学校帰りの夕暮れ時、いつも通り駅の構内には俺みたいな高校生がたくさん溢れている。大体が友達と思しきグループで、楽しげに今日の出来事を喋っていた。

(いい、なぁ)

 羨ましくないワケがなかった。友達がほしい。友達がほしい。帰りに駅に寄ってコンビニに寄って今日あったことを愚痴りながらファミチキ食うような友達がほしい。羨ましい。そんなことを思いながら病的に明るい駅ビルの百均に入る。その途中で、さっき俺が羨ましがったような学ラン姿の学生たちが俺を見て嫌そうな顔をしている、気がした。多分被害妄想。



ワンコインの善意



 百均の物は質が悪くてすぐ使えなくなるとクラスメートが愚痴っているのを盗み聞いたことがある。四日前の昼休み。いつも通り頭のおかしい連中に金を盗られていた時。最近はみんなこんな光景には慣れっこみたいで、だから俺が何をされていても彼らは普通に休み時間を謳歌出来るんだろうなと思う。俺はそんな意味では、俺をいじめる奴等よりも、人間の慣れの方が怖い。きっとそんなことはないと信じてるけど――俺がこの場でボコられて死にかけたら、彼らはどうするんだろう。やはり、普通に次の授業の予習や小テストに向けて勉強したり、友達とくだらない雑談を続けたりするんだろうか。

『カッターとかマジすぐ使えなくなるぜ!? 絶対に百均のより普通の使った方がいいわ!』

 俺は彼らとは違い、普通のノートや消しゴムなんかよりも何故かカッターだとかハサミだとか、そんな物騒なものばかりいつも買っていた。そのせいで俺の部屋にはいつも新品のそれらが大量に無駄にあって、(金を盗られているのが勿論大きな原因だけど)すぐに財布はすっからかんだ。机の上のペン入れに刺さったそれらを見て、嫌な出来事を思い出す度に衝動的に手首に押し当てたりするけど、さすが百均全然死ねない。その様子がなんだか笑えて、百均のカッターの切れ味の悪さは、俺の中途半端な自殺願望を象徴しているような気がして、嫌いだ。意気地なしと、頭の奥で嗤わている。

(……あった)
 今日の目的はルーズリーフだった。ノートはダメだ。机の中に置いてると例外なく捨てられて、授業での苦労が一瞬で水の泡になる。でもルーズリーフなら必要な分だけ学校に置いておいて、写したノートは家に置いておけば大丈夫。ノートが無くなったら、友達が居ない俺はコピーも出来ない。いじめられてて、友達居なくて、頭も悪い。そんな嫌な三拍子だけは避けたかった。
(お金は、ある)
今日はちょっと殴られただけで済んだから財布は普段より温かい。それでも節約しなくちゃいけないと思って、ペラッペラで質は悪いけどコスパは良い百均のルーズリーフを俺は愛用していた。そして、今日も視界の端でカッターが主張してくる。ほら、俺が要るだろう?と。
 死にたい癖にとバカにされるかも知れないが、リストカットは出来るだけ毎回刃を変えないと菌が入って傷口が悲惨な事になるんだよ。それを防ぐためにも、俺はやっぱりここに寄るたびに毎回カッターを買わなくちゃいけない。リストカットをする人の中には生きていることを実感したいからとか、人それぞれの理由があるんだろう。たったひとつの行為なのに、色んな意味があるのは不思議だと思う。でも俺の場合はオーソドックスに死にたいけど死ぬのが怖いから、というところだった。
 俺がこれを買わなくなる日は来るんだろうか。それがいじめの終わりではなくて俺の死によるものだったら、ほんの少し、笑えて悲しい。
 さっさと死にたいならホームセンターにでも行ってゴツいカッターを買えばいい。いじめが辛いなら遺書でも書いて飛び降りればいい。だけど、俺のいじめはニュースで報道されるようなものよりかは酷くなくて、俺にそこまでの思い切りを与えてくれない。生かさず殺さずで俺の高校生活を管理する奴等は、この中途半端ないじめで楽しいんだろうか。中途半端な自殺願望を起こさせる程度のコレで、と強がっても、俺の左手首がこちらの中途半端さを暴露して馬鹿にする。百均のカッターの切れ味の悪さが、俺の死を安っぽくする。百均のルーズリーフの書きにくさが、俺に遺書を書かせてくれない。

