2人の間にしばらく沈黙が続く。そして、梵天丸は小さく口を開いた。
「……ゴボウの妖精なんて、そんなのいるわけがない」
顔をそむけて、自分に言い聞かせるように梵天丸は呟いた。現実に考えれば信じられない話なのだ。小十郎は子供の心をこれで掴めると考えていたが、そうは簡単にいかないらしい。
しかし、その梵天丸の態度の中に、ほんの少しだけ興味を示すような雰囲気が含まれているのを、小十郎は微妙に感じ取っていた。その興味を大きく引き出すことが出来れば、この作戦は上手くいくだろう。
そんな小十郎の胸中を知らない梵天丸は、さらに口を尖らせて続ける。
「大体妖精だって証拠、どこにあるんだ」
見た目からして妖精と言うには程遠い。梵天丸はそう言いたいのだろう。小十郎も自身の容姿で妖精だと言われて、信じる者はほとんどいないというのはよく分かっていた。
しかし、証拠を出せと言われても、小十郎が持っているのはゴボウだけである。他に妖精らしい持ち物など持っていない。そもそも妖精らしい持ち物というのも、よく分からないが。
どう答えたものか、と悩み始めた時、小十郎はふとあることを思い付いた。これならば、妖精だという証拠になるに違いない。
梵天丸と同じ高さぐらいまで、小十郎は腰を屈めた。そして、その目をじっと見据えた。
「証拠、か。証拠ならある。俺とお前は初対面だが、お前のことは全て知っている」
「な、何を知ってるってんだよ!」
全て知っている、と言われて梵天丸は少しだけたじろいだ。心の奥底まで見透かされているような気分になったのだろうか。
特に母親からの扱いや右目についてなど、触れられたくないこともあるはずだ。まだ幼い子供ではあるが、それなりに自尊心というのを持っている。それに安易に触れれば、梵天丸の心を今以上に傷付けてしまう可能性もある。
小十郎は視線を緩めて、梵天丸に尋ねた。
「さっきの小十郎という男はいつもどこかに出掛けているのだろう?」
「うん」
「そいつが今まで持ち帰ってきたものを、お前は部屋の隅にある箱の中にしまっているな」
小十郎の言葉に、梵天丸は目を真ん丸にして驚いていた。何故分かるのだ、とその表情が語っている。
梵天丸が渡されたものを、愛用の桐箱にしまっているのを小十郎は知っていた。たまたまその現場を見てしまっただけなのだが、探してきた甲斐があったとその時は思ったものだった。自分の持ち帰った物を大切にしてくれているのだと思うと、嬉しさが込み上げてきた。
そんな小十郎の心温まる思い出を、当の梵天丸がぶち壊してしまった。
「たしかに蛇の抜け殻とかちょっと綺麗な石とか、ごみみたいなのもあるけど、何で知ってるんだよ?」
「ご、ごみだと……!」
自分が渡したのだから、それらにがらくた同然の物も含まれていたのは分かる。思い返せばロクでもないものばかりだったかもしれない。しかし、ごみ扱いは酷い。
目の前の自分が、その物たちを渡した本人であると梵天丸は知らないのだから仕方がない。だが、懸命に探し歩いた物を献上した本人からごみ呼ばわりされるのは、精神的にかなり痛手を負うものである。
小十郎は心の中で涙を流しつつ、表面上では気を取り直して話を続けた。
「他にはお前と小十郎しか知らない、秘密の遊び場があるだろう。たしか、ちょうどあの裏山だ。あそこの古い大木の根元に、大きな洞が空いている」
梵天丸は愕然とした表情になった。そこまで知っている人間というのは、自分と小十郎以外にあり得ないと思っているのだろう。そして、目の前の男は小十郎ではない。ならば、何故そのことを知っているのか。そういう疑問が今、梵天丸の中で渦巻いているのだ。
「なんでそこまで知ってんだ……」
梵天丸の小さな呟きに、小十郎はふっと微笑んで答えた。
「ゴボウの妖精だからさ」
* * * * *
「妖精……だと?」
これは拙いかもしれない。小十郎の怒りの炎に、これでもかというぐらい油を注ぎ込んでしまったようだ。一層深く刻まれた眉間の皺が、その恐ろしさを如実に語っている。
そんな風に政宗が恐怖を感じていると知ってか知らずか、小十郎は訝しげな表情のままポツリと呟いた。
「そうか、妖精か。なるほどな」
