大きな目をさらに見開いて、梵天丸は小十郎を見つめていた。その瞳の中では、様々な感情が揺れている。驚き、戸惑い、そして喜び。

小十郎のひと言に、梵天丸は何も返すことが出来ないでいた。そんな風に言われるとは思っていなかったからだ。全く見ず知らずの人間にずっと欲しかった言葉を言ってもらえたのだから、その時は相当驚いていた。

だが、その言葉をくれたのは小十郎だった。その言葉は今でも政宗の生き方の源となっている。自分を必要としている者がいるから、そして自分を後ろから見守ってくれている者がいるから、真っ直ぐ前だけを見て進むことが出来るのだ。

ゆっくりと歩みを進めて、政宗は2人に近付いていった。

「よー、こんな所で会うなんて奇遇だな」

普段に比べて柔らかい声音で、政宗は背後から小十郎に話しかけた。小十郎が勢いよく振り返る。その表情は愕然としたものであった。

そんな小十郎に向かって、政宗はニヤリとした笑みを浮かべた。梵天丸と政宗を交互に見て、小十郎は慌てふためいていた。

主が無事であったこと。そして、こうしてまた巡り会えたこと。この偶然というよりも奇跡に近い再会に、安堵と喜びを感じているのだろう。それと同時に、どう反応して良いのか分からず動揺しているのだ。

ここで政宗という名を出すのは拙い。今の自分は野菜の妖精という設定で話をしているのだ。そして、梵天丸に主のことはネギの妖精だと紹介してしまった。その話に辻褄を合わせなくてはならない。

小十郎は顔を引きつらせながら、政宗の方を見てわざとらしく叫んだ。

「あ、貴方はネギの妖精、葱宗様!」

「たしかお前は、ゴボウの妖精の牛蒡郎だったか」

再び意表をつかれたようで、小十郎は愕然とした表情をしていた。自分がこの場で勝手に言っているだけの設定を、何故主は知っているのだろうか。

その答えは単純明快なものであった。梵天丸の目の前で繰り広げられていた光景を政宗は覚えていたから、その話に合わせることが出来ただけである。

面喰って慌てる小十郎を横目に、政宗は目を瞬かせている梵天丸の方に向いた。

「おい、お前、梵天丸って言うんだろ?小十郎って奴に聞いたがな」

唐突に声を掛けられて、梵天丸はビクリと肩を震わせた。突然やってきたネギの妖精などという目つきの悪い男に声を掛けられれば、驚くのも当然である。

梵天丸は恐る恐る政宗の顔を見上げた。政宗はうっすらと目を細めて過去の自分を見つめた。

「右目が無くなって、辛いか?」

その問いかけに、梵天丸は表情を険しくさせた。自身の心の触れられたくない部分を鷲掴みにされた気分だった。全く見ず知らずの人間に、しかも人間ではないかもしれないよく分からない存在に、いきなり心の傷を触れられるのはかなり衝撃的な出来事であった。

昔の政宗は片目でしか見えない世界に絶望していた。右目を失い、一番愛して欲しい人から拒絶されたことで、政宗の目に見える世界は徐々に色を失っていた。

無言の梵天丸に、政宗は淡々とした口調で話を続ける。

「世の中を恨んで、周りを妬んで、己の境遇に泣いて、何が変わった?」

「何が言いたいんだよ……」

不快感を表わにして、梵天丸は政宗の問いかけた。そこまで直接的に心の内を言い当てられたことがなかった梵天丸にとって、どう反応すれば良いのか分からない状態なのだろう。

どうして自分はこんなにも不幸なのだろうと嘆いた。周りの人間はどうして幸せそうに生きているのかと羨んだ。そんな自分が嫌になったこともあった。変わることが出来るものなら、変わりたいと願った。

だが、その場にとどまっているだけでは変わらなかった。恨んで妬んで泣いているだけでは、何も変わらなかったのだ。

「オレもお前と同じだ。右目がない」

政宗は右目にかけた眼帯を少しずらして見せた。その行動に、梵天丸はハッと息を呑む。自分と同じ境遇の者が目の前にいて、自らそのことを打ち明けるとは信じられなかった。

そんな過去の自分を見て、政宗はフッと微笑んだ。そして、隣に立っている小十郎を指差して言葉を続けた。

「だが、オレの右目はここにある。お前の右目もすぐ傍にあるはずだ」

梵天丸は左の目を大きく見開いた。穏やかな物言いではあったが、その声には強さが秘められている。政宗は心の底からそう思っているのだ。

顔を歪めて、梵天丸は俯いた。そう言われたところで、自分はどうすれば良いのか。そう簡単にこの状況から変わることなど出来るはずがない。そんな後ろ向きな思いが胸の中でくすぶっている。

