「はいどうぞお疲れ様です、どちらまで」
「あーっと……●●駅ってわかります?」
「えーはい。そちらまで?」
「はい、お願いします」

 テンプレどおりの会話にももう慣れた、深夜一時の繁華街。終電も終わった頃だった。ガチャリと後部座席に乗り込んだ客をちらりと見て、オレは車を発進させる。
 今日オレを拾ったのは、オレと同い年くらいの若い男だった。ここらでタクシーを拾うような連中は大抵呑んでいるはずなのだが、受け答えはしっかりしている。オレは面倒くさくない客を捕まえられて今日はツイてる、なんてのんきなことを思っていた。

「運転手サン若いですね〜オレと同い年くらいですか?」
「27。お客さんは?」
「オレは26! いや〜なんとなくタクシーの運転手っておじさんばっかのイメージあったけど、お兄さんみたいに若いひとも居るんですねぇ」
「まぁ、この仕事は始めたばっかりなんだけどね……」
「へぇ、そうなんですか――」

そんな、深夜のよくある話。



too late at night



「お客さん、駅前でいいの? 家まで?」
 ●●駅は結構この街からは遠いところにある。多分この客の最寄り駅なんだろう。というかオレの自宅もそこらへんにあるので、もしかしたらご近所サンなのかもしれない。
そんなことを考えながら車を走らせていると少しずつ繁華街から離れ、喧騒は遠ざかる。
「駅前で」
 相手はそう答えて、再び口を閉ざす。車内には沈黙が流れて、走行音ばかりが静けさを強調した。
「……」
「……」


 そんな沈黙が暫く続いて、俺は少しの気まずさを覚えながらも前を見据えた。暗い道路と、変わっていく景色がそこには映し出されている。客を目的地へと運ぶ。それだけが俺の仕事だったら、よかったのに。

(あー……これってタクシーの運転手的にヤバイのかね)

 でも仕方ない。はぁ、と溜息をつきそうになって慌てて飲み込んだ。

 オレは、こんな仕事をしている癖に、口下手だったりする。特に相手の懐に入ったり入られたりするようなことが苦手だった。
 高校時代も大学時代も、友人と呼べるのは本当に一握り。共通の趣味があるならまだしも、クラスメートの中には話したことの無い奴も大勢いたような気がする。親友と呼べるような人間は、一人もいない。寂しい学生生活だったと思う。いつだったか、一線を引いていると言われたこともあった。小さい頃はそうでもなかった気がするのだが……


「――運転手サン」
「! ……なにか?」
 突然沈黙が破られて、オレはハッと我に返った。突然の呼びかけを怪訝に思い返事をすれば、相手は普通の声色でおかしなことを言った。


「なんか暇だからオレの話聞いてもらっていいですか?」


 バックミラー越しに相手の顔を見ようとするが、もう街の明るさとは程遠いこの道では、薄暗くて見えない。ただ、なんとなく相手は無表情のような気がした。

「嫌ならいいんですけど」
 しかしそう感じたのは一瞬で、やはり客は普通の声色で優しく提案しているだけのように思える。
(話、か……)
 面白い返答ができるとも思えないが、このまま沈黙であるよりかは幾分かマシだろう。そう思いその申し出を軽く頷くことで受け入れると、背後で小さく笑ったような声がして、その話は始まった。

「実はオレ、最近●●駅付近に越してきたんですよね。まぁ最近っつっても、ほんの三年前くらいですかね」
「へぇ……オレも、実はそこら辺にすんでるんだよ」
「はは、知ってますよ」

 ……は?

 あまりにもナチュラルに言うものだから、オレは思わず右折しなければいけない道を通り過ぎそうになって急いでハンドルを切る。あーコレ後で会社に苦情とか来なけりゃいいけど……って全然周囲に車ないし大丈夫か。そこまで落ち着いて考えて、後ろの客をミラー越しに見ると、今は光が差し込んで、何の非もないようなあっけらかんとした顔をしているのがわかった。

「……もしかしたらご近所さんですか?」
 先ほどの予想を述べれば後ろの客はくくっと笑った。突然敬語になったのが、面白かったのかも知れない。
「まぁ、それはおいおい……で、実はちっさいころもそこに住んでてですね……えーっと、小学生の頃だったかなぁ」
「へぇ」
「小五のときに引っ越さなくちゃならなくなりまして、最近仕事の都合でまた戻ってきたんですよねぇ」

