何一つ遊びじゃないのに



「――血の、匂いがする」

 俺が部屋に入った途端、その男はそう言った。寝入っていたようで、掠れた声だった。時刻は0時を回り、電気も付けずに薄暗い室内。だから、色も何も分からないだろうに、相も変わらず耳も鼻も利くようだ。流石は闇社会を生きてきただけのことはある――そんな風にどこか間抜けな感心をしながら、俺はバッグを置いて室内の電気をつけた。

「寝ていたのか?」


「うーん……さっきぐらいから」

 男は眠そうに目をこすり、小さく咳払いした後に素直に返答する。
 
「そうか――誰の血か分かるか」

 そこまで解れば犬並だなと思いながら問いかけると、男は横になっていたソファから上体を起こし、飄々とした顔で俺を見た。ベッドで寝ていればいいのに、と思うが、以前こう提案したら不機嫌な顔をされたので何も言わないでおく。なんでも、誰もいないベッドに寝るほど気分の悪いものはないそうだ。風邪を引くとうるさく言ったからか、一応毛布を被っている姿は生活感が滲み出ている。
 
「いいや? そこまでは解んないけど……予測するに、アンタの血なのかな」

 男は俺から視線を外し、毛布をパサリと畳みながら返した。その姿は先程の通り、とても家庭的で日常的な光景である。それと相反して会話は、おおよそ一般的という形容詞からは程遠い。けれどもいつも通りではある。俺は短く問い返した。
 
「理由は」
「返り血を浴びるようなヘマをやる奴なら、とっくの昔に見限ってる」
「……自分が怪我をするほうがヘマじゃないのか?」


 俺はおそらく怪訝そうな表情でも浮かべたのだろう。男は自分の茶髪を右手で軽く弄りながら笑った。
 
「ははっ! まぁね、一般的な感覚からするとそうかもね。でも俺が言いたいのはそういうことじゃなくてさ。俺はアンタの能力に対しては尊敬の念すら抱いている。アンタは、素晴らしく有能な警察官だと思うよ? そんなアンタが、犯人に血を流させるなんて失態を演じる訳がない。アンタなら――人を傷つけるより自分が傷ついた方がマシだ、なぁんて思ってそうだしね」

「……そう、かもな」
 確かに、そうかもしれない。犯人が傷つくより、自分が傷ついた方がマシだと考える……無意識のうちにそう思って行動していることは、否定出来ない。俺がそう過去の自分の行動について思案していたら、男は不意に声をかけてくる。
 
「ねぇ、手当しようか?」

 にこり、と首をかしげて笑うその姿に、なんだか嫌な予感がした。
「……これぐらい、自分で出来る」

 そう突っぱねると、男は何を誤解したのか、ますます笑みを深める。それは不愉快で、嫌な感じの笑い方だった。
 
「今更だなぁ」
「何がだ?」


 何を言っているか分からず首を傾げると、男は口の端をくぃと引き上げる。笑顔にしては凶悪な印象を与えるそれは、見慣れたものではあるがあまり気分のいいものではない。俺がそれに嫌な顔をしたのを見た男は、口を開く。

「指定暴力団のブレーンとしてナンバー2まで上り詰めた俺を、アンタは自宅のセキュリティばっちりで盗聴される恐れもない素晴らしいマンションの一室に住まわせ、俺を囲ってるってのにさぁ……アンタが仕事で居ない合間に、どっかの暴力団との抗争や警察の目をうまくかいくぐって悪事を働くための戦略練ってる俺をさ――マル暴のクソどもの総指揮官さまが囲ってるなんて……面白いよね」

 最後だけ呟くように言った男に対して、またか、とまず最初に俺はそう思い、次にどうしようかと悩んだ。
 
 いつもいつも、俺を困らせるのが好きらしいこいつは、たまにこの話題を――タブーを持ち出す。その気性に対しては少し呆れたような気すら覚えるが、確かにそれは効果絶大なのだから、困る。
 
 
 そう、それは事実なのだ。
 
 
 俺が今していることは、今目を瞑っていることは、俺のしている仕事を大層侮辱するものに違いない。だけれど、そんな崇高な仕事をしている俺自身は低級な人間だった。俺はこの男を、すきになるほど低俗だった。
 そして、今俺の目の前で俺の反応を逃すまいと見つめているこの男のしていることは、酷く悪辣で下劣で最低なものなのに、この男はその行為に似合わない純粋な人間だった。こいつは、すきという感情を持つほど善良だった。

