そんな左近の心配もすぐに払拭されることになった。
物凄い足音を立てて、何者かがこの部屋に向かってきていたのだ。これは多分、主の足音であろう。随分と聞き慣れているせいで、左近は足音から判別することも出来るようになっていた。
ガラリ、と勢いよく襖が開かれた。左近の予想通り、足音の主は三成であった。
主は大層不機嫌そうな表情をしている。その手には一枚の紙を持っていた。どうやら、何かの書状のようである。
「おねね様!一体なにをしようと……」
部屋の中に視線を向けた三成は、ポカンと大きく口を開けたまましばらく固まってしまった。
理解の範疇を超えた異空間に足を踏み入れれば、絶句してしまうのも当然である。左近まみれの部屋を見て驚かない人間など、あの織田信長ぐらいのものだろう。
「三成!」
少しの間、呆然と立ち尽くしていた三成は、兼続の声でハッと我に返った。
そのまま兼続の方に視線を向けて、物凄く嫌そうな表情を浮かべる。誰がどう見たって嫌そうとしか言い様のない表情である。
「……そういうことか」
そして、何やら納得した様子でひとりごちた三成は、ゆっくりと部屋の中へ入ってきた。
「おねね様に言いたいことは山ほどありますが、まずはこの課題をやってからにしますよ」
三成が手にしていた書状はねねから宛てられたものだった。
左近を没収されたくなければ、本物の左近を見つけること――などと、それには書かれている。
没収って一体どういうことだ、などと突っ込む余裕など、今の左近にはなかった。なんだかまるで、人質にされた姫君のような感じがする。
左近に変化したねねを見ると、機嫌良さそうにニコニコと笑っていた。三成はぐるりと周囲を見渡している。
「しかし、この中から左近を見つけろ、と言われてもな」
もしかして、分からなかったらどうしようか。これほど分かりやすい問題もないと思うが、相手はあの三成である。左近の心中に少しだけ不安が広がった。
そんな家臣の心中など知らない主は、幸村と兼続の方を指差して口を開いた。
「まず、あの2つの物体は違うな」
「よく分かったな!流石我が友だ!」
三成のある意味で辛辣な言葉に、兼続が感心したように笑った。
あれで分からなかったり、間違えたりしたらどうしようかと左近はヒヤヒヤしていたが、これを流石に間違えるほど主も抜けてはいなかったようだ。
うんざりしたような視線を、三成は友人たちに向ける。
「何とち狂ったような格好をしているんだ、幸村に兼続」
「何を仰るのです、三成殿!私たちは左近殿の仮装をしているのですよ」
「大賞をとるために、相当気合いを入れてきたのだ!なぁ、幸村!」
快活に答える2人に、三成の眉間の皺が深くなった。相手にしていられない、と彼らを無視してゆっくりと上を仰いだ。
この調子なら、多分大丈夫だろう。すぐに本物の左近は自分だと当てるに違いない。
ことが始まるまでは馬鹿馬鹿しい催しだと思っていたが、いざ始まってみると案外楽しいかもしれない。
そんなに簡単にバレてしまったら面白くない、とさえ左近は思うようになっていた。
普段振り回されているばかりなのだから、たまにはこちらが振り回す立場になっても良いだろう。だから、自分だと分からないように、大人しくしてなるべく言葉を発しないことにした。
「あとは……」
部屋の天井を縦横無尽に動く服部半蔵の扮する左近を見つめ、三成はその動きを止めた。
何を悩んでいるのだろうか。もしや、アレを俺だと思っているのだろうか。いやまさか、と左近は心の中で自問自答する。
しかし、左近のその不安は的中しまった。
「今日はいやに機敏に動くではないか、左近」
半蔵に向かって、三成は親しげに話しかけた。左近は思わずズッコケそうになった。
そもそも、左近はあんな人間離れしたような動きをしない。三成は常日頃から自分のことを何者だと思っているのだろう。
「……影、繚乱せん……」
「意味が分からんぞ、左近」
会話として成り立っていない会話を終えた後、三成は腕を組んで呟いた。
「取り敢えず、こいつは保留だ」
保留、保留って一体どういう意味ですか。左近はそう突っ込みたい衝動をぐっと抑えた。
半蔵から部屋の隅で体操座りをしている風魔小太郎扮する左近に、三成は視線を向ける。
「何か嫌なことでもあったか、左近」
「クク、我が名こそ終末……」
やはり会話になっていない。忍というのは皆こんな風なのか、といやでも偏った感想を左近は持ってしまう。
しばらく沈黙が続いた後、小太郎は突然両腕をニュッと伸ばした。その長さが尋常ではない。
「さ、左近!どうしたのだ、その腕は?」
突然伸びたように見えた腕に三成は驚きの声を上げた。
三成の呼び掛けに答えることなく、左近の姿をした小太郎は対面方向にある柱を掴んだ。そしてそのまま腕を縮ませて、柱の方に勢いよく移動していったのである。
「何か悪いものでも食ったのか、左近!」
半蔵以上に人間離れした動きを披露する小太郎に、三成は驚きながらも心配そうに声を掛ける。
ソレを俺と呼ばんでくださいよ、と左近は声を大にして言いたかった。
部屋の反対側で、小太郎は再び体操座りをしていた。単に、話しかけられるのが嫌だったのかもしれない。
そんな挙動不審な己の姿を見て、左近は頭が痛くなってきたのを感じた。
「あいつも保留だな」
保留ということは、アレも本物の左近だという可能性があると三成は判断したのだ。
左近の不安が次第に大きくなってきた。まさか、本当に分からないのだろうか。
小太郎が変化した左近と接触するのを諦めたらしい三成は、そのままくのいちの方へと向かってきた。
三成がやって来ていることに気付いたくのいちは、右手の親指と人差し指を開き、格好をつけるようにそれを顎の下にあてた。
「俺様が本物の島左近だぜーい」
やる気があるのかないのか分からないくのいちの台詞に、三成は首を傾げる。
半蔵や小太郎、くのいちが扮する自身のワケの分からない行動を見続け、左近は精神的にかなり疲弊していた。よい歳をした男性のものとは思えない言動、さらに普通の人間とは思えない行動をする自分の姿を見るのは耐え難いものがある。
早く終わって欲しい。そんな家臣の胸中などあずかり知らぬ主は、腕を組んでうんうんと悩んでいた。
「……うぅん、そう言われるとそんな感じもしてくるな」
三成はくのいちの言葉を半ば信じかけている。何をどう考えたら、そんな感じがするのか分からない。
そもそも声が違うのに、それすら気付かないのだろうか。
「こいつも保留か」
そう短く述べた後、三成はねねと本物の左近の方を見遣った。
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