 オレは引越しというものを経験したこともないし、今も自宅に住んでいるので分からないが、その声がすこし悲しげだったので、なんとなく別れがたい友人でもいたのかなと思った。

「引越しですか。まぁ、仕方ないよねぇ」
「はい、そうは思ってたんですけど、オレ、そのときすっごい仲のいい友人がいたんです」

 予想どおりだな。オレはウィンカーを上げて信号を待つ。カチ、カチ、という独特の音が車内に響いた。あたりは街灯も少なく、ますます車内は薄暗い。


「っていうか、今考えたらそれが初恋だったというか」
「……はぁ、女の子だったんですか?」

 チラ、と先ほど繁華街で見たときの客の顔を思い出そうとするも、ぼんやりとしか思い出せない。ただ、それなりに綺麗な身なりをしていたような気がした。だからミラーでちらりと確認すれば、オレとは正反対のさわやか系イケメンだったもんだから。

「お客さんなら、今その子にあったら簡単に落とせるでしょう、はは」
「……本当にそう思いますか?」

 信号が変わって左折。すると角度が変わって、街灯の光が車内をよりいっそう明るく照らした。バックミラー越しの客の顔はオレの思った通りなかなかに整っていて、自信を持って返答する。

「ええ、そう思いますよ」
「……そう」

 客は何故かふと表情を曇らせたかと思うと、街灯が遠ざかりまた車内は暗闇に沈み、その顔も俺にはわからなくなる。少しの沈黙がまた俺達を包んだけれど、客はそれを打ち払うかのように話を続けた。

「で、最近その越してきた●●駅の前で、その子に偶然会ったんですよね」
「おお! 声掛けたんですか?」

 客が首を横に振るのが見えた。

「いえ、掛けられなかったんですよ。多分……向こうはオレのことなんか覚えてないんだろうなぁって思ったし、全然意識もしてくれちゃいなかったと思ったから。でもこっそり尾けて家が変わってないのだけ確認しちゃいましたけど!」
「ストーカーじゃないですか!」

 向こうが笑いながら言うものだから、オレも笑いながら返答した。
 実際、その行為は多分気持ち悪い、という部類に入るような気がしたけれど、この人物の顔や格好からは想像もできないその話は、俺にはひどく現実味のないもののように思える。だけれど、

「なんかそれ以来、ぼーっとあの頃のことを思い出すんですよね。オレが転校するっていったら、ボロボロ泣きだしてオレ以外の友達なんかいらない! なーんて可愛いこといってくれたこととか」
「……いい話ですね」


 朗らかに話す客に相槌を打ちながら、オレは何故だか胸騒ぎがしていた。

(……何かが、おかしい)


 信号が赤く光って、オレはキュッと車を停止させる。フロントガラスに赤い光が反射していた。そのまま視線を下げると、メーターが視界に入る。


(……もう、結構な値段になってるな)


 当たり前だ。もう一時間弱はタクシーを走らせている。深夜の交通量の少ない中での一時間。それなりの距離になっている筈だ。
 普通、この年代の男性なら、おそらくカプセルホテルやらネカフェで一晩過ごしたほうがタクシー代より安く済むんじゃないんだろうか。オレ個人としては商売上がったりなので勿論こういう客は嬉しいが。明日は休日、急いで家に帰らなければならないならまだしも、終電を逃すようなこの時間帯にあの場所に居たのなら、その可能性は低いのではなかろうか。

 そしてもう一つ、この客は全くといっていいほど酔っていない。オレは毎日のようにあの時間帯にあの繁華街にいるのだが、酒を飲んでない客など一人も出会ったことはない。 しかし、今この後ろにいるこの客は流暢に話をし、その話に論理の破綻は見受けられない。全くの素面と思われた。


 何かが、何かがおかしい。嫌な予感が胸を巣食いだした。


「……信号、青ですよ。――どうかしました?」
「あ、いえ、すみませんなんでも……で、その後はもう会ってないんですか?」

 そんな小説じみた考えに浸っていたせいで、目の前の信号が青になったのに気づいてなかった。急いで発進させて、オレは話の続きを催促した。

「そうですね、まぁ、遠くから見かけることは沢山ありましたけれど。声を掛けたことはありませんでした。やっぱり勇気が出なくて。だからオレは、『彼』が約束を果たしているのかを調べることにしました」