それで納得すんのかよ!と思わず突っ込みそうになるのを、政宗は必死で押しとどめた。自分で妖精と言っておきながら、その台詞で突っ込むのは矛盾しているにも程がある。
こうも簡単にこの嘘を信じられるとは思っていなかった。拍子抜けして脱力した政宗を、小十郎はまじまじと眺めていた。
「奇異な言葉といい、その出で立ちといい、妖精というのもなかなか妙なものだな」
奇異な言葉というのは、政宗の駆使する南蛮語のことを言っているのだろうが、出で立ちという言葉まで入っているのが解せない。政宗の今の格好は妖精らしい格好をしているとでも言いたいのだろうか。
苛立ちと疲労感を覚えながらも、政宗はこの出会いを如何に活かすかを考えていた。
ここで過去の小十郎に会えたということは、上手くすれば奥州まで、そして過去の自分のところまで一緒に行けるかもしれない。そうすれば政宗の目的は果たせたも同然である。まずはこの目的を果たすことが何よりも先決だ。
小十郎に同行するには、自分を一緒に連れていけば役に立つ、などと言って丸め込めば良い。ネギの妖精だと言ってすんなり信じたのだから、それも容易いだろう。
これからの行動について、色々と思案に暮れていたら、突然小十郎に羽交い締めにされた。
何事かと思って慌てていると、縄で腕をがんじがらめにされてしまった。どこからその縄を取り出したのか、などという突っ込みをする余裕すらない。
思い切り体を捻り、政宗は小十郎の腕を振り切って睨みつけた。
「いきなり何しやがんだ!?」
「妖精を捕まえたと言えば、梵天丸様もお喜びになるかもしれん」
どうしてそんな発想になるのか。こんな見た目普通の人間を妖精だと言って献上されても、喜ぶどころか冷たい視線を向けるしかない。
大真面目に語る小十郎に、政宗はがっくりと肩を落とした。昔から小十郎はこんなに突飛な思考展開をする人間だったのだろうか。
野菜に関しては仕方がないと思っていたが、この頃から自然に意味の分からない言動をしていたとは思いもしなかった。いや、政宗が子供だったせいで気付いていなかっただけなのかもしれない。
しかし、今はそんなことを思い返している場合ではない。ぐるぐる巻きにされた両腕を突き出して、政宗は小十郎に訴えた。
「んなコトで喜ぶわけねぇよ!アンタは今、主のために探し物してるんだろう?」
「何故分かる……って妖精だからか」
もちろん、そんな理由ではない。しかし、面倒なのと妖精であるということの信憑性を補うために、敢えて違うとは言わなかった。
この時期の小十郎は、塞ぎがちな自分を元気づけるために各地を回って名品珍品集めをしていたのである。そのことを政宗は知っていた。
自分のために必死に尽くしてくれるその姿が、子供心に嬉しかった。だが、小十郎もいつかは自分を見捨てるのではないかという不安から、なかなか心を開くことが出来ないでいた。
そんな自分に、小十郎は今でも付き合って共に行動をして、何があってもついてきてくれている。小十郎がいたから、今の自分がいると言っても過言ではない。
そう思うと、不意に昔の記憶が鮮明に蘇ってきた。おぼろげだった思い出が、今目の前で起きているかのように浮かんできた。
あの時――自分も変わりたいと願った時、同じように右目を無くした人物と一緒にもう1人、強面の男がいた。
政宗は安堵した。小十郎は無事だ。これから政宗は過去の小十郎について、過去の自分に会いに行くのだ。自分の記憶が確かならば、再び会うことが出来る。
ならば、なんとしてもこの小十郎についていかなくてはならない。過去の自分に、そして今の小十郎に会わなくてはならないのだ。
「アンタの助けになってやる。だから、一緒にその主とやらの所に行かせてくれ」
「助けだと?」
「あぁ、アンタの主の気が晴れるように、オレの力で何とかしてやるさ」
だからこの縄を外せ、と政宗は要求する。両腕の自由がきかないのは、かなり不便なのだ。
「そんなことが出来るのか?」
眉を顰める小十郎に、政宗は口の端を上げて答えた。
「ネギの妖精だからな」
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