 レジに向かった。
 手にはルーズリーフ百枚入りとカッター。この店舗は俺のおかげでカッターが異様に売れていそうだ、といつも思う。そして目の前にはいつも通りのタルそうにレジを打っている店員。この時間にはいつもこの人が居るな、とそれが解るぐらいここにカッターを買いに来ている俺に自嘲しつつ思う。茶髪で気だるげだが、そんなに顔は悪くない。俺をいじめている奴等と似たようなタイプだけど、俺には何の害もない分苦手だけれど嫌いじゃない。今日も面倒くさそうなその声は変わらなかった。俺がコツンと台に置いたルーズリーフとカッターをその人は手に取り、レジに打ち込んで、
「100円商品二点、合計で210円でーす」
「……」
無言で俺は小銭を置く。ちらりと店員はそれを確認しつつ、ビニール袋に俺の買った品物を入れる。たった二点だからかもしれないけれど、わざわざそうやってしてくれるのは見た目にそぐわず優しい気がする――そんな風に考えて、少し気が緩んだせいだったかもしれない。
「うわっ!」
財布を持つ手が滑って、思いっきり小銭をばら撒いてしまった。しかもこちら側だけでなく、レジの方にまで。
「す、すみません……」
急いでこちら側の小銭を拾って財布にしまう。恥ずかしさに顔が赤らむのを感じた。しかもおもいっきりぶち撒けてしまったせいで、少し遠い床にまで小銭がある。そのためにしゃがんで左手を伸ばしたら、思いっきり俺の『中途半端の証拠』がシャツからはみ出て見えた。
(――!)
まずい。他人に見られていたら、面倒だ。焦った俺は急いで小銭を拾い上げて立ち上がる。するとレジを挟んだ向かい側の店員が、俺の顔をじっと見ていた。その手には、俺の落とした小銭がある。
「! ごめんなさい!」
彼がその手をこちらによこそうとしたので俺も急いで右手を差し出した。でも、彼は俺が差し出した手とは反対側を――俺の左手を、取った。
「――っ、な!」
俺の動揺を無視したその人は、するりと俺の袖口をまくった。そして俺が手首に巻いた微かに赤い包帯と、それで覆いきれていない酷い跡を見て顔をしかめた。
「……やっぱ、やたらとカッターを買うのはそういう……」
合点がいった、という顔で彼は俺の袖を元に戻すと、そのまま俺の左手に小銭を握らせた。店内には人がたくさん居る。だけれど俺とこの人のこのやりとりを見ていた人はいない。他人の無関心を普段は憎んでいた俺だけれど、初めて有難いと思った。
「……あ、あの、拾ってくださって、ありがとうございます」
「いや、いいよ」
急いで小銭を財布にしまいこむ俺をじっと見ながら、その人は見た目通りのどこか気の抜けた口調で続けた。
「――あのさぁ、俺はそういうの詳しくないし、別にその行為が絶対に悪いとは言えないけどさぁ」
「……、はい」
やっぱり、と俺は観念して俯いた。これが世間的には良くない行為だということは解っていた。解っていても、やってしまうのだ。俺の反応に、彼はその声に更に困ったような色を加えて続けた。
「死ぬのはさ、やっぱりやめたほうがいいと思うんだよね。いや、君がどんな理由でそれやってるのか俺には分かんないし、もしかしたら死ぬつもりとかなくて……とにかく、そんな深刻じゃないのかも知れないけど……」
「……」
「ごめ、何言ってんだろ俺、でも、君いつも死ぬほど暗いし、いかにもいじめられっ子みたいなオーラ出てるし……ごめん、なんか失礼だねごめん」
「……事実ですし」
目を逸らしながら口早にそう言ったその人の言葉に、やっぱそう思われてしかるべき雰囲気なんだろうな、と少しヘコむ。だけれど俺の言葉どおり、真実なんだから仕方ない。それでも俺が落ち込んだのが解ったのか、その人は急いで言葉を足した。
「いや、あのね! そういう意味じゃなくてさ!」
そう言った時ぐらいに、レジの方へ商品カゴを持っている人が歩いてきた。それを横目でちらりと確認したその人は、
「とにかく、俺は別にその行為がどうこうとかじゃないからカッター買うの別に止めやしないけど、死ぬなよってこと!」
そうまくし立てて、俺の手にレシートを握らせたその人の手は暖かかった。
とても、暖かくて。


 左手首の痛みが、心に沁みた。
「っ、……はい」
俺は誤魔化すように俯いて、レシートをポケットに突っ込んで、バッグと商品の入ったビニール袋を持ってその場から駆け出した。
「え、ちょ、何故逃げ……あ、お預かりいたしまーす」
そんな声が聞こえた気がしたけど、多分俺の次にやってきたお客さんがレジにカゴを置いたんだろう、その言葉を最後まで聞くことは出来なかった。

「っ、はぁ、はぁ、はぁ」
しばらく走って、誰も居ない社員用の通路みたいな場所でしゃがみ込む。重い荷物もドサリとそこに置いて、息が整うまでぼんやりと上を向いていた。
(……最悪だ、俺)
心配してくれていたのに、突然走りだしたりして、あの人もビックリしたにちがいない。だけれどあのままあの場所に居たら俺は本気で泣きだしてしまいそうで、あの人を余計に困らせてしまいそうで、そしてそれぐらい優しさに飢えているのだと思われそうで嫌だった。
「でも、嬉しかった……」
耳の奥で、『死ぬなよってこと!』というあの人の言葉が耳の奥で何度も蘇る。――『生きていろ』という、何よりも一番素朴な肯定の言葉。もしかしたらあの人からしたら、『俺の売った商品で死なれたら後味が悪い』とかそんな意味なのかも知れないけれど、それでも俺の包帯を見て色々と察したあの人は、普段の態度とは反して案外お節介なのかも知れないと思った。それか普段から俺があまりにも暗いものだから、リストカットしてるのかと疑っていたのかもしれないけど。でも彼だって思わないだろう、あのたった一瞬の会話のやりとりで、俺が泣きそうになるくらい救われたことを。
 今日はこの出来事だけで、俺はカッターを使わなくて済む。だから、明日は百均に、カッター以外の何かを買いに行こう。




お題は「素朴なプロポーズ」でした 制限時間二時間で書いたものを修正しています

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