 客は、朗々と続けた。

「……『彼』?」
「『彼』は、オレのためにこう言っていたんです。『ケイタ以外の友達なんかいらない。ケイタがいなくなるなら、ケイタ以外の友達なんか作らない!オレが一人ぼっちでずうっと過ごしてもいいの?ねぇ』――ああ、今でも一字一句違わず覚えています」



 オレはハンドルを握りしめながら、後ろの客の雰囲気が変わったのを感じた。
 その話は止めなければならない気がしたが、早口でまくし立てる客を、俺は為す術もなく呆然と見守るしかなかった。
 何か、何かがおかしい気がした。


「オレは答えました。『じゃあオレがいっぱい友達作って、ヒロのところに絶対に戻ってくるから。友達の友達ならきっとすぐに友達になれるだろうから、それまでは寂しいかもしれないけれど、ほんの少しだけ我慢してて。そしたらオレも、オレの友達ともみーんなで仲良くなれるだろうから』」


 メーターが上がるのを知らせる電子音が鳴って、それを見計らったかのように客はまた口を開いた。


「『約束だからね。絶対に約束だからね。破ったり“忘れたり”したら、絶対に許さないからね』――約束は、破ってなかったんだね。でも、忘れてた。でもオレはずっとヒロを覚えてたし見てたよ。ヒロって本当に友達を作ってくれてなかったんだね。小学校のときはあんなにみんなの人気者だったのに。噂できいたよ。オレが転校してから火が消えたみたいに元気がなくなったんだってね。中学も高校も大学も人が変わったみたいだってみんな言ってたよ。だから、オレもちゃんと約束守ったよ。あの頃は全然人付き合いも苦手で、ヒロとばっかり遊んでたけど、今はほら、Facebookみる? 友達いっぱいなんだ。大学でもサークルでいっぱい友達できて、今も会社の人と仲いいんだよ。今日は、一人だけど――」



「……あんた、なんなんだ」



◆ ◆ ◆


「“ケイタ”だよ」

 何度もみたミラー越しの顔が、初めて笑った。爽やかで人当たりのいい、だけれどもどこか恐ろしい笑顔だった。

「仕方ないよね、結構見た目変わっちゃったから……あの頃のオレは本当に暗くって、友だちも少なかったもんね。仕方ない仕方ない。でも今は違う。今のオレには友達がいっぱいいるから、色々と情報も簡単に集めれる。ヒロが今このタクシー会社で働いているっていうのも知ってたし、駅前からずっと越してないってのも知ってたし、ここひと月はあの街のあの時間帯でずっと終電逃した客を待ってたってのも知ってた。だから今日はそれ利用してみようかなぁ、なんてね」

「……もしかして、三年前から、」
「うん、ずっと機会を伺っていた」

 こんなときでも体は覚えているもので、難なく車の運転はこなせる。そんな自分がひどく滑稽だった。

「意味、わかんねえ……」
「ヒロ、ただいま」

 “ケイタ”のいうことが確かなら『感動の再会』の筈なのに、何故だかオレは心底後ろの、自分の旧友だと名乗る男が怖かった。その執着が酷く、心底怖かった。

「ヒロ、オレは責めないよ」

 ビクッと身体が震える。

「オレのこと忘れてたのも、約束を忘れてたのも……最終的にヒロは約束自体は守ってるわけだから。ヒロが親友って言えるのはオレだけなんだから、約束通りだよ」
「……あ、あぁ」
「むしろゴメンね、約束を破ったのはオレだよ」

 “ケイタ”の異様な雰囲気に呑まれてしまったオレは、とりあえず彼を刺激せずにそのまま車を走らせた。駅前まであと少し。車という密室空間が怖いが、それもあと少しで大丈夫だ。こいつは多分、何かがおかしい。いや、何もかもが、おかしい。

 “ケイタ”は、オレをずっと眺めている。観察している。きっとこの三年間ずっとこうやって見ていたんだろう。バックミラー越しに初めて合った目が、にっこりと細められてぞわりと鳥肌が立つ。コイツ、やばい。

「ヒロにオレの友達なんか、紹介したくないんだ――ヒロにはオレだけがいい。今のままがいいんだ。……約束破っちゃうよねゴメンね」

“ケイタ”は申し訳なさそうに顔をくしゃりと崩した。

「ち、ちがう……ちがうんだ、オレは――!!」

――誰か助けてくれ!!