 俺は、その酷い矛盾が胸につかえて、何も言えない。
 そして多分、目の前の男もこの矛盾への解答を求めて彷徨っている。まるで泣いて恋人を探す哀れな亡霊のように、母親からの無償の愛を求めて地を這う可愛らしい赤子のように、それは心を揺さぶる。それを、俺は放っておけない。いつも、いつも。


「USB一本だよ」
 男はただ無表情で俺を見上げた。
「? ……何がだ」
「俺が今、アンタがバッグに入れてるUSB一本を取って、そのデータを俺の部下に送れば、全てお仕舞いなのさ」
「……お前は、そんなことはしない」
「『そんなこと』? 一体、俺のしていることで『そんなこと』と表現されない仕事がいくつあるんだろうね」

 早口でそう言い切り、肩を揺らしてくつくつと笑い始めた男に、俺は苛立ちを隠すこともできずに問うた。
 
「……お前は、俺を怒らせたいのか?」
「いいや。俺は手当をしたいんだ。ね、今更じゃん? 俺に怪我の手当をさせたところで、アンタの罪はなんにも変わらないんだからさ。どうして今更遠慮するの?」
「……確かに、そうだが」
「じゃあいいでしょ。はぁい、怪我したところを先生に見せてね〜」
「何だそのテンションは……」

 俺は若干呆れながら、そして少しだけホッとしながら男とは向かいのソファに座る。空気が普段通りになって、安心するなんて情けない。俺があいつに助けられてどうする。俺は、あいつを助けたいのに。そのくせ、この男は自分の不安をこんな形でしか表現できないのだから、まったくもって救えない。そして、俺はもっと救われない。

「遠い。これじゃそこまで行かなきゃいけないじゃん」

 唇を尖らせた男がそう言ったので、ハッと我に返った。俺はそういえばと、ソファの横の棚においていた救急キットを取り出す。最近掃除するときに、さほど必要ないと思ってこんな場所に追いやったんだった、あいつが。
 
「……手当はいい」
「どうして。だから、もう今更なんだから、別にヤクザに自分の傷の手当させたって変わりないって言ったじゃないか! それ以外に何か理由があるの」

 拗ねたように言う男に、ああ結局心配していただけなのかと肩の力が抜けた。それに対して、いちいちタブーに近い話題を持ち出し、反応を見るために揺さぶるのだから質が悪い。子供の心に大人の手管。面倒くさいが、こんなの相手にできるのは、きっと俺しか居ない。

「……言わない」
「えっ! ちょなにそれ! ひっどくない!? いま完全に論破したじゃん。はい論破の流れじゃん! たった四文字でひっくり返せるかゴラァ! ヤクザなめとんのかわれぇ!」
「素が出てるぞ」
「ハッ……ともかく、サせてよ」

 いきり立って反駁してきた男に対して冷静にツッコミを入れると、こいつはバツの悪そうな態度で俺を見つめながら冗談めかす。

「おいその言い方だと誤解を生む」
「生まれるように言ってるもの」
「……ったく、単なる能力としての問題だ。お前より――」


バサリとジャケットを脱ぐ、と。


「俺の方が得意だろう」


 そこには、想像していたよりも血がほとんどついていないシャツと、そのシャツの不自然な穴の下の傷口が、非日常の匂いを漂わせていた。

「わぁ、痛そう。――コレどうしたの? いや冗談抜きに。もしかして警察ってそんなに危険な仕事なの? ヤクザと変わんないね」

 男は興味が湧いたのか、わざわざ俺の座るソファまで近寄り、床に膝をついて、俺の腹部の怪我にぐいっと顔を近づける。さっきは遠いと文句を言っていたのに、結局心配で見に来るあたりかわいい性格をしているな、と思う。絶対に口にはしないけれども。
 俺はため息をひとつ漏らして回答した。
 
「……刺された。と言ってもそんなに深い傷じゃない。すこし切れただけだ。証拠に、もう血も止まってるしそんなに痛くない。お前と軽口叩ける程度には」
「ふぅん。……誰に」


 俺の言葉に嘘はないと思ったのか、男は俺に机の上のティッシュを手渡しながら尋ねた。
 
「……俺はてっきり、お前の指示だと思っていたんだが」
「えぇ? なんでぇ? あーもしかして……うわ、痛そう」

 傷口を軽く検分した後に、その下にティッシュを当てながら消毒薬をぶしゅっと吹きかける。その様子をしかめっ面で見ていた男は、俺に新しくティッシュを渡しながら言葉を続けた。
 
 
「もしかして、うちんとこの?」
 ジクジクという疼痛に耐えながら、受け取ったティッシュで消毒薬や血を拭う。そのまま俺は視線を傷から逸らさずに返した。今、男の瞳はかすかに罪悪感で揺らいでいるかもしれないし、面白がって細められているのかもしれない。けれども、どちらにせよ俺が見たい顔だとは到底思えなかった。
 
