昔の主はよく泣く子供だった、と小十郎は記憶している。

塞ぎがちな梵天丸のお目付け役として呼ばれた時は、小十郎も大層驚いた。初めはどう接すれば良いのか分からず、手探りの状態だった。だから、珍しい物で心を開かせようという方法に頼った。

母に愛されず可哀想だ、と思って同情することは誰にでも出来る。そこからが問題なのだ。同情だけでは何も出来ないし、何も変わらない。

だが、ある時期を境に涙を見せることがなくなった。年を経るにつれ、精神的な成長を遂げたという理由もあったのだろう。

しかし、それには何より主自身が変わりたいと願わなくてはならない。そして、そう願う機会があったのだ。

『小十郎、野菜を食べたい。野菜を食べて強くなりたいんだ』

そんな主の頼みごとが、小十郎の気持ちに変化をもたらした。今までにない気迫を秘めた瞳、そして力強く発された言葉に、小十郎はひどく驚いた。そして、その頼みに全力で応えようと決めたのである。

その時に、何が起ころうともこの主の傍にいて、何を言われようとも一生ついていくという覚悟が必要だと気付いた。命を賭してその背中を守ると誓った。それには、ただ優しく接するだけでなく、時には厳しくぶつかることも必要だと知った。

懐かしい感情が小十郎の胸に広がる。目を細めて眺めていると、梵天丸が見つめ返してきた。

「ゴボウの妖精がここで何をしてるんだ?」

小十郎の話で興味を持ったようで、真っ直ぐな眼差しを向けて尋ねた。ゴボウの妖精という話をどうやらすっかり信じ切ってしまったらしい。

どうしてこんな場所にいるのか、という梵天丸の疑問も当然と言えば当然である。しかし、妖精だと誤魔化したは良いが、小十郎はそれ以上の設定を考えていなかった。

小十郎は少し慌てながら、その質問に答えた。

「はぐれてしまった俺の主を探しているんだ」

咄嗟に思い付いた説明だが、これはある意味で事実である。大八車から落ちてしまった主は、一体どこにいるのか。そう考えると、再び不安が募ってきた。

不安に思うが、あの方は幾度となく修羅場を乗り越えてきた。だから、きっと大丈夫だと小十郎は自身に言い聞かせた。しかし、早く主の手掛かりになるような情報を得なくてはならない。

そう考えていると、梵天丸が小十郎の服の裾を掴んで尋ねた。

「主がいるのか?どんな奴なんだ?」

そこに食いつかれるとは思っていなかった。小十郎の主――というよりゴボウの妖精の主というのが、どういう存在なのか気になるのだろう。

先ほどと同様に、深く考えず瞬間的に口から出たことを伝えた。

「お、俺の主はネギの妖精でな」

そこまで言って、小十郎はふと気付いた。誤魔化す必要などない。小十郎の主はただ一人である。その主について、説明すれば良いのだ。

気を取り直して、小十郎は説明を続けた。

「時々無茶をするし、妙な南蛮語を操るし、政務はサボるし、野菜の扱いはぞんざいだし」

政宗について小十郎は思い付いたことを羅列する。ぽんぽんと出てくるのは悪態に近い評価ばかりだ。

――しかし。

「だが、ずっと傍で仕えることが出来て良かった、そしてこれからもずっと仕えたいと思える方だ」

この思いだけは、昔から変わらない。coolという口癖にもあるように、とてつもないことを何気なく、そしてさり気なく行うことに拘る主が、本当は希代の努力家であることを小十郎は知っている。

誰にも負けない強さを得るために、政宗は人知れず厳しい鍛錬を続けている。あの独特の武器の扱い方も、努力と試行錯誤の末生まれたものだ。一国の主として悩んだり、苦しんだり、鍛えたり、そういう苦労や努力を見せることを政宗は好まないから、それを知っている者も少ない。

しかし、小十郎は陰からずっとその背を見守ってきた。だから知っているし、知っているからこそずっと傍で仕えたいと思うのだ。

「あの方以上の主など、俺にはいない」

「大切にしてるんだな。そういうのは……」

羨ましいな。

消え入りそうな声で呟いた最後の言葉に、小十郎は目を見開いた。梵天丸がそんな風に思うなどとは考えていなかった。そんな主の思いを汲み取ることが出来ず、物に頼って心を開かせようとしていた昔の自分を、小十郎は殴りたいと感じていた。

