぱり幸弘くんが買ってくると思って、やめたんだ」
 俺が半分くらいを飲んでキャップを締めているとき、叔父さんはそう呟いた。
「俺も、叔父さんがきっと来てくれると思って線香とロウソクは買わなかったんだけど、正解だったね」
 ちらりと横目で確認すると、既に掃除も終わり、線香はあげられていた。けむいような甘いような不思議な匂いがしている。その線香は既に灰になった部分もあり、やはりそれなりの時間叔父さんがここに居たことを証明していた。
「ごめん叔父さん、一人で掃除させて……暑かったでしょ? 俺が来るの待っててくれても良かったのに……」
「折角早く着いたから……先に線香あげちゃっててごめんね」
「……まぁ、別に、いいけど」
 そんな言い方ずるい。叔父さんが眉を下げて申し訳なさそうに笑うから、こんな許すみたいな言い方するしかなかった。そして少し落ち着いたところで、そこに足を踏み入れて、買ってきた花を飾った。
 叔父さんは俺の後についてきて、じっと俺の目の前のそれを眺めている。何を考えているのか、背後の叔父さんの表情はわからない。俺は叔父さんが買ってきた線香に火をつけて、静かに目を閉じて手を合わせた。叔父さんも俺に倣って手を合わせたことが、雰囲気から解った。
 
 叔父さんが勘当されても家族を大切に思っているのは皮肉なことだと思う。叔父さんが想うほど、あれらは叔父さんを大切に思ってくれていなかった。
 叔父さんの人生は叔父さんのものだ。長男だからといって家を守る必要はない。だから、同性愛者だから縁談は受けられないと言ったぐらいで、あんなに軽蔑するような家族に嫌気が差すのは当然。その結果、あのバカな年寄りたちは簡単に長男を見捨て、婿養子を採った。だけれどそれも失敗に終わり、家は簡単に絶えた。
 家や血筋に固執する人たちがみんな死んで、俺や叔父さんみたいな人間が、それらの象徴みたいなお墓で手を合わせているのは、とても面白いことだと思った。墓の下で眠る俺達と血で繋がれた人たちは、どんな気持ちで俺達の祈りを受け止めているのだろうか。土の下で、あの憎しみのこもった目で俺達を睨み、呪っているのだろうか。それとも、もう好きにしろとでも言うように、笑っているのだろうか。まぁ、死人には人権なんか無いし、どうでもいいんだけど。
 
 
 しばらくしてから目を開けて、終わりを知らせるように俺は口を開いた。
「母さんが亡くなってから、もう三年だね」
「……そうだね。早い、と言っていいのかな」
 叔父さんは立ち上がって、スーツの裾を手で軽く払った。
「俺は、遅いと思うよ」
 俺もろうそくの火を消した。叔父さんはその様子をしばらく見て、そして少しだけ口ごもってから言った。
「おばあさまは、来れないって?」
「さぁ? しばらく会ってないから、わかんない」
 一応は同居しているけれど、あの広い家ではほとんど顔を合わせることなどない。向こうがそれを望んでいるのだから、俺はそれに従っているだけだけれど、叔父さんは叔父さんらしい反応をしてみせた。
「だめだよ、もう……おばあさまはご高齢なんだから……ちゃんと見てあげててね? 俺の代わりにさ」
 俺が行ったらきっと気に障るだろうから、と呟いて、叔父さんは線香や掃除道具を回収しはじめた。
「……大丈夫だって。昨日はお酒を飲んでたみたいだし、俺が起きる頃まで全然起きて来なかったみたいだから」
「相変わらずだね、あの人は……今日は暑いけど、大丈夫かなぁ。おばあさま、クーラー嫌いだったよね?」
「大丈夫じゃない? 確かにクーラーとかは嫌いみたいでつけないけど、いつもベッドの脇に水差し置いてるし、窓も開けてるし」
 俺はそう答えながら、苦笑する叔父さんの隣に並んでみた。もう身長はそれほど変わらない。叔父さんはそんな俺を見てどうしたの? とでもいうように首をかしげて微笑んだ。あーあ。可愛いなあ。カレシ居るのかなぁ。でも俺にコーラを飲ませていた時に、上下する喉のあたりを熱のこもった目で見ていた叔父さんの様子を思って、俺は安心するのだ。少しは好みの男になれただろうか。俺の顔を母さんにそっくりなんだとか言ったくせに、解りやすい叔父さんが大好きだった。
 