 
「見たことある顔だったな。前、とりあえず公務執行妨害で引っ張ろうとして、すんでのところで逃げられたヤツだ。名前は確か――」

 そう言って、おそらく下手人であろう構成員の名前を告げると、男は表情を変えずに返答する。

「ああ。分かった。あーね、はいはい。そういえば、そんな計画があるって話聞いたわ」


 ガーゼを傷口に宛がって、テープで固定する。ハサミ、と言う前にハサミがすっと伸びてきて、まったくもってよく気がつく男だ。ヤクザなんかにならないで、普通に生活すれば良いのに、と思う。だけれど、そしたら俺とこいつは出逢えなかっただろう。そう思うと傷口には起因しない痛みがちくりと胸を突き刺す。

「……痛い?」
「…………まぁ、それなりには」

 顔を顰めたのがわかったのだろう、男は不安げな表情で俺の顔を覗きこみ、傷と俺を交互に見やる。違うのだと、違うことが痛くて辛いのだと、どの口が言えようか。きっと俺よりはるかに痛みを抱えた心臓を持った男に、弱音を吐けるほど弱く在れないのが俺だった。
 
 
「おい、ヤクザだろ。見慣れてるくせになに心配してんだ」

 油断している男の鼻を摘むと、相手はむくれながら返答する。

「善良な一般市民に何をするんだよ、暴力警察官」
「『善良な一般市民』か……」

 俺の資料では勿論、この眼前の男は指定暴力団の構成員の中でも、要注意人物としてリストアップされている。それどころか、ここ何年間かの暴力団がらみの犯罪の検挙数が下がったのは、こいつのせいだとまで言われている。今、普通の人なら疑問に思ったかもしれない。検挙数が下がるのは、本来なら喜ばしいことじゃないかと。
 しかし、実際は逆だ。検挙数が下がるということはつまり、グレーゾーンの際どい商売や司法の目を潜り抜けた犯罪まがいの行為が、それだけ横行しているということを示す。証拠に、こいつのいる団体は、検挙数とは反比例的に勢力を伸ばしつつあり、俺たちはそれを食い止めるので精一杯、という状況が続いている。それでも、俺がこの役目に着任してから、少しずつ条例などでの対策が整い、拮抗しつつある。それでも、未だに、だ。
 無論簡単に出来るような所業――『そんなこと』ではない。参謀であるこいつの異様なまでの頭脳が、それを可能にしているのだろう。


「そう、だよ」
 男は少しだけ俯いて、小さく言葉を吐いた。
「……詭弁だな」
「たとえ詭弁でも、事実だよ。また新しく暴力団対策の条例でも作ればいいよ。ただ、イタチごっこで終わるだけ」
「……そうだろうな」

パン、と男は突然、両の手を打った。


「そして、こんな【ごっこ遊び】も、お仕舞いなんだよ」



 目の前の男の、薄く笑った顔に、どくん、と心臓が跳ねた。
 それは、隠していた悪戯が親にバレた時の心情に、少し似ていたかもしれないと思う。

(あぁ、ここらで、潮時なのか)



 多分、気付いている。
 この男は、気付いているからこそ、こんなことを言っているに違いない、と俺は確信した。
 俺が相手に揺さぶりを掛けていたように思えて、相手の方が俺を揺さぶっていたのかもしれない。




 おそらく俺はこの後、刺されたことを本部に報告する。身内で、しかも俺のような要人に危害が加えられたことを知った警察は、警察としての威信をかけて調査に乗り出すだろう。そしてこのままなら多分、俺はこの傷をつけた男のことも報告する。バッグに入れた、血で赤く染まった防刃ベストの破損具合から、確実に殺意は認定されるだろう。そして、そこから弾き出される結果はただひとつ。


 取締は激化する。
 
 
 これがこの男の指示したことかどうかは……結局こいつの反応から見るに解らないけれども、構成員がしたことならば、それが故意であれ勝手な暴走であれ関係ない。正直、夜道で突然刺された上、ちらとしか確認できなかったが、この傷をつけた男には確かに見覚えがあった。だが、それが本当に合っていたかは解らない。解らないから――俺は、"確かめた"。
 
「取締は、確かに厳しくなるだろう。イタチごっこなのはこっちだって重々承知。潰す気で、掛かるだろう――お前は、どう足掻いても捕まる」


 男は、だろうねと言った表情で笑っている。
 
 
 