寂しそうな笑みを浮かべる幼い主を、やりきれないという面持ちで小十郎は見下ろしていた。

「……貴方のことを同じように思う者は必ずおりますぞ」

そしておもむろに腰を屈めて、梵天丸の目を真っ直ぐ見据えて呟いたのであった。





* * * * *





見覚えのある景色が見えてきた。子供の頃から見慣れていて、大人になってもほとんど変わっていない風景。そんな見慣れた風景を眺めながら、政宗は小十郎と歩いていた。

昔の自分を思い出すと、胸が締め付けられるような感覚に陥る。過去のことは全てふっ切って、前だけ見て進んできたつもりだが、不意に思い出がよみがえる度に息苦しくなる。

右目を失って、母親との確執に悩んだ結果、周囲のもの全てから心を閉ざした。そうしながら、心の内では幸せそうな人間を羨んだこともあった。

小十郎に出会うまでは、ずっと自分という殻に閉じこもっていた。小十郎に出会ってからも、なかなか前に踏み出すことが出来なかった。

そんな自分が変わったきっかけは、非常に単純な理由だった。こんな自分でも変わることが出来ると知ったからだ。

あの時の記憶を鮮明に思い出した今、自分が何をすべきかが分かる。自分を変えるために、過去の自分に合わなくてはならない。

ふと政宗は隣を歩く小十郎の横顔を見た。いつも見ている小十郎よりも幾分か若いのは当然だ。この頃の小十郎は幼い自分とどう接して良いのか、距離を測りかねているのだろうというのが今なら分かる。逆に、伝えたいことを素直に伝えられなかった過去の政宗も、小十郎との距離を測りかねていた。

だが、歩み寄ってしまえば簡単なことだったと分かるのだ。

政宗の視線に気付いたのか、小十郎は顔をこちらに向けて話しかけてきた。

「妖精というのは羽が生えているもんだと思っていたが、そうでもなかったんだな」

いきなり何を言い出すのか。小十郎は本気で政宗がネギの妖精だと信じ切っているらしい。しかも一般的な妖精像なるものを考えていたことも意外だった。

しかし、大真面目に告げる小十郎に何と返せば良いのか。自身も真面目くさって答えるべきだろうか。

「羽なら生えてるぜ、オレの心の中にな」

「そうなのか」

そこであっさりと流されるのも恥ずかしい。だが、文句を言いたくても言えなかった。言っても通じないのが分かっているのだ。生真面目で、朴訥と言っても良い性格をしている小十郎にこんな冗談は通じないのだろう。

そんな他愛もないやり取りをして歩いていると、視線の先に城が見えてきた。ここまでくれば目的地はもう目の前だ。

そして、過去の自分がいる場所に行く前に、小十郎に言っておかなくてはならないことがあった。政宗は小十郎に向かって、真面目な顔をして話しかけた。

「なぁ、アンタの主を元気づける前に一つ頼みがある」

「なんだ?」

「2人きりで話したい。誰も来ないようにして欲しい。もちろんアンタもだ」

そう告げると、小十郎は少し険しい表情に変わった。それは当然だろう。ネギの妖精などという明らかに怪しい存在と主を2人だけで面会させるには、従者として抵抗があるに違いない。

しかし、この小十郎が一緒にいると都合が悪いのだ。

過去の政宗と今の政宗が会う場所には、もう一人別の人間がいる。その人間とこの小十郎が鉢会わせすることは、出来るだけ避けた方が良い。ややこしいことになるのは目に見えている。もしかしたら、歴史になんらかの影響を与えてしまう可能性だってあるかもしれない。だから、一緒に来られると拙いのである。

しかし、そいつは無理な話だ。小十郎の表情がそうありありと語っている。拒否の言葉を発される前に、政宗は左目でまっすぐと小十郎を見据えた。

「オレを信じろよ、小十郎」

「…………」

政宗の真っ直ぐな眼差しに、小十郎は何も言い返すことが出来なかった。その言葉を信じなくてはならない。何故か逆らうことは出来ない。そんな気持ちが漠然と小十郎の胸に浮かんできた。

しばらく逡巡した後、小十郎はフゥと息を吐いた。

「場所は分かるのか?」

「大丈夫だ。No, problem!」

そう言って政宗は一人、ある場所を目指して駆けていった。小十郎は小さくなっていく政宗の背を見守りながら、この場で待つことにしたのである。


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