目を逸らして下を向く梵天丸の目の高さに合わせて、政宗は腰を屈めた。

「下を見るんじゃない。前をしっかりと見ろ」

両手で梵天丸の頬を包み込み、自らの方へと顔を上げさせた。政宗と梵天丸の視線がぶつかり合う。

「オレは変わったんだから、お前も変わることができる」

「変わることができる?」

「そうだ、オレみたいになれば良い」

目の前にいる男は、右目をなくしても前を向いて堂々としている。こんな風に、自分も変わることが出来るかもしれない。自分にも可能性はあるのだ。その言葉で、梵天丸の目の前に広がる世界が鮮やかに色づき始めた。

先ほどの小十郎の言葉、そして今の自分の言葉が生き方を変えるきっかけとなった。成長するにつれて目まぐるしい日常に追われ、この時の出来事をすっかり忘れてしまっていたが、掛けられた言葉だけはずっと政宗の心の奥底に残っていたのだ。

今眼前で繰り広げられている光景と重なって、政宗の脳裏に昔の記憶が鮮明によみがえる。

「どうしたら、なれるんだ?」

顔をしっかりと上げて、梵天丸は真っ直ぐな眼差しを政宗に向けた。その瞳には、今までには見られなかった光が宿っている。

これならもう大丈夫だ。政宗はそう感じていた。現状から変わることを望みながら、出来ないと諦めていたかつての自分。自信を持てずその場から動けないというのならば、その可能性を示して背中をポンと押してやれば良かったのだ。

自分から顔を上げて前を向いた梵天丸を見て、政宗は口元をゆるめる。そして両頬を押さえていた手を離し、人差し指を立てながらニッと笑った。

「そいつはな、coolにふるま」

「野菜を食えば良いのです。美味い野菜をたくさん食べてきたのが、この葱宗様なのですから」

得意げに語る政宗の言葉を、小十郎が途中で遮った。梵天丸の視線が、小十郎の方に移る。coolに決めた台詞が台無しである。

「お前な……」

じっとりとした目つきで小十郎を見遣る。ずっと2人のやりとりを眺めていただけの小十郎だったが、ここにきて何を思ったのか、妙な助言を始めてしまった。

しかし、これは梵天丸と過去の小十郎の関係を変える布石となる言葉だった。この言葉があったからこそ、梵天丸は小十郎に心を開くことが出来たのである。

政宗は小十郎の手からゴボウをひったくった。そして、それと自身が持っていたネギを梵天丸に手渡した。

「小十郎に向かって、野菜が食いたいって言ってみな」

「小十郎に?」

「そうだ。あいつなら美味い野菜を作ってくれるぜ。オレたち野菜の妖精が言うんだから、間違いないさ」

梵天丸はネギとゴボウを握り締め、それをじっと見つめた。そして政宗と小十郎に軽く頭を下げた後、背を向けて走り去っていったのである。

少し離れた場所で待つ小十郎に、梵天丸は野菜を食べたいと告げるはずである。その頼みごとが小十郎の心境に変化をもたらすこととなるのだ。

この出来事が、小十郎の存在の大きさにも気付くきっかけとなった。自分の右目は小十郎であると思うようになった。偶然に思えた一連の出来事は、全て必然だったのだ。

砂粒ほどの小さな言葉や行動が綿々と連なって、流砂の如く未来へと繋がっていく。それが歴史となっていく。過去も現在も未来も、そんなたくさんの砂粒が絶えず流れ続けて出来ている。これを奇跡と言うのだろうな、と今までの出来事を振り返りながら政宗は思っていた。

小さくなっていく背中を見つめていた小十郎が、おもむろに口を開いた。

「取りあえず、行きますか」

過去の小十郎が来る前にここを離れた方が得策だろう。またややこしい問題が起こる前に、立ち去った方が良い。政宗は小十郎と共に大八車の置いてある場所まで向かい始めた。

「貴方は全てを知っていたからこそ、この時代に来たがっていたのですね」

「あぁ。ま、でも全部思い出したのはつい最近だけどな」

あの大八車が目の前に現れなければ、はっきりとは思い出すことも出来なかった。過去の自分の前に風のように現れ、言いたいことを言って気付けばいなくなっていた人物。

それが今の自分だと思いだした時には、驚きと同時に何故か納得したものだった。そして、過去の自分になんとしても会わなくてはならないと考えた。

「これで用は全てお済みになりましたか、政宗様」

「あぁ、やるべきことは全部終わった」

遠くを見ながら、政宗は小十郎の問いに答える。前方にあの大八車が見えてきた。これでもう思い残すことはない。前だけを向いて歩いていけば――いや、突っ走っていけば良い。

「帰ろうぜ、小十郎。オレたちの時代へ」

片手を上げて、政宗は小十郎に告げる。小十郎は無言で頷いた。

野菜が乱雑に載った大八車に、政宗はひらりと飛び乗った。小十郎は持ち手をぐっと握り締め、ゆっくりとそれを引き始めたのであった。



―終―


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