「だから――そう、かもな。もう、お仕舞いかもしれないな」

 言葉の上に【ごっこ遊び】と【お前】、二つの意味を匂わせると、思った以上にその言葉は俺を揺さぶった。俺のほうが自分の言葉にショックをうけてどうする。

「あーあ。やっぱりね」
 男は気にしていないように、否――まるで、何か覚悟でもしているように笑って、俺の傷口の上のガーゼに手を当てた。ごめんね、と言外に言われた気がした。この、俺についたこのわずか三センチにも満たない傷口が、眼前の男を撃ちぬくというのに、男は俺を労るように、ぬくもりを伝えるように、そこを撫でさする。止めて欲しかった。つらくなるから。


(……どうすれば、いいんだろうな)

 今、オレの目の前にひとつの銃があるとする。撃鉄は起こされ、引き金を引けば弾が飛び撃ちぬくだろう。もしかしたら、うまくこの男を避けて、この男の背後だけを撃ち抜けるかもしれない。だが、きっとこの男は自ら被弾しようとする。背後ごと、死にたがる。
 さて、ここで問題がひとつ。俺は、この引き金を引いてしまっていいのか。俺がこの手で、目の前の男を背後ごと撃ちぬくのか? 果たして、それでこの男は救われるのか?


――今、この傷を、隠し通せば、きっと。



「俺は、本来なら『ここには居ないはず』の人間だ」

 また、目の前の男の言葉で我に返った。今日は、思考を飛ばしがちだ。俺も、もしかしたら動揺しているのだろうか。
 そのとき、はたと気づいた。男は、もしかしたら気づいていたのかもしれない。俺がここに入った瞬間、俺が、血の匂いをさせてきた瞬間。男は全て気づいて、敢えて俺を揺さぶって、反応を見て試していたのかもしれない。全て妄想めいた予想だけれど、間違っているとは思えない。
 まぁこれも、男がこの計画の立案者でないということを前提としている時点で、俺にとって都合のいいこじつけだが。
 
「……確かに、お前は本来ここに居る人間じゃない。それが?」
「だから、アンタの決定に俺は口を出さない。今、アンタは迷っているんだろう。アンタがアンタとしての矜持を優先しようが、何を優先しようが、俺にそれを変える権利はない。アンタに、影響を及ぼす権利がない。俺は……アンタの人生を、コレ以上、変えたくない」

「……つまり、俺がどうするかは、俺が決めるべきだってことか」
「それも、俺の与り知らぬところだ」

 時間はそれほどない。本来なら、俺は今すぐにでも本部に連絡すべきなのだから。今、手当も終わり、俺は……どうしたら。
 
 
 目の前にある引き金に、手を掛けねばならないのか。



「はい、バッグ」
 いつの間に取りに行っていたのだろうか。男が、俺が不自然に部屋の入口においたバッグを手渡した。多分この中に大きく穴の空いた防刃ベストが入っていることも知っているのだろう。コレがなければ死んでいた俺がいた事も知っているのだろう。憐れんだような表情で俺を見る男は、何も言わずに向かいのソファに戻った。
 そのバッグから、俺はスマートフォンを取り出す。電源はついている。誰からのメールも来ていない。暗証番号のロックを解除して、俺は、暫く液晶を見つめた。
 
 時刻は1時。既にあれから一時間以上は経っている。あと一時間もすれば、もう言い訳が出来なくなるだろう。俺が、俺として生きていくためには。
 
(……それってどういうことなんだろうな)

 ふとそんなことを思った。警察官としての倫理観を持って、警察官として当たり前のことをして、そして当たり前に犯人を捕縛して生きていくことなんだろうか。今までそうして生きてきた。イレギュラーはひとつ。目の前でぼんやりと座っている。俺は、俺として生きるために、こいつを、こいつとの生活に終止符を、“撃”たなければならないのか。
 
 なんだか、それは違う気がした。ふと下を向くと、液晶画面は暗く、ライトを消している。とっくの昔に光は失われていたのだろう。暗いというよりも、真っ黒になった画面には、情けない自分の顔が映っていた。
 
 
「今更、なんだよな」
 ぽつりとつぶやいて、スマートフォンにまたロックを掛けてからバッグにしまった。
「……え?」
「さっき、お前が言ったじゃないか。今更なんだよ。俺はお前が言うとおり、相手が傷つくなら自分が傷ついた方がマシだなんて考える甘ちゃんだ。そして、今俺は、お前を失ってしまう――この危ういごっこ遊びが終わってしまうなら、自分の矜持が損なわれる方が、マシだな、なんて思ってる」
 男は、あっけにとられたように俺をぽかんと見つめている。俺は、少しだけ笑いそうになって、そのまま遠慮せず少し笑った。笑いながら、続けた。