 焦るオレはギュンとブレーキを踏み駅前に車を停めて、明かりをつける。料金は受け取らなくてはならない。それすらも嫌で嫌で仕方がなかった。多分、オレのこの怖がり方は尋常じゃないんだろう。確かに、何かされたわけじゃない。だが、何よりもオレを怖がらせたのは“ケイタ”のそのただひたすらな優しさであり、執着であり、異常さだった。

「りょ、料金は――」
 後ろを振り向いた瞬間、“ケイタ”はオレの首に腕を回し、自らに近寄せてぎゅっと優しく抱き寄せる。突然の行動に驚いて固まっていると、“ケイタ”は嬉しそうに微笑んでオレの名前を呼んだ。

「……はぁ、ヒロ」

 吐息が耳にあたって、背筋にゾワゾワとしたものが走る。


「好きだ、ヒロ。本当にずっとずっと愛してる。ヒロがオレのせいで他人と一線を引いてるって解って、覚えてなくてもヒロがオレのせいで変わったって知ってすっごく嬉しかった」
「……ち、ちが」

 オレが耳に吹き込まれたその言葉の理解をするよりも早く、“ケイタ”はオレの手に料金を握らせて離れ、タクシーから降りる。オレの話を何も聞かずに。

「またね」
そしてそんな不吉な言葉を残して、彼は深夜の闇に消えていった。



◆ ◆ ◆



「……じゃあ結局、あの話は……」
 今日の仕事はこれでおわりだった。というか、もうコレ以上できそうにない。営業所へと戻りながら、先ほどまでの衝撃的な出来事に思いを馳せる。
(……嘘、だろ)
 オレが頭を抱えそうになりかけたそのとき、先ほど握らされた金に視線をやると白い紙が挟まっているのに気づいた。
「……なんだこれ」

 そこには、どうやら“ケイタ”のものと思われる電話番号とメールアドレスが丁寧な筆致で記されていた。もしかしたら彼は、最初からこのつもりでこのタクシーに乗車したのかもしれない。

 それよりも問題は――


「オレは……“ケイタ”なんてヤツ知らねえんだよ……」


 深い溜息が漏れた。

 約束を守るも何も、約束そのものが存在していない。ケイタという名前にも聞き覚えはない。小学校のとき、そんなヤツがいただろうか。否――いなかった筈だ。
 オレは小学生のときはまだ確かに今よりかはマシだったけれども、それでもそれほど明るい人間じゃなかった。先ほどの述懐通り。なんの伏線でもない。オレには親友と呼べる友など存在していない。約束もない。

 存在しない約束を守ろうとする、旧友と名乗る見知らぬ他人。
 きっと永遠に叶わない口約束を、果たそうとする男。
 そしてそいつと約束をしたことになっている、オレ。


「…………嘘だろ、ほんと、マジで」
 思わずハンドルに腕を置いて突っ伏す。
「ストーカー……なんだよな。多分、妄想なんだよな……」
 それなのに、あの“ケイタ”という男は、オレの名前を知り、そしてさも本当にあったかのように過去を話す。まるで大切な、繊細なものを触るかのように、愛おしそうに話していた。全て虚構なのに。頭がイカれてる。それなのに、オレはどうしてか今日のこの一連の出来事に胸が躍るような気持ちを抱いている。きっとオレとは違って本当に友達もたくさんいて、色々とうまくやってきた男に違いないのに、その男はオレのストーカーだった。優越感とも非日常への期待とも言える、ただただドキドキとした感情にオレは自分が興奮していることを感じる。

 バックミラー越しの整った顔立ちを思い出して、何故か無性に苛立った。その苛立ちは、多分何の行動も起こせない、まだ悩んでいる自分への憤りだった。

 それからは早かった。
「……あー、くそっ」
そう口汚く何かを罵ってからスマホを取り出し、書かれたメアドと番号を打ち込んで登録する。

「一応、一応……」

今日あの客を車に乗せた時点からなのか、それともあの客がオレを三年前、駅前で見かけた時点で手遅れだったのか。
それは分からないけれど、ただ一つ言えるのは、明日もあの繁華街に行けば、“ケイタ”はいるだろうということ。



◆ ◆ ◆



「よう、――“ケイタ”。今日も、駅前か?」

 夜遅く、手遅れのストーカーに愛をささやかれる一時間。
 それは、恐ろしくもひどくクセになりそうな真夜中の逢瀬。
 手遅れなのは、オレの方なのかもしれない。




診断メーカーより「友達が少ない運転手と爽やかなストーカーが叶わない口約束を果たそうとする話」でした

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