「ねえ叔父さん、この後暇? せっかくだしどっか行かない? 俺、なんか冷たいもん食べたいんだよね!」
 出来るだけ無邪気を装いながら、叔父さんの腕を引いてみる。叔父さんは少しだけ驚いたみたいだけど、すぐに笑って頷いた。近くのファミレスに行こうか、なんてまるで普通の家族みたいだ。


「わーすごい! かき氷、おいしそうだね」
 冷房が効いて涼しいファミレスで二人で座り、運ばれてきたかき氷を見て笑った叔父さんを見て、俺も同じように笑う。そして机の上においてあった小さな長方形のバスケットを引き寄せると、その中には銀色に光るスプーンやフォーク、そして――ナイフがある。
 俺は叔父さんに解らないように小さく笑って、とりあえず今一番必要なものを取り出した。スプーンにはいつもどおりの、いや、いつもより少し機嫌がよさそうな俺が映っている。フォークにもナイフにも、同じように、俺が映っている。三年前のあの日と同じように、今朝と同じように。

 三年前のある夏の日のことだった。俺も叔父さんに倣って果物を買っていった。そのときは、俺はちゃんと果物ナイフを持っていった。だけれど俺はそれを“うっかり”忘れてしまった。そしたら母さんは、それをちゃんと使ってくれた。叔父さんの気が利かない訳なんかなかったことは、通いだして一年目で気づいた。母さんは基本寝てる。だけれど起きた時、錯乱していたあの人が望んでいたことはひとつだった。俺は、それを叶えてあげただけで。
 そして、それは俺が過去に犯した罪であるけれど、もう一つの罪は、今、進行している。今頃、この真夏の太陽が、火葬場のようにあの死体を焼いているだろう。歳だっていうのにお酒を飲んだまま寝ているあの人はよく、クーラーもつけずに深く深く眠っている。だから俺はいつか死ぬんじゃないかな、と思ってた。だってそれはとってもよくある話で、今ニュースを賑わす話題と言ったら、これぐらいしかない。だからそれをちょっと早めるために、あの人のベッドの脇にある水差しの水を全部捨てて、部屋の窓を閉めただけ。

 俺は人を、一人殺して、今、もう一人殺そうとしている。だけれど、その様子を一回も俺はこの目で見たことがない。だからなのか、目を瞑ると、想像だけの光景が溢れてくる。それは、手首を果物ナイフでザクザクと切って悶え苦しみながらもゲラゲラ笑う母さんであったり、意識がぼんやりとした状態で目覚めたばあさんの、ベッドの脇の水差しを手にとり、その中身が空っぽだと知って絶望した顔であったりした。

 きっと、今朝水差しの水を捨てるときの流し台にも、あの時病室に置いていった果物ナイフにも、こんないつもどおりの姿の俺が映っていたんだろう。誰も知らない、本当の俺の姿だ。ああ、あの時、りんごを食べながら、俺は思った。目の前の女より、叔父さんの方が昔の母さんにそっくり。なら、目の前のこれはいらない。大好き。大好き。

向かいでは叔父さんが楽しそうに、運ばれてきたかき氷を食べている。嬉しくなって、俺もすぐに目の前の真っ赤に染まった氷にスプーンを突き刺して何回も何回も口の中に運んでいった。どんどんその赤い氷は溶けていき、俺の口の中に消えていく。そして目の前には空っぽの器だけが残った。

 さて今日は夜までどこかで時間を潰して、暫く経ったら家に帰ろう。もし死んでなかったら、夏が来るたびに繰り返せばいいんだ。

 俺はかき氷を頬張りながら、しみじみと思った。やっぱり夏は最高だ。人は簡単に殺せるし、お墓参りで叔父さんに逢える。というか、人を殺しても葬式で叔父さんに会えるんだからとってもお得。もちろん、かき氷も美味しいしね!



診断メーカーより「親に捨てられた不良と笑顔が儚い営業マンによる夏が恋しくなる物語」でしたが途中でお題放棄してしまいました……

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