黙ったまま立って並んでいるねねと左近。見た目としては全く変わらない。くのいちたちのように口を開いたり、妙な行動をしなければ当てられないだろう。
かなりの難題を前に、三成は腕を組んだまま止まっていた。
「本気で分からん。どちらも左近で良いではないか」
ぼそりと呟いた一言を、左近は聞き逃さなかった。いや、聞きたくなくても自然と耳に入ってきてしまったのだ。
これまでの様子から簡単に答えられるはずはないと思ってはいたが、そこまで言われるとかなり胸を抉られる。
「そっくりで難しいのだな。が、おそらく左だろう。私の義感がそう訴えている!」
「流石です、兼続殿!私もなんとなく左だと思いました!」
何故だ、と左近は心の中で大いに驚いた。密かに参加していた2つの未知なる物体が、この難題を当てたのだから。
実は彼らの言う通り、左近は左側に立っている。何故、付き合いの長い主が分からなくて、この2人が分かったのか。おそらく偶然に違いない。いや、偶然だと思いたい。
見分けることが出来ずに苛々とした表情で立っていた三成は、とうとう頭を抱えて座り込んでしまった。
「ああぁ、本当に分からん!大体、俺は左近をもみ上げで見分けていたからな。同じ姿をしてたら区別など出来るわけないだろう!」
手にした扇子を床に叩きつけそうな勢いで、三成は怒鳴った。いわゆる逆ギレというものである。
もみ上げで区別している、という言葉に左近は酷く衝撃を受けた。顔でも体型でも声でもなく、まさかもみ上げで左近と他人を見分けていたとは。
三成に仕え始めてから今までの時間は、一体何だったのだろうか。そう考えた左近は急な脱力感に襲われ、がっくりと肩を落とした。そのまま両手を地につき、跪いて頭を垂れる。
失意のどん底、というのはまさにこの状態を表すのだろう。
「まったく……こんなくだらないことをするからだ、バカ左近!」
突然、扇子が投げつけられた。一体自分の身に何が起きたのか、理解するのに左近は少し時間がかかった。
三成は左近と呼びながら扇子を投げつけたのだから、自分が本物の島左近であることを分かっている、と気付くのに更に時間がかかった。
混乱していた脳内が落ち着きを取り戻すと、左近はこれまでの主の行動と今の出来事を振り返った。そして、一つの結論に達した。
「殿、まさか最初から……」
「あのな、俺をなんだと思ってるんだ。余程のアホかなんかだと思ってないか?」
思ってます、と即答しそうになるのを左近は堪えた。これ以上機嫌を損ねるのは拙い。
左近の頭に当たった扇子が、目の前に落ちている。それを拾い上げて立ち上がると、左近は己が主に目を向けた。
「なら、何故最初から言って下さらないんです?本気で殿が左近のことを分からないのかと思ったじゃないですか」
ようやく普段の調子に戻ってきた。余裕を取り戻した左近の口には、軽い笑みが浮かんでいる。左近から扇子を手渡された三成は、フンと鼻を鳴らした。
「言ったろう、こんなくだらないことをするからだ、と。俺をからかおうと言うなら、逆に俺がお前をからかってやろうと思ったのだ」
主はすこぶる機嫌が悪いようだ。それは仕方がない、と左近は思う。三成でなくたって、こんなことに巻き込まれたら誰でも怒るはずである。
その時、変化の術を解いて元の姿に戻ったねねが、三成の前に仁王立ちで立ちはだかった。
「こら、三成!左近は本気で悩んでいたんだよ!川で自殺しそうなぐらいだったんだから!」
今にもお説教を始めようという剣幕である。その最後の言葉はねねが勘違いしたものであって、決して左近が自殺しようとしたものではない。
川で自殺、という物騒な言葉に動揺したのだろう。左近が訂正の言葉を発する前に、三成は慌ててねねに聞き返した。
「な、何を悩んでいたというのです?」
「あんたに信頼されてないんじゃないか、ってことさ」
ねねの返答に、三成は目を見開いた。驚くのも無理はない。今までそんなことで悩んでいる素振りも見せなかったし、ねねに相談したのだって成り行き上のことだったのだから。
三成は俯きがちに、ぼそりと呟いた。
「だから、こんなわけの分からんことをやったというのか」
「あー、あのですねぇ、なんというか、そのですね」
驚きを隠せず狼狽している三成に左近は急いで説明しようとするが、なかなか良い言葉が見つからない。それが三成の不安をさらに掻き立てることになったのだろう。
ふぅと軽く息を吐いた三成は、左近の目を見つめてゆっくりと口を開いた。
「……俺は言葉で伝えるのは得意ではないし、好きではない。だから、上手くは言えんが」