「……俺は、何もしない。勿論、刺されたことは言う――というか一応、付近の警察には刃物を持った通り魔がいて、突然歩いていたら切りつけられたとだけは伝えてある。だが、あの構成員だとは言わない。多分、俺が本当に今ここにお前が居なくて、お前からの確証が持てなかったとしたら、この情報は言わない。似ている、程度で現場を混乱させたくないから」

「……だとしても、アンタが刺されたんだから、他の人達は怪しむだろう」
「なら、勝手に怪しめばいい。俺がなんで、お前のしわざだと思ったと思う?」
 問いかけると、男は首を横に振った。
「……解らない」
「怪しむには、この行動はお粗末すぎる。どうみても単独行動だったし、組織だった犯行じゃなかった。だから最初は俺すらも――単なる通り魔的殺人未遂だと思った。まぁ、俺みたいな男を狙う時点で、何かがおかしいとは思うが。ただ、確信にはつながらない」

 だからこそ俺はこの男から情報を聞き出そうとしたのだが、結局こうなるのなら意味がなかったかもしれない。
 男は無愛想に言い返した。
 
「実際は違う。それに見せかけただけで、もうあの男は見つからない。簡単な通り魔の犯人とは違うから。今頃何処かへ逃げおおせているだろう」
「そう、見せかけただけだと、お前の話を聞いてから思った」
「……つまり、他の人達もそう考えることに、賭けるって訳? 随分と運頼みだね」
 男は俺をジッと見据えた。俺も負けじと見つめ返して、言った。
「お前が、指示したんだな」

 男は観念したように目を伏せた。
「…………かもね」
「どうしてだ?」
 静かに問いかけると、男は口を震わせながら答えた。
「前々から、本気で"おねがい"してたんだよ。『善良な一般市民』に、なりたくってさ……辞めたいなら、手柄を示せと――殺せと……まさか、指定された人が、アンタだとは思わなかったよ」
 ぎゅっと握りしめた手が痛々しくて、俺は思わず立ち上がり、男を抱きしめた。少し傷が痛いが、かまってられなかった。
「ちょっとだけ、ね……アンタが帰ってくるまで、泣いてた。だからほら、声とか掠れてて、実はヒヤヒヤしてたんだよね。死なないでとも思ったけど、死んでくれたらとも思ったし。ホント最低だよ俺。結局意味がないと思わない? アンタと一緒に過ごすために、俺は、普通になりたいって思ってたはずだったのに、結局我が身可愛さもあったんだよ。このままじゃろくに死ねないなぁとか、やっぱり足は洗いたいなぁとか、そんな目先の欲に駆られて、アンタが居ない未来を、生きていこうとして……だけど……、死んでなくって、傷も浅くて、ほんとに……よかった……」

 俺は、俺として正しいことをしていきたい。警察官とかいう常識に当て嵌めてではなくて、俺が、本当に正しいと思ったことをしたい。それが、俺が俺として生きていくことでもあり、あいつが望んだ、自分で決めた自分の選択、のように思えた。

「俺の選択は、このままもう少し、このごっこ遊びを続行、だ」
「……いつまで」
「お前が、俺と居てもおかしくなくなるまで」
 そう遠くない未来に、それがあればいいと思う。未だに手段も分からず、どうしたらいいか分からないけれど。でも確かに、この男はまだ自らの手を汚していないだろう。精々幇助罪が関の山。ならば、まだいくらでもしようがある。そう、思った。初めて、そう思えた。救いたいじゃなくて、救えると思った。
 
「本当は、いつ辞めてもいいって言われてたんだ最初。組からはね」
「……嘘、だな」
 わかりやすい、甘言だ。どうせこの男だって解っていた。俺にとってこいつがイレギュラーなように、こいつにとって俺もイレギュラーなのだろう。きっと、俺が居なければ男は辞めようなんて思わない。そういう男だと解っていて、好きになったのだから。そういう男を、こんな風に変えられて良かったと思ったのだから。
「……うん、嘘でした。でもいいよ。生きててよかった。大好き、愛してる」
 少しだけ微笑んで、男は顔をあげ俺を見やり、背中に手を回した。

 その嘘は、遠く、耳の奥で祈りのように聞こえ、柔らかい感触が唇に当たる。それと同時に首元に落ちた温かい滴りを、俺はただ拭ってあげるしかできなかった。




診断メーカーより「偽悪的なやのつく自由業の人と無駄にお節介で有能な警察官が泣けるほど愛し愛される話」でした

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