そこまで言って、三成は左近から視線を逸らす。面と向かって言うのは気恥ずかしいらしい。
「あのな、お前相手ならどんなに無茶をしても、我が儘を言っても大丈夫だと思っていたんだがな」
三成は言葉を選びながら話し続ける。下手な言葉を使って、左近をさらに落ち込ませるわけにはいかないと考えているのだろうか。
「それほど気安い相手でなければ……信頼している奴でなければ、俺はそこまでしない」
興味がない人物など、端から眼中に入っていない。ましてや、ちょっかいを出して困らせたりする労力を使うつもりもない。
主従というだけでなく、志を同じくする同志として、これまで共に過ごしてきたのだ。強固な信頼関係の上に成り立つ交流の1つとして、三成は左近に対し色々と仕掛けてきたのだろう。
散々な無茶難題も虐げるような悪戯も、左近だからこそ通じるものだと思って三成はやってきたのである。
「だから、そんなことでうじうじ悩むんじゃない」
チラリとようやく左近の方に目を向けて、三成はパシンと扇子を鳴らした。
「分かったか」
「よおぉぉく分かりました」
尊大な態度で言う主に、左近はひたすら平身低頭して答える。三成の言葉は痛いほど理解出来た。
あんなことで悩む必要などなかったのだ。よく考えれば簡単なことだったのに、それに気付かないとは自分もまだまだだと、左近は少しだけ己を戒めた。
「まったく左近も左近なら、おねね様もおねね様です。なんだかんだ言って、面白がってたのでしょう?」
三成にじっとりとした視線を向けられるが、ねねは何も答えなかった。ニコニコとした笑顔で立っている。
「これにて一件落着、ってヤツですかな?」
くのいちが茶化すように言う。なんにせよ、左近の心にモヤモヤと存在していた悩みは一掃された。彼女の言うように、左近にしてみれば一件落着である。
しかし、ここに空気の読めない男が1人いた。言わずもがな、直江兼続である。
「待て、三成!今回の優勝者は一体誰なんだ?」
「優勝?ああ、さっき言っていた仮装大賞とやらか」
何故兼続がそこまで仮装大賞に拘るのかは分からないが、三成に審査をしろとしつこく食い下がる。
よほど、その気持ちの悪いてるてる坊主に自信があるのだろうか。
「まぁ、折角だから優勝者を決めてやっても良いぞ」
気分が良いのか、三成は珍しく兼続の要求を呑むことにしたようだ。三成の友人2人は、期待に満ちた眼差しで結果発表を待っている。
「優勝はあいつだ」
三成が指差す方向にいるのは、未だ左近の姿をした風魔小太郎。部屋の隅でなにやら独り言を呟きながら、相変わらず体操座りをしているようだ。
予想だにしない審査結果に、兼続はもちろん幸村や左近、果てはくのいちまで驚いていた。
「何故、私ではないのだ!?」
「どうしてなのです、三成殿!」
「腕が伸びるという特技は、日常生活でも便利だからな。その点から考えて、奴が優勝だ。で、天井を動き回る服部半蔵が準優勝」
友人2人からの追及に、三成はしれっとした口調で答える。あまりにも自然な理由づけに左近も思わず納得してしまいそうになったが、よく考えればどこかおかしい。
何はともあれ、三成の厳しいのか優しいのか分からない審査を終え、当の兼続は放心しているようだ。文句を言うこともできないほどの衝撃だったらしい。
仮装大賞の優勝者も準優勝者も、そんな賞をもらったことなど気にしていないようである。しかし、彼らもいつまで変化したままでいるのか。自分の姿で奇行をしないでもらいたいものだ、と左近は溜め息を吐いた。
突然、三成はポンと手を叩いて、左近の方を見遣った。
「そうだ。お前も頑張れば腕ぐらい伸ばせるのではないか、左近?」
「伸ばせませんから、普通に」
先ほどまでの和やかな空気が台無しである。兼続が優勝者は誰だと食い下がらなければ、こんなことは言われなかったはずだ。恨むべきは、あの胡散臭い白頭巾か。
ニヤニヤと笑っている主の隣では、一生懸命腕を伸ばそうと兼続と幸村が練習している。そんな彼らを、くのいちはアホだなぁという表情で眺めている。ねねも笑っている。
その後しばらく、腕を伸ばせないならもみ上げを伸縮自在にしろ、などと主から無茶な要求を吹っ掛けられ続けることになるのではないか。
そんな未来予想図が脳裏にありありと浮かんで、左近はひたすら苦笑していた。
冬から春へ、雪解けのように悩みも消えていったが、左近の心はまだ完全に春うららというわけにはいかないようである。
―終―
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